米軍資料に見る徳之島空襲(26) | 鹿児島県奄美諸島の沖縄戦

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13日は、「早朝空襲があった」(「徳之島空襲日記」64頁)という。亀津では「八時に十数機と大型一機東方海上を北進す。神之嶺沖にて爆弾を投下す」(「激戦下の徳之島」27頁)とあり、それほど激しい空襲ではなかった印象を受ける。
最初に来襲したのは、沖縄本島の基地を午後7時45分に発進した、第543海兵夜戦飛行隊のF6F2機(ロケット弾6発を装備)だった。徳之島で、無線局・サーチライト・4つの明かりの地域・バラックを銃撃し、命中は目撃出来ず、おそらく損害を与えたと判断された。この中で無線局は、亀津の施設の可能性があると思われる。
2番目に来襲したのは、沖縄本島を午後11時10分に発進した、第543海兵夜戦飛行隊のF6F2機(ロケット弾6発を装備)だった。徳之島で5つの目標をロケット弾と機銃で攻撃し、11発命中したが、損害は目撃出来なかった。また明かり・飛行場・トラックを銃撃したが、損害は目撃出来なかった。
 この日の攻撃目標は妨害任務、臨機目標への攻撃とされ、飛行場等の軍事施設だけでなく、パイロットの判断で適宜攻撃することとされていた。「明かり」のように攻撃する価値の有無さえ定かでないものまで、攻撃している。当然損害の程度は不明となる。
 14日は「早朝爆弾の音あり。昼間は飛行機の通過音ばかりだった」(「徳之島空襲日記」64頁)、「昨日来上空を北進するも、徳之島地区には投弾なく不思議なり」(「激戦下の徳之島」27頁)という状況だった。日中の空襲はなかったことが分かる。
 最初に来襲したのは、第543海兵夜戦飛行隊のF6F2機(ロケット弾6発を装備)だった。任務は妨害任務攻撃で、午前0時10分に攻撃した。
飛行場をロケット弾で攻撃し、さらに島の北端と南端の明かりを攻撃し、小さな火災が島の北端で発生した。攻撃はトラックと他の明かりの地域にも行なわれ、照明弾も投下された。攻撃の際、小口径銃の対空砲火を受けたが、不正確だった。(この部分は、関東学院大学の林博史教授が米国国立公文書館にて収集した資料による。以下同資料からの引用は、「林博史提供史料 018/NM6 7A/3727」と、請求番号RG/Entry/Boxを記入する。)
 2番目に来襲したのは、沖縄本島を午前2時30分に発進した、第543海兵夜戦飛行隊のF6F2機(ロケット弾6発を装備)だった。徳之島の3つの目標をロケット弾2発と機銃で攻撃し、4発命中したが、損害は目撃出来なかった。
 3番目に来襲したのは、沖縄本島を午前2時40分に発進した、第543海兵夜戦飛行隊のF6F2機(ロケット弾6発を装備)だった。飛行場の滑走路をロケット弾と機銃で攻撃し、8発命中したが、損害は目撃出来なかった。この時の攻撃は奄美大島に対しても行われ、F6F1機が原因不明で失われた。
 4番目に来襲したのは、第543海兵夜戦飛行隊のF6F2機(ロケット弾6発を装備)だった。午前4時にロケット弾と機銃で飛行場を攻撃したが、結果は確認出来なかったが、3つの火災が目撃された。(「林博史提供史料 018/NM6 7A/3727」)
 15日は「終日無音なりしも夜中に飛行場に空爆はげしく聞こえた」(「徳之島空襲日記」64頁)という。
 この日来襲したのは、沖縄本島を15日午後10時30分から16日午前2時15分に発進した、第543海兵夜戦飛行隊のF6F4機(ロケット弾6発を装備)だった。
 島の北端より約二千から四千ヤードの北東の入江の海岸の対空砲陣地を、ロケット弾と機銃で攻撃し、ロケット弾3発が命中し、損害は目撃出来なかった。また飛行場地域をロケット弾と機銃で攻撃し、ロケット弾5発が命中し、損害は目撃出来なかった。島の北端の約二千ヤード南の北東海岸の中央南側のはしけをロケット弾と機銃で攻撃し、ロケット弾2発が命中し、損害は目撃出来なかった。島の北端から北東の海岸がどこを指すか明確ではないが、山集落あたりだろうか。
 「ここ二、三日前から戦法が変わり、夜間の空襲が多く昼間は来襲が少なし」(「激戦下の徳之島」27頁)とあるように、13日から夜間空襲が空襲の中心になっている。これが何を示すかは定かではないが、飛行場使用を含めた日本軍の夜間の行動の妨害目的だろう。