イジリとイジメの境界線 | 雨水日記

雨水日記

映画・音楽・本・ゲーム・漫画・アニメ・・・その他諸々のレビュー中心のブログ @amamizu24

昔からイジリとイジメの境界線は難しいとされている。当たり前だ。被害者と加害者とでは状況の認識が全く違う。でも、被害者がいるならそれはイジメと言われても仕方ないよねと思うのが私の立場だ。

この境界線の問題を想起させる状況を何度か経験してきた。そのことをふと思い出したので、今これを書いている。とりあえずまずはどんな状況か読んでほしい。

ある程度仲の良い3人がいるとする。2人がお調子者で、残るもう1人が、そんな2人のギャグを理解しつつも、自分はいつも一歩引いてツッコミを入れる立場だったとする。2人が一緒にふざけ出すと、時に、残る1人に「お前も一緒におちゃらけないと場がシラけるぞ」という無言の圧力をかける場合がある。さて、この後何が起こるだろう。

おそらく2人は、残る1人が自分を捨ててノッた瞬間に自分たちがふざけるのを止め、「なにやってんのこいつ」という冷めた目で見るという手法をとる。

何故か昔から、全員このオチでまとめたがる。おそらくおちゃらけている人達にとっては、最も簡単な「締め方」なんだろうけど、残る1人にとってはノッても、ノらなくても滑るという図式になっているのだ。それを知っているから1人は躊躇う。彼らとテンションを同じにして良いものなのか、した瞬間にハシゴを外されるのではないか。そしてたいていの場合、予想は的中する。仮に不動を貫いたとしても、「つまんね」の一言が待っている。


私は大体において、この1人のタイプであった。人によっては常にこの1人の役回りにだったかもしれないし、一生この役回りを経験しない人もいるだろう。それは仕方ない。ただ、この「笑いの踏み台」として使われ続けるのは良い気はしない。


常におちゃらけている人、スポーツをやっている人。「2人」に入るのは大抵スクールカースト上位の人だ。たった3人のコミュニティの中ですら、ささやかな階級の差がそこにあった場合、この状況はいつも起こりうる。これが最も身近なイジリとイジメの境界線なんじゃないかと思ったので、忘れないうちにここに残しておく。