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 今も昔も捨て犬捨て猫は多いが、それでも最近は少なくなってきたように思う。特に、犬はめっきり見なくなった。

 小さい頃はドラえもんみたいな話だけれども、土管に住む野犬が何より怖かった。幼稚園とか、お使いだとか、一人遊びに当然大人が付きそう時代じゃなかったから、人通りの少ない路地裏とか、お昼下がりとか、不意に土管からふらっと犬が舌を垂らして出てくると、もう人生が終わったような心持ちになった。

 不思議なのだが、あの頃は猫より犬の方が多く歩き回っているように思ったし、家の中で大切に飼われているのは猫で、冬には猫で暖を取る話を聞いたものだった。

 

 もし猫に狂犬病みたいな致死率100%の病気を媒介できるなら、野良猫が増えることはないのだろうか。保健所は徹底的に管理するのだろうか。どちらが猫にとって幸いなのかはわからないけれども、生まれたからこそ存在するんであってそれが可愛がられないとなれば、生まれないに越したことはない。

 

 大分前のことだ。職場の広大な裏山のどこかで、またしても子猫が生まれた。

 それが職場の建物の中に迷い混んで騒ぎとなった。部署が離れていたから私はそれに参加しなかったけれども、捕物帳になっていて、結果、逃げられたらしかった。

 

 実はホッとしていた。

 当時、捕獲した捨て猫は、よく出入りしている土建業さんに頼んで処分してもらっていたからだ。彼の処分方法は知っている。段ボールに入れて山の上から蹴り落とすのだ。

 みんな知っていてるけど口には出さない。ただ、持っていってくれと頼むのだ。

 

 一時の一件落着の中、一人仕事をしていると目の端に過ぎる何かが見えた。ネズミより大きいそれは紛れもない子猫であって、今日の猫騒動に加わってはいなかったが、その主役に間違いはないだろうと思った。

 散々追い回されて怯えていたから、物陰から出てこようとはしないけれども、先ほどとは部屋も人も空気感が違うことは分かったのかもしれない。頭を丸めて小さいくなることはせず、息を潜めてこちらの様子を伺っている気配がした。私も刺激をしないようにそっと覗いてみる。

 

 その暗がりに翡翠があった。翡翠という例えだけでも物足りない。碧玉でもあろうか。

 ともかくそこにあまりに深い、翡翠の目玉があった。透明な碧の奥に不透明な碧がある。怯えてもいたし、疲れてもいたが、碧い目玉は凄烈に輝いていた。

 

 一筋の混じり毛もない真っ黒なそれは、ぬいぐるみの熊にそっくりだった。いや、マジ熊とのあいのこってあるかも? そこそこ子猫のくせに足が太くてすらっと長くなくて、どっちりしていた。生後2ヶ月くらいだと思う。体の割に足が太い上に短い。奇形というほどではなくて、すこぶる可愛いい。

 私はぬいぐるみが好きで、こと、熊のが好きなのだが、あの避暑地にあるテディベア博物館にも古今問わずこれほど可愛いぬいぐるみは見たことがない。

 子猫にも色々性質があるのだろう。

 先日書いた白猫は、目の前にあって触ることができない気品があったが、この黒猫は違う。何としてでも抱きしめたい。ぎぅ、と、抱きしめたい。すぐに。

 

 抱きたいがためにひたすら子猫に媚びる。餌で釣る。水で釣る。動かずに側に寄り添う。

 あの手この手で、その子猫は私の手が届くところまでやってくるようになった。

 

 私は掌にその子猫の温もりを感じながら、さらにその先にあるものを考えた。

 私は飼うことはできない。

 この世で私だけが、翡翠の眼差しを受けうる存在であるのに。

 

 目の前の黒い子熊のような小さい塊をどうしよう。

 職場の奥の薄暗い部屋で、そっと大きな段ボールにその猫を入れると水と餌を与えた。そして、少しでも上司の心が動くよう、善さんの心が動くよう、せめて誰かが拾ってあげたいと思えるよう、新聞紙をちぎり始めた。

 文字が並ぶ。

 文字が裂かれていく。

 文字は意味を持たず、いく筋も丸まって子猫の周りを優しく覆っていった。

 

 私が勤め始めてそれほど経っていない頃で、その時はどうにかなると思った。自分が心を乱すように人もまた乱すのだと思った。幼くて小さくて儚いものには、すべからく優しい手が差し伸べられるのだと信じていた。

 この世の全ての排泄物の行き先を知ってはいなかった。

 

 くるくると巻く新聞紙は、翡翠の子猫の玉響の安息となり、一晩の後にその姿を消した。

 

 あれから10年以上、どうして生きていられよう。