俳句と漢詩~芭蕉と杜甫~(心に降りてくる言葉) | 在り方をととのえる/天眞音・クルール※天と地を繋ぐ・結ぶ人~スピリチュアルは生きること・日常そのもの~

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「天眞音・クルール(アマネ・クルール)」は、在り方をととのえるための方法をお伝えしている女性専用サロンです。
氣付きやサイン、メッセージ等はいつでも日常に溢れています。
それを受け取ることのできる心と身体の器・在り方をととのえて参りましょう。

ランダムに・氣まぐれに。
本日も、私の心に降ってきた言葉やエネルギーを、お届けいたします。


当ブログにお立ち寄りくださり、ありがとうございます。
天眞音・クルール(アマネ・クルール)・眞樹子です。


ふと思い浮かぶことって、どなたにも日常的にあること。

それを 「ん?」 と自分自身の引っ掛かりや違和感に氣付いて・受け取って、自分なりに展開したり掘り下げてみるのか。

それとも、「はいはい、よくあること~」 とスルーをするのか。

もしくは氣付いているけど、氣付いてない風を装って、スルーするのか。←結果、スルーするんかい!笑

いずれの選択肢も、その方が自分の意志で選択し、決められるものです。

どれかが正解というワケではありませんし、どれかが間違っている訳でもありません。(決めた時点で、宇宙は全肯定で 「YES!」 一択ですから。)

 

つまり、何をどう選択したとしても、あなたにとって必要なことでありプロセスだということ。

但し一つ言えるのは、面倒くさいを発動すると、その ”面倒くさい” 状態が、そっくりそのまま我が身に返ってきちゃうのよね~。

その仕組みを知っちゃうと・経験しちゃうと、面倒くさかろうが氣が乗らなかろうが、行動するんだわよ。※えぇ、自戒も込めてますよw

 

 

 


■ 松尾芭蕉・作 「奥の細道」 より
夏草や
兵 (つわもの) どもが
夢の跡

■ 杜甫・作 「春望」 より
国破れて山河在り
城春にして草木深し

 


【私の所感】
芭蕉の句の後に、春望の一節…という順番で、急に脳内に浮かび出て参りました。

どちらも ”戦 (しかも戦い後の描写)” に関する内容だったので、世界情勢で何かしらの動きがあるのかしら?とも思ったのですが、

「まずは調べる、掘り下げる!」
と、指示がありまして^^;
えぇ、結構直接的♡笑

受け取ったそのまんまの情報だけではなく、ちゃんと自分なりの視点で捉えることや考察を 「手を抜かずに」 してください!と、軽く諫められた感じ。。。

(ぐぅの音も出ない程、「意識」 については丁寧さを常時求められるわね。)

ということで、まずは松尾芭蕉の俳句から、順に綴ってみたいと思います。

 

松尾芭蕉・奥の細道より

俳句には、詠んだ句の前に添える言葉として 「前書 (まえがき)」 というものがあります。

その内容は、他愛もない走り書きのようなものから、俳句を詠んだ場所・地名や生活背景、はたまた句を詠もうと思った動機など、割と自由に書かれているようです。

その中でも、”前書を含めてこそ 「完成形」” となっているものが、いくつかある様で、芭蕉のこの句もそれに該当します。

この句の前書には、「奥州高館にて」 とあり、奥州高館は 「源義経・最期の場所」 と云われております。

こちらの俳句の舞台となっているのは 「奥州・平泉」。

奥州・藤原氏が栄華を極めた地でもあります。

兄・源頼朝に追われて逃げてきた義経は、藤原秀衡に庇護を求めて平泉に身を寄せ匿ってもらいます。

その時に、秀衡が義経の為に用意したのが、「高館」 です。

秀衡は、もし自分が亡くなっても、引き続き義経をかくまうよう、次男・泰衡に遺言を残したんですが、秀衡亡きあと・泰衡は源頼朝の圧力に負けちゃったらしく…^^;。※耐えられぬほどのプレッシャーを掛けられたんだろうと想像…。

