前回の記事に続き「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」の中編です。
 
 
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読書する少女』 1845-50年
 
カミーユ・コロー(Camile Corot)作
 

 フランス出身のコローはバルビゾン派の一人に数えられ、森や湖の風景画でよく知られている画家です。神話や歴史物語の背景として理想化された風景ではなく、イタリア(コローはイタリアへ旅行し、イタリア絵画の明るい光と色彩にも影響を受けています)やフランス各地のありふれた風景を詩情ゆたかに描き出しています。こうしたコローの手法はのちの印象派の画家たちにも影響を与えました。 
 
 彼の人物画に『真珠の女』という傑作がありますが、この『読書する少女』も小品でありながら目を引く存在感がありました。日常の風景を切り取った、労働者や農民のありのままの姿を捉えたコローらしい作品ですね。どこがどういいのか上手く言葉では説明できないのですが、改まった肖像画よりも私の記憶に強く残った一枚でした。
 
 
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『燕』 1873年
 
エドゥアール・マネ(Edouard Manet)作
 

 マネというと『草上の昼食』や『オランピア』などスキャンダラスな作品のイメージが強いという方もおられると思います。しかしそのスキャンダルは意図したものではなく、マネ自身は保守的なブルジョワであり、サロンでの成功を切望していました。主題や造形の面でそれまでとは違うものを生み出し、印象派の画家たちから敬愛され、彼らに大きな影響を与えました。その一方で、マネも若い画家たちから影響を受けていたそうです。
 
 この『燕』という作品では、のどかな草原で黒いドレスと白いドレスを着た二人の婦人が寛いでいる様子が描かれています(黒いドレスの婦人がマネの母、白いドレスの婦人はマネの妻だそうです)。タイトルになっている燕は画面の右側で草の上を低く飛んでいます。「燕が低く飛ぶと雨」と言われているように、雲の多い空に風が吹いて、何だか今にも雨が降り出しそうな雰囲気がよく表れている一枚です。
 
 
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『ワシミミズク』 1881年
 
エドゥアール・マネ(Edouard Manet)作
 

 こちらも上記と同じマネの作品です。今回の展覧会で生き物だけを描いた作品はこの一枚だけだったので印象に残っています。壁に吊るされたワシミミズクが描かれているのですが、他の物が何も描かれていないせいか、すぐにどういう状況なのか判断できませんでした(私には初め、ワシミミズクが木目の机の上に置かれているように見えました)。マネがそういう視覚効果を狙ったのかどうかはわかりませんが、面白い作品だなと思いました。
 
 
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『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)』 1880年
 
ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)作
 

 今回の展覧会の目玉でもあったルノワールの作品です。印象派の絵画の中で「最も美しい肖像画の一枚」と称され、展覧会のパンフレットにも「絵画史上、最強の美少女(センター)。」というコピーがつけられていました。描かれている少女はベルギー、アントワープ出身のルイ・カーン・ダンヴェール伯爵(ユダヤ人の銀行家)の長女・イレーヌ(当時8歳)で、1880年の夏にカーン・ダンヴェール家の庭で描かれました。
 
 ルノワールに肖像画を依頼した彼女の両親は、当時の美術界で高く評価されていた古典的な作風を好んでいたため、この絵をあまり気に入らなかったそうです。逆に、私個人は実物の絵を見てすっかり魅了されてしまい、ルノワールの作品の中でもダントツで好きな一枚になりました。ルノワールの絵は晩年のふくよかな裸婦像のイメージが強く、寧ろ苦手な方だったのに現金なものです(苦笑)
 
 これまでネットやテレビで何度もこの絵を見てきましたが、それほど特別なものは感じていませんでした。しかし、展覧会で見たイレーヌ嬢はキラキラと輝くようで、全てが完璧とも言える佇まいでした。パンフレットの煽り文句も決して大袈裟ではなく、絵の中の彼女は本当に美しかったです。
 
 
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『自画像』 1887年
 
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)作
 

 言わずと知れたオランダ、ポスト印象派の画家ゴッホ。非凡な才能を持ちながらその時代には評価されず、壮絶で悲劇的な彼の生涯をご存知の方は多いと思います。ゴッホは10年ほどの画業の中で約37点の自画像を描き残しており、今回の展覧会でもその一枚が展示されていました。実物はこの画像よりもう少し青っぽかったように記憶しています。
 
 ゴッホの絵に関しては『夜のカフェテラス』など好きなものも多いのですが、作品によってはじっと見ていると何だか落ち着かなくなってくるものもあります。絵画の表現技法によるものなのか、彼の精神状態がそこに表れているからなのかはわかりませんが、自画像はそういった印象を受けるものが多いように思います。いずれにせよ、展示されていた肖像画の中で、彼の自画像が異彩を放っていたのは確かです。
 

後編へつづく