今回は、昨日、自分がみた夢をシェアします。

 

昨日、
夢の中に出てくる、あらゆる物々が、ひとつひとつ、単なる無機質な「物」ではなく、「物」を知覚すること自体に、すべて、ある種の「情感」が伴う、という夢をみました。


例えば、葉っぱ一枚を手に取ると、その葉っぱを知覚することに(あるいは、その葉っぱを手に取るという行動自体に)とてつもない「郷愁」のような「いとおしさ」のような感情が伴っていたり。(別に、なんの変哲もない葉っぱなのですが。)


ひとつひとつの物に、ひとつひとつの行動に、(この物理的世界ではあまりあり得ないような)深い情感が伴う、という夢。


単に「家の中に入る」という行動にしても、
その「家の中に入る」という行動自体に、深い深い情感(ハートがあたたたかくなるような、ハートが満たされるような情感)が伴う。
その情感がどのような種類の情感なのかを、より分類して名前を与えることは、第三密度の言葉ではできないような、そういう類の情感というカンジ。
(泣けてくるぐらい、ハートが満たされる感覚なのですが。)

(この物理的世界的には、「喜び」「嬉しさ」に相当すると言い得ますが、しかし、「喜び」という言葉で、この情感を呼ぶのは、まったく「大ざっぱ過ぎる」カンジです。)
(おそらく、高次のリアリティでは、「喜び」「嬉しさ」という概念が、もっとことこまやかに分類され得るのだろう、と思います。)


おそらく、そのような、「ひとつひとつの知覚」に、「ひとつひとつの行動」に、すべて深い情感が伴う、っていうリアリティも、(この宇宙のどこかに)存在するのでしょうね。
(「無意味な物」や「無意味な行動」など無い、というリアリティが存在するのでしょうね(^^))

 

ステキな夢でした。