米軍資料に見る徳之島空襲(37) | 鹿児島県奄美諸島の沖縄戦

鹿児島県奄美諸島の沖縄戦

ヤフーブログから移行しました。随時更新していいきますので、よろしくお願いします。

 27日は「朝二・三機来て爆撃あり、その後終日機音があった」(「徳之島空襲日記」67頁)という。
この日来襲したのは、沖縄嘉手納飛行場を午後2時39分に発進した、第232海兵攻撃爆撃飛行隊のTBM1機(100ポンド爆弾12発を装備)だった。沖永良部島・鳥島に午後3時10分・午後4時20分・午後5時30に到達し、徳之島の無線局1機が爆弾6発で攻撃し、命中しなかった。これも亀津の無線局を攻撃したものだろう。
 28日は「朝八時二・三機の爆撃があり、その後終日機音があった」(「徳之島空襲日記」67頁)という。
この日最初に来襲したのは、沖縄読谷飛行場を午前10時30分に発進した、第224海兵戦闘飛行隊のF4U4機だった。目標に午後1時45分に到達し、徳之島の対空砲陣地を銃撃し、損害は確認出来なかった。
2番目に来襲したのは、第19戦闘機中隊のP47の14機(8機は500ポンド爆弾2発、6機はロケット弾4発を装備)だった。午後2時以降に飛行機は徳之島も銃撃し、平土野集落に小さな火災を起こした。(「林博史提供史料 018/NM6 7A/3727」)
 3番目に来襲したのは、第311海兵戦闘飛行隊のF4U4機だった。任務は阻止戦闘空中哨戒で、午後6時に沖永良部島と徳之島の臨機目標を銃撃した。徳之島の東中央海岸沿いの約40フィートの長さのボート2隻を銃撃したが、損害は確認出来なかった。(「林博史提供史料 018/NM6 7A/3727」)
 29日は「朝早々より爆撃あり、夜間も通過機音があった」(「徳之島空襲日記」67頁)という。
 この日最初に来襲したのは、第212と222海兵戦闘飛行隊のF4U24機(12機は500ポンド爆弾2発、他の12機はロケット弾8発を装備)だった。編隊は午前7時に加計呂間島を攻撃し、1機は徳之島飛行場に爆弾を投下した。(「林博史提供史料 018/NM6 7A/3727」)
 2番目に来襲したのは、沖縄嘉手納飛行場を午後12時16分に発進した、第232海兵攻撃爆撃飛行隊のTBM1機(100ポンド爆弾12発を装備)だった。徳之島に午後4時に到達し、島の北部の桟橋を爆撃し、爆弾9発が命中して、甚大な損害を与えた。北部とあるので、山港の桟橋かもしれない。
亀津では「十四時に来襲。安住寺に大型爆弾投下されたり」「午後十七時より猛烈なる機銃掃射を受けたるも被害少なし」(「激戦下の徳之島」35頁)とあるが、時間が異なっている。ただし沖縄から発進した時間を考えると、午後2時くらいに到達した可能性も考えられるので、2番目の攻撃によるものかもしれない。
 30日は「早朝機音近くして多かったが爆撃はなかった」(「徳之島空襲日記」67頁)という。
最初に来襲したのは、沖縄読谷飛行場を午前2時に発進した、第542海兵夜戦飛行隊のF6F2機(ロケット弾6発とナパーム弾2発を装備)だった。飛行場の明かりを銃爆撃し、ナパーム弾1発が命中して、損害は目撃出来なかった。Katoku(私注、亀徳のことか)町の明かりを銃爆撃し、ナパーム弾1発が命中して、損害は目撃出来なかった。
 亀津では「上空に爆音あるも投弾なし」(「激戦下の徳之島」35頁)亀徳に投弾したとすれば、爆発音が聞こえると思われるが、聞こえなかったようだ。
 2番目に来襲したのは、沖縄嘉手納飛行場を午後1時に発進した、第312海兵戦闘飛行隊のF4U4機だった。徳之島に午後4時30分到達し、島北東の灯台とドック地域を銃撃し、全て命中して中程度の損害を与えた。ドック地域には小さな火災が目撃された。島の北東とあるので、山集落や金見崎周辺を攻撃したのだろうか。