結果、義経は亡くなったんですが、だからといって、その後の藤原泰衡と源頼朝の関係性は、良好であったり和平には至らなかったんですよね。

頼朝は奥州・藤原氏を 「幕府を脅かす存在」 と捉えて攻め入り、栄華を極めた奥州藤原氏は滅んでしまいます。

奥州・藤原氏の栄枯盛衰・その歴史や経緯を知っていた松尾芭蕉が、上記の時間軸から約500年後に、彼の地に赴き詠んだのが冒頭の句になります。

※ここまでの前置き長いわ~~~!汗
 芭蕉に関しては、更に西行の絡みもありますが、今回は割愛よ~~~!笑

現代語の意訳 (私見) は、
「かつて武士たちが栄誉を求めて戦ったこの場所には、今や夏草が生い茂るばかりでいあり、昔のことはひと時の夢のように、儚く消え去ってしまったなぁ」

そして実は、この奥の細道の中で、松尾芭蕉が 「杜甫の春望」 の一節を引用しています。

それが、次項でご紹介する 「国破れて…」 の漢詩です。

松尾芭蕉が杜甫の影響を強く受けていたことは有名らしく、広く認知されているようですね。

 

杜甫・春望より

こちらも学生時代の教科書で、漢詩の読み方を習った時に、春望の一節を使っていたように記憶しています。

返り点 (レ点、一二三点、上中下点、甲乙丙点) とか、めちゃ懐かしいですなぁ~^^

この漢詩は、安禄山の乱 (または安史の乱) で、首都・長安の敵中に捕虜として軟禁されていた杜甫が、都の春景色を遠望し、自然の悠久と国の戦乱を対比させながら、自らの不遇を詠んだものだそうです。

「春望」 とは、春の眺めという意味。

「都である長安は、戦で破壊されてしまったが、自然 (山河) の姿は昔のまま残って在る。
城内 (首都・長安) の街にも春が訪れ、草木は深く生い茂っている。」

↑ 意訳するとこんな感じでしょうか。

唐の国の晩期であり最盛期に起こった戦いで、そのきっかけの一つに楊貴妃が絡んでおります。

ちょっと乱暴な捉え方かもしれませんが、この辺りの流れはフランス革命にも通じるような…。

時代や世の中が変わっても・国が変わっても、人というのはどうやら何度も何度も同じようなことを繰り返してきているようです。

この辺りの無常観は、平家物語の一節にも通じます。

 

※芭蕉に比べて ”すんっ” という感じの、あっさり目な解説で終わってしまった…笑

 

共通することは何?

今回の俳句と漢詩、共通することが幾つかあると思うのです。

戦を主題にしているところもそうですが、自然と人の世を対比していることもそうです。

同じ轍を何度踏む氣ですか?
そこからの学びは無いのですか?
学びを活かしもしないのですか?
自然の中に答えはありますよ。
自然を師として、謙虚に学び生かしなさい。

そんなメッセージを感じます。

自然って (生態系や環境についてですが)、環境の変化が起こった時に、必ずしも ”元通りに” 戻ろうとはしません。

もちろん、元通りにしようと回復・復元する力があり、そうしようとしますが、同時に柔軟性も伴っています。

それは、「今ある条件下で、出来得る限り元に戻そう」 とする働きです。

 

過去をそっくりそのまま戻そうとするのではなく、必ず 「今の、私 (≒自然) が、出来ること」 を、最大限、手を抜かず、丁寧で一所懸命に働こうとします。

そういう状態と意識を、人にも求めているということですし、「いい加減、過去の歴史で学んだことを、活かしてよ」 という願いでもある様な。(結構切実だよ?汗)

歴史から学ぶ為には、まずは知ることからですし、知るためには興味を持つことも必要。

その為には、他人事として我関せずにするのではなく、自分事として引き受けて考えるという視点も大切になります。

ミクロはマクロと相似でありフラクタルなんですから、まずは 「ワタシ (の内側)」 からが、基本になりますね。

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これはあくまでも、私の所感の一部。

メッセージをどう感じて受け取るのかは、いつでも!一人一人の手に委ねられておりますよ。


※歴史という、大きな大局・時間の流れで捉えてみると、人の世は国を変えても案外同じことを繰り返しています。それ、いつまで繰り返す氣なの?という問いかけでもありますし、その問いかけは、そっくりそのまま、一人一人に対しての投げかけでもあります。「いつまでそれ、同じこと繰り返すつもり?」。

 

いつも最後までお読みくださり、ありがとうございます。
どなた様も日々の生活をイキイキと、心穏やかにお過ごしくださいますように…☆

 

 

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