奄美諸島のおける住民の軍事動員(6) | 鹿児島県奄美諸島の沖縄戦

鹿児島県奄美諸島の沖縄戦

ヤフーブログから移行しました。随時更新していいきますので、よろしくお願いします。

 沖縄戦では中等学校・師範学校の男子学徒が鉄血勤皇隊として戦場に動員された。多くは通信隊員として動員されたが、直接米軍と戦闘した学徒も少なくなかった。

 奄美諸島でも、大島中学校の学徒が「特設防衛通信隊」(註1)として、奄美大島と徳之島の陸軍部隊に動員された。特設防衛通信隊の活動については、特設防衛通信隊記念誌新版下編集委員会『記録のない過去 特設防衛通信隊記念誌』(同記念誌頒布委員会 二〇〇〇)に詳しい。そこで本稿では特に註釈のない場合は、(『記録のない過去』〇〇頁)と出典を記すことにする。

 記録によると、学徒に対する通信訓練は、一九四四年にさかのぼる。五月七日と五月二一日に一年生がモールス訓練を、六月九日にも一年生がモールス信号を、七月七日に一・二年生のモールス信号訓練が、七月一一日にも二年生の通信訓練が行われた。(註2)

 かなり早い時期の通信訓練だが、後の学徒動員とは直接の関係はないと見るべきだろう。なぜなら同年五月七日の訓練で二年生側溝構築、三年生は農耕修練、四・五年生は薪運搬奉仕(註3)と、全学年が軍事動員を意図した活動を行ったわけではない。

ただし同年四月八日には大島中学校特別警備隊編成の件で軍警備隊長黒木中尉が来校し(註4)、五月一二日には球第七〇七大隊から学校警備隊編成計画が送付された。(註5)球第七〇七大隊とは特設警備第二二一中隊((球第七〇七六部隊)在名瀬。)のことである。

 計画の詳細は不明だが、おそらく学校警備隊には学徒が戦力として組み込まれていたと思われる。名瀬は古仁屋の陸軍部隊主力から離れていたので、学徒は戦力として期待されていただろう。学徒を戦力として動員するという発想は、既にこの頃から存在していたのである。

 特設防衛通信隊編成の動きが具体化するのは、学校の記録では一九四五年二月に入ってからである。二月一七日に「特設防衛隊編成につき注意」があり、翌一八日の五・六時限に特設防衛通信隊が編成された。一九日午後一時に開講式が行われ午後五時まで班ごとに訓練が行われた。この日が訓練の開始である。その後通信訓練は三月二〇日まで断続的に行われた。時間は午後五時までだった。(註6)

 日にち不明の二月の朝礼の際、指揮台に立った配属将校が「名前を呼ばれた者は朝礼終了後、講堂に集合せよ」と、一年生・二年生各四〇人の氏名を呼び上げた。講堂に集合した生徒に配属将校は、彼らが特設防衛通信隊に選抜されたことを告げ、「身体の悪い者や、家庭の都合で辞退したい者は申し出ろ」と通告し、明日家族には内緒で印鑑を持参すること、今回の入隊は軍機なので他言無用と付け加えた。(『記録のない過去』一二一頁)

 翌日通信隊は無線・有線・暗号の三班に編成された。無線班は軍無線班と部隊無線に細分された。一九日から開始された訓練には、重砲兵第六連隊から派遣された軍曹他三人の兵士があたった。(『記録のない過去』一二一頁)教官は暗号が井ノ上上等兵、無線が近藤兵長と村田軍曹、有線が藤田兵長だった。(『記録のない過去』一七一頁)

 訓練は一般の教室とは隔離され、隊員以外の生徒の立ち入りは禁止された。無線班はモールス符号の暗記、電鍵の叩き方、イヤホーンから流れるモールス信号の受け方等、朝八時から夕方五時・六時頃まで行われた。(『記録のない過去』一二二頁)

三月一六日には健康診断が行われ、一七日には通信隊長が教育状況を視察した。一九日には通信隊が「極洋丸」で作業をした。(註7)「極洋丸」からは村田軍曹に引率されて、道路から渡されたつり橋を渡って、無線室からいくつかの電鍵を持ち帰ったという。(『記録のない過去』二〇七~二〇八頁)これは訓練用機材を持ち帰るためだったらしい。(註8)

 ここで特設防衛通信隊と沖縄県の鉄血勤皇隊との関連について触れておこう。三月三日の第三二軍の命令で、先島集団司令官ならびに奄美守備隊長に対して、「鉄血勤皇隊の編成ならびに活用に関する覚書」を基本として、鉄血勤皇隊の訓練を援助することを命じた。(註9)先島集団の管轄する宮古島・石垣島方面でも、鉄血勤皇隊が編成されている。この資料から、特設防衛通信隊も鉄血勤皇隊の一部として位置づけられていたことが判明する。

 覚書は第三二軍司令官と沖縄県当局との間の合意であり、「他の諸島」(私註、先島諸島や奄美諸島を指すか。)での学徒動員は、「本島での動員に準じて、現地守備隊長と現地県当局との協議によって決定される」(註10)こととされた。奄美諸島の場合は独立混成第六四旅団と鹿児島県現地当局との間で、協議が行われたのだろう。

 また覚書では「軍は訓練において学校当局を支援する」「必要ならば訓練のための指導員を派遣」「訓練に必要な武器は物資は必要ならば軍が貸与または供与」するとされた。奄美諸島でも軍が訓練のために兵士を派遣している。

 また鉄血勤皇隊の動員時期も特設防衛通信隊と近接している。鉄血勤皇隊のうち通信隊の入隊時期を見ると、沖縄県立第一中学校が三月中旬頃まで訓練して三月二八日に入隊、沖縄県立第二中学校が三月二〇日頃まで訓練して三月下旬に入隊、沖縄県立工業学校が三月中旬まで訓練して三月二九日に入隊と(註11)、おおむね三月二〇日頃まで訓練をした後に入隊している。

 

(註1)防衛研究所戦史研究センター所蔵『独立混成第六四旅団作戦関係資料』

(註2)鹿児島県立大島高等学校創立百周年記念事業実行委員会編『安陵 創立百周年記念誌』(同会 二〇〇二) 三三二~三三三頁

(註3)前掲註2 三三一頁

(註4)前掲註2 三三〇頁

(註5)前掲註2 三三一頁

(註6)前掲註2 三四〇~三四一頁

(註7)前掲註2 三四一頁

(註8)『平和を祈って語り伝えたい私達の戦争体験』(財団法人鹿児島県老人クラブ連合会 二〇〇六) 八二頁

(註9)沖縄県教育庁文化財課史料編集班編『沖縄県史 資料編23 沖縄戦日本軍史料 沖縄戦6』(沖縄県教育委員会 二〇一二) 八四〇~八四一頁

(註10)前掲註8 八四一~八四三頁

(註11)大田昌秀『沖縄鉄血勤皇隊』(高文研 二〇一七)