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 もうすぐお盆です。

 おばあちゃんが死んで何年目かに、ママからお墓には絶対行かないようにと言われていたのは、知っていると思います。

 おじいちゃんが死んでから2、3年目だったと思います。お墓の管理をするのが長男であるはずなのに、何もかも長女の自分がやっているのがどうしても腹立たしいとママは言っていました。本来はおじちゃんがやるべきだというのです。

 ごめんなさい。ママが止めるからだけではなく、私も子供育てに忙しく、行けずにいたらそのうち、どのお寺かわからなくなってしまいました。あの辺、たくさん、お寺が並んでいるでしょう。ママが言うに、おばあちゃんとおじいちゃんの卒塔婆が2本、土饅頭の上に刺さっているだけで、それも朽ち果て、大きな穴が開いていて、そこに水が入って、お骨のつぼがぷかぷか浮いているかも知れないとのことでしたけど、本当ですか?

 ママがあのような死に方をしたのは、おばあちゃん、何か心当たりがありますか?

 ある日突然、鬱になったと思ったら、嚥下障害が始まり、そのまんまパーキンソン病になりました。私は最初っから最後までママと一緒にいましたが、ボケることなく、あの病気と共に死を迎えることは、とても辛かったろうと思いますけど、一言も苦痛をもらすことはありませんでした。

 あの死に際の姿を思い出すと心がざわつくのです。他にも同じ病いを患っていらっしゃる方が多くおられるのだろうから、パーキンソン病とは全く関係ないこととしてお話しますけど、首をそり手を前で交差させて口を開け、死んでいった姿はあまりに残酷で、あれは、おばあちゃんが死に際におばちゃんたちに言ったという、ママへの恨みではなかったのでしょうか。

 私は、どうしてもお寺がわからず、ネットで知り合った涌谷の拝み屋さんのところへ行って、おばあちゃんとママがあの世で喧嘩しないように拝んでもらったのですけれど、なんだか思っていたのと違っていて、私のお願いは届いてないだろうし、拝み屋さんが唱えてくれた鎮魂の祈祷も聞こえていたとは思えません。

 だからもうお墓詣りも鎮魂のなにかもやめることにしました。

 ごめんね。

 

 おばあちゃん、私はどんどん生きている時間が長くなっています。

 あの幼児期の病気を乗り越えてどんどん生きてます。まだまだ、おばあちゃんやママには足りませんけれど、このままいくと追いつき追い越しそうです。

 今の生活が楽かと言えば、まだ働いていますし、ご存じのように地獄の環境の中にいますから、期待に応えられなかったのだろうと思います。それでも、こうして生きていますし、食べられますし、贅沢はできませんけれども、ちょっとした蓄えで、先日、大阪万博にも行ってきました。

 驚きでしょう?道頓堀に行きました。グリコの看板で写真も撮りましたし、なんと、なんば花月に行って、吉本の喜劇を観てきました。早くその話をしてあげたいと思いますけれど、信じれられないことに私に三人の孫ができまして、そのうち二人は双子で、まあ、にぎやかで、だから、そちらにはすぐにはいけません。

 

 私も車の運転をしていますから、そうです、もうおばあちゃんが生まれた明治の時代ではないので、女の人もガンガン車を運転します。それでいつも、私の隣の助手席におばあちゃんを乗せたい乗せたいと願っているのです。

 世の中を見せたいのです。

 もう、地面はどこを走ってもほとんど日本中、舗装されているので、車の天井に頭をぶつけることなんてないんです。この街には地下鉄が通りました。と言ってももう30年以上になります。南北だけでなく東西もできたのです。駅前のホテルもつぶれました。デパートも二つだけになってしまいました。駅前に何があるかと言えば、商業施設であることは変わらないのですが、おばあちゃんの知っている三越をいろんなビルに分散して大きくしたような感じです。本屋もなくなりました。というか、本屋が世の中から消えつつあります。本好きの私は、それでも本を買って読みますし、スマホで見たりします。

 スマホは電話です。電話帳もこの中に入ってますし、本も入ってます。映画も地図も、デパートも全部この中にあります。びっくりでしょう。

 本当におばあちゃんに見せたかった。どれほど驚いたことでしょう。

 百聞は一見にしかず。

 だから私の車の助手席に乗ってください。

 

 でもおばあちゃんはきっと乗ってくれはしないでしょう。私の事が可愛いから、驚かさないようにお化けになっても、私の前には出てこないって言っていました。絶対に出ないって、言っていました。今も思い出すのですが、では、その分一体誰の所に絶対出たのでしょうか。

 

 先日、双子の孫におばあちゃんの話をしました。お化けが怖いというので、おばあちゃんが死んでも私の所には絶対出ないといった話をしました。でも結局誰の所にも出なかったので、お化けなんかいないとは思うけれども、私も双子のことが可愛いから、死んでもしもお化けになっても二人の所には来ないね、というと、4つの目が涙目になって、出てもいい、と言われました。

 私もまたいつか、あの世に行って、そして、孫たちが助手席を空けて、私の生前見られなかった世界を見せたいと願うのでしょうか。その時は、地下鉄はもっと増えているのでしょうか。もっと便利なスマホができているのでしょうか。

 昭和生まれの私は、今日より明日が絶対楽しく明るいのだと、疑いもなくそう思っています。それは朝起きると新しい色のクレヨンが増えていくような感じです。今日、不便だったことは明日には苦でもなくなり、世の中に色がどんどんあふれていくのです。

 どんどん世の中は色鮮やかになり、どんどん楽しくなっていくのです。

 

 だから、おばあちゃん、もし、この声が届いているのなら、助手席に乗って、私と一緒に令和の街をドライブしてください。

 おばあちゃん、あなたのおかげで私がいます。生きるのは大変です。泣きそうになることがたくさんあります。でも、あなたが私をこの世に遺したのなら、私は、必ず生き抜きます。

 墓参りは行けそうもありませんけれど、私はずっとおばあちゃんが大好きです。

 

                            孫より。