冬の東京
夜の東京はとてもきれいだ。
乾燥した空気に、ネオンサインやビルや家々の灯りがくっきりはっきり瞬いている。
夏ではこうはいかない。湿ったしけったぼんやりとした明るみにしかならない。
冬ならではの東京の夜の美しさ。
寒い風が吹いて、その灯りのまたたきをみて、そして、光の下へ向いたくなる。
たとえば仲良しの友だちに会うために、たとえば愛しい恋人に会うために、たとえば大切な家族に会うために。
寒さは、夜は人恋しい気持ちにさせる?
否。
決してそんなことはない、少なくとも自分にはない。私は冬や寒さが大嫌いだから、人どころじゃない、この寒さを少しでも軽減させることだけに心とらわれるのが常だった。
雨も苦手だ。傘をさすのがわずらわしいし、空を見上げることができない。海を遠くまで見通すことができない。雪は言わずもがな。寒く冷たく空を海を隠す。
人は変わる。陽が昇りまた沈むその繰り返しに乗って。
このごろ私は少しだけ冬が好きになった。
ぴんと張り詰めた朝の空気、しんしんと冷え込む音をさえも地面に押し付けてしまう夜の冷気を、ものともせず光り輝く街の灯、空の星、沖の漁火。
美しい。
人はないものねだり、自分に足りないものを求める。
病めるものは健やかさを、貧しきものは富を、不遇なものは名声を、男は女を、女は男を、醜い野獣は美女を。
美しいものが好きだ。輝くものが好きだ。透き通った儚いものが好きだ。
私は醜くどんよりと澱んでそのくせ叩いても壊れない愚鈍な不要物、ということか。
それでもいい。
それもいい。
人間っていい。
生まれて死ぬまで、毎日にいろいろと出会う。
心ときめかせ、心痛み、そしてまた、明日を迎える。
月のない晩も、東京には様々なたくさんの光があふれ、そして、人々が泣き、笑い、喜び、怒り、二度と全く同じには繰り返せない小さな物語を紡いでいる。
それを眺めていることだけでも幸せな気分になれる。
少しだけ、今更ながらに、大人になった、今夜。
美しい。
東京の夜と、そこに集う全ての人々。
あまり関係ないけど
ジェネオン エンタテインメント
始まりと終わり
月 の始まりは新月?満月?
新月、っていうくらいだから、だんだんと膨らんで、まんまるになったときが最高調ってことだよね。
満月からだんだん欠けていって、まっくらなときが最高調って考えはヘンなわけね、いちおう。
始まりはお終いの大前提。
お終いは始まりの大目的。
というか、始まりは終わりに向かう生まれながらの死刑囚。
パスカルでも勉強しろってか?(*^。^*)
森近未来研究所
先般、ダ・ヴィンチ展 を観にいった足で立ち寄ったヒルズ 内の展示。
ニューヨーク、東京、上海なんかの鳥瞰写真を使って作ったらしきジオラマがあるんだけど、興味深かったわ~。
ニューヨークと東京を比べると、全般的にニューヨークの方が一つひとつの建物が大きめ。
町としての広さはそんなに変わらないか、東京のほうがむしろ広いように思うけど、戸建の家とかが小さいからか、なんだか東京のほうが、ちまちま密集したゴミゴミ感が強い。
それと、明らかな違いは、土地の起伏。
同じような平方で切り取ったとすると、ニューヨークはほとんど全てが平坦。
それに比べて、東京は小さなでこぼこがたくさん。広々とした平らなところは、厳密にはなさそう。
いや~、地図とか模型とか大好きな私としては、これは、時間があれば細かいとこまでじっくり見たかったわ~。
それから別室にて上映されていた映画(?)もよかった。
観客はヘリコプターかなんか、空を飛ぶ乗り物から街を見てるような視点なの。ところどころ、ターゲットをロックオンしてその部分をズームアップ、たとえば公園の池でボートに乗る恋人たちの会話とかを、上空何百メートル(?かどうかわかりません、そういう感じ)から、こっそり聴いちゃうの。
『東京スキャナー』とかいうのかな??面白かった。
また、見たいな、あのジオラマ。
また、観たいな、あの映画。
二度と行かないだろうな、六本木ヒルズ、森近未来研究所。
『帰愁』
「許して欲しかった ふざけすぎた私
久しぶりのそのまなざし さよならが怖くて
私の名前を呼び捨てにできない
遠くなったあなたがいた
昨夜は目の前に
あの日からの悲しみを素直に言えたら
もう一度髪に触れてくれたの?」
こんな歌詞だったと思うけど、手元にはレコードもCDも持っていないからわからない。
意外とたくさん覚えてる。この先も記憶にあるけど、あとは曲とともに。
一昨日くらいから、階段を降りるときに思い出すのよね~なんだろ・・・・・・。
- 松任谷由実
- OLIVE
書き病み
あちらこちらへつまらぬ戯言を書き散らかしていたら、天罰が下った。
腱鞘炎。全治期間不明。身から出た錆び。一億二千六百何十万かしらぬが、国民総作家時代の流れの舟にあつかましくも乗り込んで、身の程知らずに、できもしない記述表現など、具現しようとしたのが運の尽きとは自縄自縛。神様はあらせられたらしいよ、ロドリゴ。
小手先なんぞの腱鞘に炎症を起こすその先に、既に私は病んでいる(北斗の拳?)のですから。そう、つまり、書かずにはいられない「書き病み」なのです。
あれやこれやそれやどれや、頭の中にいろいろ湧き上がり膨れ上がり腫れあがり、二重構造のかまど炊きの米粒のように、対流し、踊り跳ね、ランゴリアーズのように、ものすごい勢いで走りまわっているのです。何が?
