新聞に見る沖縄戦中の奄美諸島(戦中編)(3) | 鹿児島県奄美諸島の沖縄戦

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   瑞雲隊もこの例にもれず不時着している。徳富特派員が五月一四日に発信した記事にそのことが取り上げられている。

 不時着したのは加藤正俊中尉と田坂兵曹のペアである。四月のある日僚機と共に出撃した彼らは残波岬洋上の米艦隊を攻撃し、戦艦一隻を炎上させ大型輸送船一隻を撃沈した。ところが帰途伊江島北方にさしかかった時に米艦載機と遭遇し、空戦の末燃料タンクに被弾した機は琉球列島の一島に不時着した。

 島には十数名の島民がいるだけであり、しかも島民の所在は当初は不明であった。彼らは手持ちの航空糧食と釣った魚のみで食いつないでいた。だが遂には食料も底をついたため、一八日目に島民から刳舟を借りて海に漕ぎだした。力漕一昼夜の末、陸軍守備隊のいる島にたどり着いた。そして二一日目にようやく基地に帰還したという。

 この記事に出てくる加藤中尉は偵三○一所属の加藤正俊中尉(予備学生一三期)ではないだろうか。(註1)ただし残っている資料では残念ながら出撃日までは特定できない。 加藤機の発進基地は不明だが、残波岬沖の米艦を攻撃して伊江島北方を飛行していることから、古仁屋もしくは九州方面の基地を目指していたことは明らかである。機の航続距離から考えて台湾の淡水発の場合は古仁屋帰投、古仁屋発の場合は古仁屋もしくは九州の基地(指宿の可能性が高いだろう)帰投と考えられる。

 では不時着した島はどこだろうか。記事から一か所に特定することは困難だが、候補を絞ることは可能である。伊江島北方にある人口十数人の島となるとトカラ列島が想起される。その中でこの条件に近い島は諏訪之瀬島(一九五五年現在の人口 五六人)、悪石島(同上 七○人)、臥蛇島(同上 五一人)である。

 この三島からさらに絞るにはもう一つ条件が必要である。加藤中尉等は刳舟で島を脱出し陸軍部隊のいる島を目指したが、これはなぜだろうか。それは不時着した島に日本軍が駐留していなかったからである。そのため自分達の無事を連絡し救援を求めようにも求められなかったのである。

 ところが三島ともこの条件を満たしており、現時点ではこれ以上特定することは困難である。もっともトカラ列島と考えること自体が誤りの可能性もある。加藤機の作戦予定にもよるがトカラ列島は古仁屋の北に位置しており、伊江島北方で空戦した機がはたして古仁屋を通りすぎてそのまま北に向かうだろうか。実は以外と伊江島近くの伊平屋島や伊是名島あたりに不時着したのかもしれない。

 

(註1)梶山瑞雲『瑞雲飛翔』(私家版 二○○二) 四四一頁