11月最終週の土日に、リサ・ロイヤルさんの琵琶湖でのリトリートがありました。

一日目の昼および夜の誘導瞑想時の体験で、(二日目にシェアした体験以外にも)うまく、十分に言葉にできない体験(の断片)があって、でも、それを、ちゃんとprocessして言葉にしておさめておきたいように思ったので、再度、あのときの感覚を呼び起こして、あらためて瞑想をしてみました。

以下、やや再構成しちゃってますが、瞑想時の体験を、シェアしますね。


以前、(倍音会の主催者である)ゆうちゃんに教えてもらった『海獣の子ども』という漫画があるのですが、自分的には、そのラストシーンの「宇宙的な描写」に、とんでもなくインパクトを受けたのですが、そのときに感じた感覚と、共通する感覚を(瞑想時に)感じたので、(これからこの漫画を読もうとする人にはネタバレ的な感じになっちゃいますが(^^; )『海獣の子ども』の、海底での、ラストシーンのいくつかの場面もアップしちゃいます(^^)
(いっぱい載せすぎちゃって(^^; 著作権も気になりますが(^^;)

バシャールは、私たち(地球人たち)の、この物理的リアリティは4次元だ、と言っています。
「縦」「横」「高さ」「時間」の四つの要素から成る4次元だと。
「では、5次元に移行した際の、5つめの要素は何になるのですか?」と、ある質問者に問われて、バシャールは(地球の言葉に直すのが難しいと言いながらも)"inside out"のようなものだと言っていました。
"inside out"とは、「裏返し」「反転」という意味ですね。

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湖の全体へと意識の焦点を合わせる。
湖の底(湖底)の感覚を感じる。

深い、深い、湖の底。

その「深い感じ」を感じるようにしてみる。

琵琶湖の湖の底が、とても広がっている、とても広いのを感じる。
とてつもなく、広がっているのを感じる。

その広がりを感じる。

その広がりは、実際の、琵琶湖の、物理的な広さを、はるかに凌駕している広がり。

広さと深みと。

その湖底の広がりの感覚は、第三密度の世界を超えて広がっている。
おそらく、第四密度など、より上の密度の世界へと、広がっている、つながっている。

すると、そこに(湖の底に)、巨大な存在が居るように感じられる。

その巨大な生物に、意識を合わせる。

とてつもなく巨大な生き物。

その巨大な存在は、湖底に横たわっていたり、あるいは、湖底を、ぐるぐるとらせんを描き、周回したりする。

湖底に横たわるときは、ナマズのようでもあり、
動き、周回するときは、巨大な龍のようでもある。

そのナマズ、あるいは龍に意識を合わせる。

その「ナマズ龍」(一緒にしちゃいました(笑))は、琵琶湖の湖底の深淵を、ゆっくりと廻っている。

(湖底には、サーシャ(アマ)が述べたように、「基地」のようなものがあるのだと思う。その「基地」のまわりを、ゆっくりゆっくり、ぐるぐると、大きならせんを描き、「ナマズ龍」は廻っている。)

そこは湖底であるのだが、「宇宙」でもあるように感じられる。
「湖底」でもあり、同時に「宇宙」でもあるように感じられる。

いちばん下でもあり、いちばん上でもあるよう。

巨大な「ナマズ龍」の「からだ」は、
(まるで『海獣の子ども』のラストシーンのように)
銀河である。
ナマズ龍の「からだ」は、「銀河」である。
ナマズ龍のからだの「中」に、宇宙が存在している。
ナマズ龍のからだの「枠内」に、宇宙が存在している。

(それは、瞑想の別の場面で、容器の中の水の表面に、夜空の星々が映り込んでいて、その水を、自分が飲んだ、こととも関連している。)

それは、
からだの「中」が、「外」であるような
「裏返し」「反転」
が常態であるような、5次元の世界なのか、と思う。

「反転状態」「裏返し状態」の、ナマズ龍の「からだ」を通して、我々は、宇宙次元を体験する。

ナマズ龍は、次元と次元のはざまにも、存在し得る。
ある一つの次元から、別の次元へといざなう、媒体、ポータルにもなる。媒介するものにもなる。

琵琶湖の湖底は、宇宙次元へのポータルになっているのかと思う。

自分は、「ナマズ龍」という表象を通して
(五十嵐大介さん(上記の漫画の作者ですね)のインスピレーションの力も借りて)、
そのことを感じ取ったのかと思う。

「ナマズ龍」の
重厚さ、
存在の巨大さ、
次元と次元とをまたがる感覚を、
覚えておいて、
第三密度に戻ってこようと思う。