米軍資料に見る徳之島空襲(25) | 鹿児島県奄美諸島の沖縄戦

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 10日は「徳之島空襲日記」には記載がないが、亀津では「十一時上空に八機が来て機銃掃射ののち小学校附近に爆弾を投下したるも被害なし」(「激戦下の徳之島」26頁)だった。
最初に来襲したのは、空母「インディペンデンス」を午前5時15分に発進した、第46戦闘飛行隊のF6F8機(500ポンド爆弾2発を装備)だった。飛行場に午前6時30分以降に到達し、1機が爆弾1発で攻撃して穴を開けた。
 2番目に来襲したのは、空母「シャングリラ」を午前6時45分に発進した、第85戦闘飛行隊のF4U8機(500ポンド爆弾1発を装備)だった。飛行場に午前8時に到達し、7機が爆撃し、爆弾7発が命中して滑走路に穴を開けた。
 3番目に来襲したのは、空母「ヨークタウン」を午前8時15分に発進した、第9戦闘飛行隊のF6F8機(6機は500ポンド爆弾1発を装備。1機は撮影機。)だった。飛行場に午前9時15分以降に到達し、滑走路を4機が爆撃し、爆弾2発が命中して穴を開けた。また単発機1機・疾風1機・紫電1機・二式単戦1機を破壊し、単発機6機に損害を与えた。
4番目に来襲したのは、空母「インディペンデンス」を午後1時30分に発進した、第46戦闘飛行隊のF6F8機(500ポンド爆弾2発を装備)だった。飛行場に午後2時15分に到達し、飛行場を爆弾15発で攻撃し、全て命中して穴を開けた。爆弾のうち15発は飛行場の中央に直撃した。飛行場は既に使用不能の状態で、対空砲には遭遇しなかった。この攻撃でF6F1機がエンジン故障で不時着水した。搭乗員は飛行艇に救助された。
 この日財田隊は米軍機の撃墜を報じているが(註1)、米軍には損害はない。故障した機は、飛行場の南岸から4500フィートの地点に着水した。これを目撃した日本軍は、対空砲火で損傷して不時着水したと判断して、撃墜と報告したのだろう。
 10日午後6時と10時、11日午前1時に空母「エンタープライズ」を発進した、第90夜戦闘飛行隊のTBM15機(100ポンド爆弾5発、100ポンドクラスター弾5発、ロケット弾4発を装備)が、3波に分れて南大東島・喜界島・徳之島を攻撃した。
目標到達時間は、午後6時45分から午後9時30分、午後10時30分から午前1時三五分、午前1時33分から午前4時30分だった。このうち徳之島を攻撃したのが、どの編隊かは不明だが、飛行場を5機が爆弾25発・クラスター弾25発・ロケット弾20発で攻撃した。
 11日は「午前十時頃、午后三時、四時三回飛行場空爆あり」(「徳之島空襲日記」64頁)という。
最初に来襲したのは、空母「ヨークタウン」を午前5時10分に発進した、第9戦闘飛行隊のF6F16機だった。飛行場に午前6時30分に到達し、飛行機掩体壕を銃撃し、半数以上が命中した。単発機3機と隼1機を破壊して、単発機5機に損害を与えた。
2番目に来襲したのは、空母「エセックス」を午後1時31分に発進した、第83戦闘爆撃飛行隊のF4U12機(7機はロケット弾4発、2機はロケット弾2発を装備)だった。主な攻撃も目標は喜界島だったが、徳之島の南西海岸の水力発電工場を銃撃して煙が出た。損害は甚大だと思われた。徳之島の南西なので、亀津の可能性があるが、水力発電所が具体的に何を指すのかは不明である。
12日は、亀津では「本日は来襲少なく爆音二回聞くのみ」(「激戦下の徳之島」27頁)という。
 最初に来襲したのは、空母「エセックス」を午前8時30分に発進した、第83戦闘爆撃飛行隊のF4U4機(ロケット弾4発を装備)だった。編隊は母艦へ戻る途中、徳之島の南西の水力発電所を銃撃し、その発電所に重大な損害を与えたと評価された。これも前日と同じく亀津への攻撃だろう。
 2番目に来襲したのは、空母「ベニントン」を午後1時10分に発進した、第32戦闘飛行隊のF6F12機(500ポンド爆弾1発を装備)だった。徳之島に午後2時20分以降に到達し、対空砲と小さな建物を銃撃し、僅かな損害を与えた。

(註1)わが町の戦中戦後を語る(思い出の体験記録集)』(瀬戸内中央公民館 1989)
137頁