奄美諸島の標準語教育と方言札(1) | 鹿児島県奄美諸島の沖縄戦

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 戦前の沖縄県では、標準語教育励行の手段として、「方言札」が使われていた。大きさや形はバリエーションがあったようだが、その名の通り、「方言札」と書かれた板のことである。使い方は、小中学校で方言を話した生徒が罰として首から下げさせられた。一度かけられると、他に方言を話した生徒を見つけるまで、生徒は首から下げていなければならなかった。

 一般に方言札は、沖縄県だけのものと思われがちだが、実際には奄美諸島でも使われていた。使用の目的は、沖縄県と同様で、標準語教育励行すなわち方言を使用しないようにするためだった。

 奄美諸島の標準語教育について見ると、沖永良部島和泊町の国民学校では、一九四二年(昭和一七)度から、「話しことば」の教育が盛んになった。(註1)教育の具体的な中身は分からないが、話しことばを対象としていることから、標準語教育と考えていいだろう。知名村立青年学校・知名高等女学校でも、一九四三年(昭和一八)五月一七日に、学校を休業にして全職員が「話し言葉講習会」に参加している。(註2)これも同じく標準語教育だろう。

 この動きは中学校にも及んでいた。大島中学校では一九四三年六月二八日に、標準語について学校長が訓話を行っている。(註3)訓話であるから、おそらく全校生徒に対して向けられたものだろう。さらに一九四四年(昭和一九)三月四日には、各校参加の訓育連絡幹事会が開かれ、時局相応の訓育方法や入浴訓練の他に、「標準語使用の件」が取り上げられている。(註4)当時奄美諸島には中学校は大島中学しかないので、訓育連絡幹事会に集まった各校には、女学校や国民学校等も含まれている可能性が高い。奄美諸島全体の教育方針として、標準語使用を再確認したのだろう。

 標準語教育は当然生徒を対象とするものだが、先述の知名村のように、教える側の教師の能力向上も図られた。鹿児島県から東京に十数名(古仁屋国民学校からも一人)の教師を一年間ずつ出向させて研修を受けさせ、校内では職員相互が「ことばのおけいこ」をして使用に慣れた。(註5)徳之島の岡前国民学校でも、朝礼時間に東京から帰った先生の指導で、日常語を教えている。(註6)おそらくこの先生も、東京で研修を受けて来たのだろう。

 古仁屋国民学校では、教師が児童の国語の教科書に、アクセントや鼻濁音などのしるしをつけて指導する一方、児童に方言を使わせないように当番や週番がいて、方言を使ったら「フダ」を下げさせたり、週の努力点としてかかげたりした。(註7)この「フダ」が方言札で、方言を使った生徒に下げさせるのである。

 嘉鉄国民学校では、うっかり方言で話すと、週番日誌にそのことを書かれて、話した生徒は職員室に立たされた。(註8)生徒の中から選ばれた週番が、他の生徒の方言使用を見張っていたのである。子供同士がお互いに方言の使用を見張る、いわば相互監視体制が出来あがっていたのである。

 その意味では方言札は、相互監視体制にとても適した道具といえるだろう。具体的には、方言札をぶらさげられた生徒は、次に方言を使った生徒を見つけ、相手の首に札をぶらさげた。次に渡す相手が見つからない時には、友達の足を踏みつけて「アガ(あいた)」と悲鳴を上げさせ、方言を使ったとして札を首にぶら下げた。(註9)また児童の間では「〇〇さんは、方言を使いましたよ。」と、教師に密告することが流行したという。(註10)

 子供にとって方言札を首からさげることは、非常に恥ずかしいことだったのだろう。そのことを友達からからかわれることもあったかもしれない。鬼ごっこの鬼と同じで、自分がそこから逃れるためには、誰かに押し付けてしまえばいい。方言札は人間心理を巧みに突いた道具であったのである。

 標準語教育が始まった理由は、島の生活はほとんど島口で、学校内だけ標準語を使う。このため旅に出るとまず言葉につまずき、自信を失う人が多いということで行われたという。(註11)実際には島外に旅行に行った場合に限らず、就職や進学等で内地に行った時に、言葉で苦労したという島出身者の体験が、その背景に考えられる。この理由も沖縄県で標準語教育が盛んに行われたのと同じである。

 

(註1)和泊町誌編集委員会編『和泊町誌(歴史編)』(和泊町教育委員会 1985) 七九九頁

(註2)町誌編纂委員会『知名町誌』(知名町役場 1982) 一五五七頁

(註3)鹿児島県立大島高等学校創立百周年記念事業実行委員会『安陵 創立百周年記念誌』(同会 2002) 三二〇頁

(註4)前掲註3 三二九頁

(註5)徳永茂二「古仁屋国民学校の皇民化教育」(『瀬戸内町立図書館・郷土館紀要 第五号』(瀬戸内町立図書館・郷土館 二〇一〇)所収) 一四頁

(註6)古希に思う同窓会実行委員会編『古希に思う 昭和20年岡前国民学校卒業生の手記』(同会 2001) 一四五頁

(註7)前掲註5 一四頁

(註8)嘉鉄校創立百周年記念事業推進委員会『嘉鉄小中学校創立百周年記念誌』(同会 1983) 五一頁

(註9)奄美瀬戸内しまがたれ同好会編『しまがたれ 第6号』(同会 1998) 二一

 頁

(註10)瀬戸内町誌歴史編編纂委員会編『瀬戸内町誌 歴史編』(瀬戸内町 2009) 六五八頁

(註11)益満友忠『島の加那』(近代文芸社 1995) 二一頁