暗渠は、最近マニアも多くて、地下などの水路やもう水が流れなくなった水路跡などを探索するのがブームになっているらしい。
職場の周りもその、暗渠だらけで、捨てられた子猫の格好の隠れ場所になっている。
そういう職場の奥に作業着やタオルなんかを洗うため、洗濯機が置かれていて、
自前の洗剤やら柔軟剤やらを持ち込んで、我が者顔で使う同僚がいる。彼が使うレノアの臭いはもはやトラウマ級に私の鼻腔を刺激している。その彼が最近、猫の鳴き声が洗濯場辺りから聞こえると言ってきた。
5日目、私がその声に気付いてから、それほど経った頃の事だ。
なにせ、野良猫が多い所なので、生ゴミを求めてまたやって来ているのだろう。
洗濯場の裏は壁一枚隔てすぐに竹藪に続いていて、すりガラスに映る私の姿を見ると、生ゴミを捨てる人だと知っているので、やんやの喝采が猫たちから浴びせられる。
言ってみればそんな私のファンの一匹だろうと思っていた。
ニーニーとはっきり聞こえる。 近づくと止まる。 この繰り返し。
上司が家猫を飼っていて、猫用の座布団なんかを洗濯機でガンガン洗うのが、死ぬほど気に入らないそのレノアオヤジは、ふんぬんを私に垂れ流す。
あまりにうざいので、洗濯場の外や洗面台の下、床下に至るまでショムニの私は懐中電灯を手に確かめたのだが、鳴き声以外、猫の痕跡がなかった。
7日目にして変化した。
私が近づいても泣き止まないのだ。これはおかしい。
むしろ近づくと声が大きくなる。これは救助を求めているのではないか?
そして思い当たった。
確実に1週間前よりも声が細いのだ。これは衰弱しているに違いなかった。
私はさらに念入りに調べた。車のエンジンにまで入り込むくらいだから猫だったらどこに潜り込んでいるか分かったものじゃない。変なところで死なれたら後々の処理が想像を絶するではないか。だから必死だった。
大きな洗面台と洗濯機と乾燥機が並んでいる。洗面所は大きな作りになっているから、隠れる場所も多いのだが、臭いは洗濯機の周りに集中している。
そうこうしているうちに、いよいよそのニーニーの声はかすれて、よく聞こえなくなってしまった。これはヤバい。
あまりの臭いに、上司が、洗濯場の外にある、来園者用の汲取り便所を、まだ溜まってもいないのに業者を呼んで空っぽにしたのだが、それでも臭いが消えなかった。汚物槽に猫が溺れていると思ったのだろう。 それは違う。
10日目。
その日、レノアオヤジは休みだった。今日しかないと思った。休みだから何か変わるわけじゃないけど、猫の声が聞こえなくなってしまったからだ。
どう考えても洗濯機の裏しか猫がいそうな場所が他になく、意を決してゆっくりと洗濯槽を傾けてみた。
いない。
と、同時にものすごい獣臭と糞尿の臭いがして、洗濯槽の下に敷いてあるパッドに、猫の糞と思しき物体を見つけた。やはりここにいるのだ。
大きな洗濯機をひっくり返してみた。もう、なるようになれだ。私は生まれて初めて洗濯機を下からみた。
目の前にまずは大きな洗濯槽があった。これがドラムってやつ? その周りを囲う、さらなるドラム? と配管。電気的なものは見当たらない。黒かびが所々生えてはいるが、ものすごく汚れているわけではなかった。が、よく見ると、毛がついてる。あっ、かなりついてる。
白、いや灰色の毛。
下を見れば猫の糞。充満する獣臭。そして毛、毛、毛。
でも猫がいない。
一度でも洗濯機の裏をのぞいたことがある人ならよくわかると思うのだが、案外、中の構造は単純である。しかもきちんと丸と角が組まれているように収まっていて隙間はほとんどない。
完全に洗濯機をひっくり返したがそのどこにも猫の入る隙間はないように思われた。
じゃあ、どこに? 気配がする。
猫の息遣い。生き物の息遣い。生きている何かの息遣い。猫がそこにいて、こちらを伺ってじっとしているこの感じ。何度も経験している。
その時微かにニーと声がしてそれは遥か洗濯槽の上部の影から聞こえてきた。見えるような場所ではないけどそこから聞こえてきたのだから、顔を突っ込んでみると、黒い尻尾が見えた。
!!!!!!!