虚実混合、配合禁忌、非禁帯出な、悲喜こもごもの思いの数々、くだらぬつまらぬ思い付きの様々が、です。
もうこうなったら、命(手指の)が尽きるのが先か、脳細胞の破裂が先か、ここを先途と先を争い、理性に抗い、いけるとこまでいこうじゃありませんか。書けるとこまで、書き抜こうじゃありませんか(←おーげさ)。
所詮は自分のためだけにしか生きられない。目にしたくない人は静かに去って行ってくださるか、或いはお見捨てくださるだろう。さるさる云わないでくださる?
気ままに、気まぐれに、書き病み人生を全うしようじゃござんせんか。
いいじゃないの、あたしだって。
ここで出会ったのも何かのご縁よ。
叶えてロジュマン。片手でロジュマン。 カカセテ~ロジュマン。
あほかいな・・・・・・。
翻訳の力
- 二度ある ことは三度ある 。
- 手前味噌で恐縮ですが、これが三度飛脚の三度笠。
- ランゴリアーズの話です。
- 私は最近字幕版というのを初めて観ました。今まで観ていたのは、かつてNHKで放送したものを家でビデオ録画したもの。あとは文春の文庫で読みました。
- さて。
- いかに英語のわからぬ私といっても、俳優の肉声とともに映像を観るということは、それはそれは、より一層の迫力をもってして私に迫ってくるに違いないと期待していました。
- が。
- もう何度もビデオをみているので、セリフは大よその内容で覚えています。
- そして、それなのに、それだから、字幕版のこのビデオ、この字幕、ないほうがよかった。
- 違う。これでは、この場の雰囲気が伝わらない。
- 原語の直訳のほうがずっとわかりやすいのに。
- わざと観念的に訳してるのはなぜ?
- あるいは、辞書くびっぴきで手を抜いたか?
