1945年3月1日、悪石島南方海域で日本軍の船舶が相次いで米軍機に攻撃された。午前10時13分には、山川港から瀬相に向かう途中の大島防備隊所属の護衛用漁船「第三大盛丸」「第二玉力丸」「第五千鳥丸」の3隻が、悪石島南25浬で米艦載機2機の攻撃を受けた。(註1)これとほぼ同時刻の午前10時15分、大島防備隊所属の特設駆潜艇「第三号報国丸」と特設監視艇「大斗丸」は、悪石島の140度30浬で米艦爆2機と交戦した。(註2)
この日奄美諸島をはじめ南西諸島一帯には、米機動部隊艦載機が来襲した。この日午前7時10分に空母「レキシントン」を発進した、第9戦闘飛行隊のF6F4機(機銃弾のみ装備)は、320マイル捜索に出撃した。4機は2機ずつに分かれていたようで、0度から10度と10度から20度と、それぞれ別の進路を取っていた。
0度から10度を飛行した2機は、FTC1隻と機帆船4隻を北緯28度50分・東経129度30分で発見した。2機は機帆船2隻を銃撃し多数の命中が目撃され、大きな破片が飛んだ。2隻の機帆船は海上に停止したが、火災と煙は目撃されなかった。
10度から20度を飛行した2機は、機帆船2隻を北緯28度48分・東経130度で発見した。4回の銃撃が機帆船1隻に対して行われ多数の機銃弾が命中した。その機帆船は爆発し煙を出した。2回目で機帆船の何かが爆発しその間煙が出て、それから破片・油・黄色の金属を海上に残した。その機帆船は進行し続けた。(註3)
0度から10度を飛行した2機は合計5隻の船を発見して機帆船2隻を攻撃しているので、「第三大盛丸」「第二玉力丸」「第五千鳥丸」を攻撃した2機だろう。日本側の資料では「第三大盛丸」「第二玉力丸」が船体及び機関が中破し浸水が甚大となっている。(註4)10度から20度を飛行した2機は機帆船2隻のうち1隻を攻撃しているので、「第三号報国丸」と「大斗丸」を攻撃した機だろう。日本側の資料では2隻のうち「大斗丸」が船体を小破した。(註5)報告書には「両方の捜索はほかの機帆船を見たが、燃料の残りが少ないため攻撃しなかった」とあるので、両者の編隊はお互いに近い場所を飛行していた可能性がある。
報告書は攻撃時刻を午前11時15分と午前11時10分とするので、日本側の資料と約1時間の相違がある。だが日米ともに両者の攻撃時刻をほぼ同時刻とすること、攻撃地点がともに悪石島の南方海上であることから、先述の日本側の2つの空襲被害のことを指していると考えられる。
(註1)防衛研究所図書館所蔵『大島防備隊戦闘詳報 S20・3・1』 1255頁
(註2)防衛研究所図書館所蔵『大島防備隊戦闘詳報 S20・3・1』 1268頁
(註3)国会図書館所蔵の空母「イントレピッド」の戦闘報告書
(註4)防衛研究所図書館所蔵『大島防備隊戦闘詳報 S20・3・1』 1255、1278頁
(註5)防衛研究所図書館所蔵『大島防備隊戦闘詳報 S20・3・1』 1278~1280頁