すぐには事情が飲み込めない。
顔を隠しているが、その小動物は、猫だ。
居た。
この猫はうっかり洗濯場に入り込んで人でも来てしまい、慌てて洗濯機の裏にでも隠れ、さらに床と洗濯機の、わずかな、わずかな隙間からその身を滑らせ入り込み隠れたのだろう。
そして登っていった。 洗濯槽を。
この洗濯機では主にお湯を使って洗濯している。しかも毎日2回は回す。だから、春先だったその時期に、猫にとっては暖かい環境であった。それはよかった。
その洗濯機からは、濯ぎにおいて定期的にきれいな水が排出されていた。生命の維持として不可欠な水だけは約束されていた。それはよかった。
以上2点は猫にとってそれはそれはよかった、はずなのに、その幸いは猫の退路を完全に絶ったことになる。 連日、身の側で轟音と共に回転する洗濯槽。まず、生きたここちはしなかったろう。
音だけではない。音と共に足元に溢れ出す洗濯水。泡のたつそれらは洗濯機と床、つまり洗濯機の下に敷いていたパネルの間の隙間を塞ぎ、水が引いた後でさえ、水嫌いの猫にとって、その入ってきた隙間の先を目指すのは容易ではなかったことが推測される。
猫は自ら死を選ぶことすらできないのだ。猫の絶望をいかが知ろう。
想像してみる。
MRIかな。私は大嫌いだ。閉じ込められ、耳元で大きな音が鳴り響くのに動いてはいけないのである。洗濯機の場合はもっとひどい。連日、2回はやってきて、下からは訳のわからない泡とお湯と、水が溢れ出す。しかも、
レノア水。
同僚は猫臭に焦り、ずっとレノアの錠剤を増量していたから、想像を超える臭いであったろう。
洗濯槽の一番奥、位置的には上部の隅っこに丸まって、なかなか出てこないその猫と格闘すること2時間。その部屋を密室にして隣接してある社員のシャワールームに追い入れた。
まずは落ち着かせ、餌を与えた。そのままだと、野良猫だけに外に飛び出してしまうだろうが、何せ、そんな身体の状態なのだから、まともに歩けるわけがない。まずすぐに死ぬ。
数多の中の野良猫の、その後の生死を考えるほど、私には余裕はないけれども、それでも、目の前のこの猫は、いや、命は生きながらえて欲しかった。
体を少しだけ流して静かにしてやり、食べ物を与えてしばらく放っておいた。
かの猫は少しずつ落ち着きを取り戻したが、今まで見た猫のように、跳ね回ったり泣き叫んだりしなかった。ただ、座っていた。
多くの野良猫を見てきたけれども、あんな瞳をした猫を見たことはない。一度、精神が死んだのか。自ら閉ざしたのか。その目に映る私は何枚も何枚もベールの向こうにいるようだった。
それこそが暗渠だと、そう思った。
風呂場の窓にピッタリと体を寄せて、私が見に行った時、猫は少しだけ餌を食べていて、その目で私を見つめていた。ベールが何枚か剥がれて落ちていた。
だけど、私は退社しなくてはいけない時間をとうに過ぎていてので、猫を外に出すことにした。
きっともう大丈夫。そう言い聞かせながら、そっと猫が身を寄せている窓を開けようとすると、猫は慌てて反対側に移動した。
窓の外は春の夕暮れが迫っていて、ぼんやりと明るく暖かだった。
猫はどうしても出ていかない。しょうがないので、側にあった桶で追ってやると、その目はびっくりするほど変化した。今まで望むと望まないとに関わらず、目の前の人間に生死の全てを預けていたことに、図らずも驚いたように見えた。
目の奥にいわゆるキリリとした、自立、というものが湧き出ているように思えた。
轟々たる生への本能が、己の何たるかをついに自覚していた。
猫は窓際に立った。それは少なく見積もっても10日振りの外だったに違いない。
短く、長い長い時間が過ぎる。
一瞬の戸惑い。
暗渠に水が満ち、ゴボゴボと渦を巻き、外の川へと流れ出す。間違いなく自由が、きっとあるはずなのだ。
嬉しいのでもなく、悲しいのでもなく。
一瞬、泣きそうな目をして、スルッと外に飛び出していった。
その時以来、その猫を見たことはない。