- といった訳っぷりが随所に感じられ、面白み半減の感が否めませんでした。
- 私の既にもっていた吹き替え版の方の翻訳のほうは素晴らしかった。
言葉というものはすごい。
適材適所、TPOにて、上手な配分配合をするとき、良くも悪くも人の心を動かす。
簡単に言えば、私がここへくずみたいなことぐだぐだ毎日つづって、人の迷惑ってことだ。
お暇なら見比べてみるとよろしくってよ。
ま、早い話、私の好みの問題にすぎないんですけどね。
- キングレコード
- ランゴリアーズ(字幕)
- キングレコード
- ランゴリアーズ(吹替)
噂をすれば影
土曜日だったと思う。
体調最悪で、帰途。降りた駅からタクシーに乗る。
「こんばんは!どちらまで?」
元気のいい声。齢還暦ほどの男性。疲れてるのは私だけでよかった。運転手さんまでヘロヘロだったら、脱力倍増しそうだもの。
「**山までお願いします」
「はい!**山ね、どっちから行きますか?」
「・・・どちらでも。行きやすいほうで」
「行きやすいほう・・・・・・。はい、わかりました!どっちがいいかなぁ・・・・・・。」
独り言をいいつつ、信号と交通状況を見極めつつ、直進。
うん、こっちね、剣さんのシンデレラリバティの前の道ね。
彼はアクセルを踏み込む。乱暴なのはいやだけど、スピードのあるのは決して嫌いじゃない。
最初の信号、赤。停止。
カチカチカチ・・・・・・。
ダッシュボードを爪でたたいてリズムを取っている。カーラジオはつけてないけど。
「**山、いいとこですよねぇ」
・・・・・・いやな予感。話したい気分じゃないんだな・・・・・・。ひとりにしておいてほしいの。でも、返事しないのも失礼かな。それが間違いの元だった。
「・・・・・・ええ、まあ、そうですね」
「ふっ・・・・・・・なんか、あんまり、そうでもなさそうな返事だねぇ」
「・・・・・・(ほっといてくれ)、いえ、そういうわけじゃ・・・・・・毎日いると特にあまりなんとも・・・・・・。」
だからさあ、そっとしといてよ。吐き気もするし、おなかも痛いし、手も痛いんだよぉ・・・・・・。
「長いんですか?**山?」
「・・・・・・いえ、そうでも・・・・・・。」
「生まれたときからじゃないんですか?生まれたのはどこ?」
・・・・・・ほっとけ。
「・・・・・・ええ、生まれたのは違います。」
「どこ?前はどこに住んでたの?」
どこだっていいだろ?!もうやめてくれぇ!
「・・・・・・横浜です・・・・・・(はぁぁぁぁぁ)。」
「横浜?どこ?」
どこでもええやん?!
「(イライラ)・・・・・・どうして、ですか?」
「や、俺もさ、横浜だから。保土ヶ谷」
・・・・・・・あっそ。それがどないやねん?!うるさいなあ!
「・・・・・・中区ですけど・・・・・・。」
「そうかあ!」
「・・・・・・・。」
勘弁してくれよ。信号で止まるたんびにカチカチカチ、走ってる間は質問攻め、ええかげんにせえよ。あたしは疲れてるんじゃ。あんたと話したないねん!
到着。
「はい、おまたせしましたあ!2,020円。2,000円でいいよ!」
「・・・・・・いえ、はい、これ。ありがとうございました」
きっちり2,020円あったので支払いを済ます。20円ぽっちで、おごってやったなんて気分になられてたまるか。俺は気前のいい男、なんて気分にさせるもんか。
「ありがとうございました!」
元気なのはいいんだけどさ、金払ってホステスする気ないんやわ、あたし。ケチやからな。
今朝、急に、思い出して、上司にその話をして、二人で怒って笑った。
「そういうときは、こういうのよ。『電話しなきゃいけないとこがあるから失礼』って。あたしはいつもそうしてるわよ」
なるほど、そうかあ!
「一人でしゃべってたっていいじゃない。わかりゃしないんだから」
確かにそうだ。
今度また、そういう場面に遭遇したら、あたしもそうしよ。うん、そうしよ、絶対。
今日は手が痛かったので医者に行って帰りが遅くなった。
土曜日と同じく駅を降り、タクシー乗り場に向かう。
前を歩くご婦人はバス停に行くのか、タクシーに乗るのか、中途半端な位置を両手の振り分け荷物でゆらゆら歩いている。やがて、一台目のタクシーの扉が開き、件のご婦人が乗り込むのを見届けた。後続の車のドアの脇で私は止まる。扉が開く。
「こんばんは!どちらまで?」
いやな予感。この声の張り、この弾むような挨拶。
「**山お願いします・・・・・・。」
「はい!**山、どちらから行きます?」
・・・・・・間違いない。例の人だ!!やばい!
「△△山のほうから」
「△△山からね!はい、わかりました!」
すぐさまバッグより携帯電話を取り出し、メールをしてる振りを始める。話なんぞ始めて、お客さん、こないだの人?などと思い出されでもしたら、でもって、さらにしつこい質問攻めに会う羽目にでもなったら、もう密室で逃げ場を失ってしまう。こんなとき、私は悪い予測ばかり立ててしまいがち。そして、あながち懸念にのみならず、実現してしまうのだ。
果たせるかな、最初の信号はいつものように、赤。
「もう、11月も明日で終わりですねぇ」
きたあぁぁぁぁぁぁ!
「・・・・・・ええ、そうですね・・・・・・。」
「早いですね!明日から師走ですからねえ!」
「う・・・ん・・・そうですね・・・・・・・。」
負けてなるものか!あたしゃ今、仕事のメール確認で急がしいんや!
