線と線の間
駅のプラットフォーム。
ひとりの老齢の男性が階段を降りようとした。その瞬間、手にしたカートが傾き、同時に老人の体も真横になった。躯体は手足を空から吊り下げられているようになったかと思うと、そのままころんころんと回りながら七つ八つの段を跳ねつ叩きつ、降下した。
文字通り、「あっ」という間の出来事。それを見捉えるのは人間の動体視力のなせる業。数秒が数分の映像のように感じられる突発的な事象。これをして、火事場の馬鹿力的能力と言う(言うか)。
閑話休題。
件の老人に手を貸し、本人の無事と意思とを確認したのち階段を上がってきた紳士と、プラットフォーム上にて只今の一幕を見守っていた婦人の会話が聞くともなく聞こえてきた。
紳士の話によると、どうやら老人は階段の降りはじめ部分の点字ブロックに、自身が滑ったか、或いはカートがひっかかっただかしたらしい。とめようと思ったが体が言うことを利かず、手をつこうと思ったその先のあるべきコンクリートは、一段ずつ、下へ下へと削られていく階段の縁、届きそうで届かない、届かぬままに手を伸ばし、そして、ニュートンの林檎よろしく、万有引力の源へと引き寄せられていったそうな。
「雨で滑ったんだね。だめだよね、気をつけないとさ。年寄りなんだから。自分で、こう、と思ったって、体は利かないんだよ。」
「ほんとよねえ、気をつけないと。年取ると自分でいいと思ってもだめなのよねえ・・・・・・。」
今日は他人の身、明日は我が身、とばかりに初老の男女、自分に言い聞かすように、すっかり意気投合して車中にても会話は弾む。
年寄りは、気をつけないと。
その繰り返しを線路の継ぎ目の音のリズムに乗せて繰り返し耳にしながら、車窓の景色を眺める。
雨のせいで、ビルの頂上部分が霧にかすんでフェイドアウトしている。
どこが境で、外が見える階と、そうでない階になるのかな・・・・・・。
年よりは気をつけないと、か。
ある人の危険を回避するための措置が、別な人の危険の発端になったりする。
他人と同じものを持てないことは被害損害で、他人と同じように加齢して行くことは自縄自縛の罪と罰か。
そうかもね。どこかで、何かに、区別しないと、社会というのは、共同生活だものね。
手を貸すわけでも、気の毒に思うわけでもないのは、身内でも両親でもないことを承知の上だから。
なぜって、父親は既に死んでしまったし、母親は女で、吹き飛んだ帽子の下は禿頭だった、先の老人とは似ても似つかないから。
それに、次にくる電車に乗らないと遅刻しちゃうから。
頼まれもしない人の世話焼いて、物足りないとでも思われたら業腹だから。
東京ではこんなこと日常茶飯事で、特に気に留める必要など、ないことだから。
あなたの前世は?
「あなたの前世はクロマニョン人です。
種類:新人
年代:約4万年前
居た所:フランス
あなたは骨角器や石器を使い狩りに励んでいました。
前世のことを思い出せたでしょうか?
現代を精一杯生きてください。 」
どーよ?クロマニヨン人、フランス在 住でっせ♪
なにやら因縁づけたくて、うれしいわあ(*^_^*)
(さて、これは、公開日時予約により掲載しています)
金木犀
今夜帰途にて金木犀が香った。
子供のころ暮らした家、町、家族を思い出す。
そこへ母からのメール。
「夏のスリッパをしまいました」
季節の移り変わりを知ることを教えてくれた時代と人はそのままなのに、様々な美しさや喜びに気づかなくなってしまったのは、私自身の心が貧しくなってしまったからなのだと思い知らされる。
半分にパキンと割った空の銀貨は、水平線まで、きらきらとした光る道を作っていた。
今度の月曜は、満月の日。