「寒くなりましたよねぇ」
「・・・・・・えぇ・・・・・・。」
会話を弾ませたりするものか!ええい、負けないぞぉ!!
赤信号の度のカチカチカチに堪え、急発進急ブレーキ、山登り山降りをこらえ、眼の前の画面だけ見つめて、ポストペットの世話をしたり、もう既に読んだメールを再三再四読み返し、目の前ぐらぐらになりながら、到着。
「おまたせしましたぁ。2,020円です!」
「はい、これ・・・・・・。」
「はい、30円のおかえしね、ありがとうございましたあ!」
普段ならお釣りはとっといてくださいという金額だが、今日は忍耐費として頂戴いたしました、30円。おーきに。
上司のおかげで、私にとっては迷惑千万以外の何者でもない無為な会話を避けられてよかったものの、思い出して思いつきで、つまんないことを話題にしたりするもんじゃない。
噂をすれば影。
剣呑、剣呑。くわばら、くわばら。
だからいったじゃない(の)
後の祭り、いや、そうでもないまでも、あいた、しまった、しそんじた、ようなとき、いろんな場面で使用可能でございますが、私はこの表現が好きじゃござんせん。
「だから言ったじゃない」
それがどうした。さっきからすまないって謝ってるだろ。鬼の首獲ったみたいに言うんじゃないってんだよ。
あの時、ああ言っただろ?、あたしゃ、だから言ったんだよ、てな具合にふんぞり返られてもね、はい左様で、あいすいませんでした、とでも謝りゃあ、気も事も済むってのかい?それであんたは自分のお株が上がっとでも言うのかい?
はいはい、結構でござんすよ。あたしが悪うござんした。で?後始末はどういたしましょうか?
え?なに?お前が悪い、だから、あれほど言ったのに?ったく、だから、いわんこっちゃない・・・・・・、
ってしつっこいんだよ、いい加減。起きちまったことはしかたないだろう?
ほんとはさ、あたしだって別に自分だけが悪いなんて思っちゃいないよ。だけどさ、だけどね、それじゃあ、先に進まないだろ?ここでいつまで、お前が悪い、あたしゃ悪くない、って言い合ってたって、どうにもならないじゃないか。
肝心なのは、失敗したあと、間違ったあと、どうするか、だろ?
まず、謝ることさ、素直にね。誰だって、完全な完璧なできばえの人間なんていやしないよ。機械だってさ、設定した以外のことに使おうとして壊れちまったり、しくじったりすることだってあるだろ?なんだって、そうだよ。だから、日本だって外国だって、いろんな文明やら産業やら進歩してさ、より良いものとか、便利なものとか、作り出したいって、思ってきたからこういう暮らしがあるんじゃないのかい?月並みだけど、失敗は成功のもと、人間は考える葦 だってことだよ。
失敗したら、失敗を認めること。それから、修復の効くことだったら修理にかかること、もし、なおせないなら、次から同じ間違いをしないこと、そういうことだろ?
間違いや失敗は、ないほうがいいに決まってるさ。でも、もし、起こってしまったら、そのことに執着して、やいのやいのいっててもしょうがないじゃないか?ましてやさ、自分だけは悪くないみたいなこと声高に言うなんざ、いい大人のすることじゃないんじゃないかと思うね、あたしは。まるでさ、
「いーけないんだ、いけないんだ、せーんせいに、言うたろ」
って、粗相した小さい仲間を囲んで歌ってるみたいに聞こえるよ。そんなことで、自分の方が偉いみたいに勘違いしてるあんたのほうがよっぽど恥ずかしいってんだよ。
いつだってそうだよね、あんたはさ。間違いや失敗を指摘されて、責められてるんじゃなくて、事情を聴取(取調室か)されてるときにさ、ごめんなさい、すみませんのひとこともないよね。でてくるのはさ、
「だって」「でも」「そんなこと言われても」
カタハライタイってんだよ。わかったわかった、おまいさんが偉くて正しいのはわかったから、そんなに偉きゃ、誰からも尊敬されるような潔い働きしてみせてごらんよ。そうしたらさ、そんなに自分から宣伝してまわんしなくったって、ちゃんと、人も金もついてくるさ。
などという情景は、夏の暑い日、神田明神の木陰にて。いつの誰の話でございましょう。
あたしゃ別に泣いちゃいませんが、ひとつ、おまけね。
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