米軍資料に見る徳之島空襲(7) | 鹿児島県奄美諸島の沖縄戦

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28日・29日は飛行場周辺では爆音は聞かれたが、攻撃はなかったようだ。(「徳之島空襲日記」62頁)29日について中溝日誌でも、「敵機来ラズ」(註31)とあるが、その通りだったようだ。
 30日は「未明から多数の空爆、昼間は爆音はなかったが午后三時頃から飛行場へ来襲」(「徳之島空襲日記」62頁)という状況だった。
 午前中に来襲したのは、空母「ヨークタウン」を発進した、第9戦闘飛行隊のF6F14機(8機は500ポンド爆弾1発、4機はロケット弾6発を装備。2機は撮影機)・第9戦闘爆撃飛行隊のF6F6機(8機は500ポンド爆弾1発を装備)だった。
 編隊の内10機は飛行場の飛行機と掩体壕を銃爆撃し、半数が命中して甚大な損害を与えた。飛行機7機は損害を与えるか破壊された。また4機は飛行場2マイル南東の町を銃爆撃し、火災が起きるのが目撃された。この日は鹿浦集落で空襲によって25軒が全焼した。(「激戦下の徳之島」19頁)米軍の報告と方向は合っているが、距離は15キロほど離れており、鹿浦集落のことを指すのかは断定出来ない。
 午後の攻撃は、空母「イントレピッド」を発進した、第10戦闘飛行隊のF6F14機(6機は500ポンド爆弾1発、7機はロケット弾8発を装備)と撮影機4機と、空母「ヨークタウン」を発進した、第9戦闘爆撃飛行隊のF6F8機(四機は500ポンド爆弾1発、4機はロケット弾6発を装備)だった。
 前者は飛行場の滑走路・掩体壕と地域内の建物、地上の飛行機2機以上を機銃掃射した。滑走路と掩体壕地域に爆弾を命中させ、爆弾とロケット弾により小さな建物に火災を起こさせた。単発機2機が滑走路の横で炎上し、他の数機を機銃掃射したが燃えなかった。後者も飛行場の施設を攻撃したが、詳細は不明である。
 31日は「未明偵察機二回来て午后は飛行場にはげしい空襲があった」(「徳之島空襲日記」62頁)という。
午前8時5分頃に、空母「ヨークタウン」を発進した、第9戦闘飛行隊のF6F8機(4機は500ポンド爆弾1発、4機はロケット弾2発を装備)が来襲した。編隊は飛行場を6回以上攻撃し、着陸を試みた一式戦1機を機銃弾で破壊し、別の2機を破壊すると共に5機に損害を与えた。他にはトラック1台を破壊した。
 これとは別に空母「ベニントン」を発進した、第32戦闘飛行隊のF6F16機(14機は500ポンド爆弾1発、全機で合計ロケット弾10発を装備)が、午前中に徳之島を攻撃した。飛行場は5回の攻撃が15機により行われ、地上の飛行機と建物が攻撃された。他には島の東側の無線局地域が攻撃され、いくつかの大きな火災がおきた。
 亀津集落には午前10時に1機が来襲して、焼夷弾と機銃で攻撃を行い、8軒が全焼し3軒が半焼した。(「激戦下の徳之島」20頁)この攻撃が「ベニントン」機だった可能性は高いだろう。
 午後の攻撃は、「ベニントン」を発進した、第32戦闘飛行隊のF6F16機(14機は500ポンド爆弾1発、全機がロケット弾4発を装備)だった。飛行場が攻撃され、滑走路に爆弾14発が投下されて13発が命中した。他には掩体壕に駐機した飛行機を、16機がロケット弾と機銃で攻撃して甚大な損害を与えた。飛行場の建物も攻撃され、4軒が炎上した。
 31日時点で徳之島には、陸軍の飛行第103戦隊の四式戦6機、飛行第65戦隊の一式戦4機、第20振武隊の一式戦5機、誠第39飛行隊の一式戦9機の合計24機が進出していたと思われる。この日は機数不明の飛行第103戦隊の四式戦が、誠第39飛行隊の一式戦5機を援護して出撃した。(註32)5機のうち3機はそのまま突入し、2機が徳之島に帰還した。帰還した2機の内1機はグラマンと交戦して自爆した。(註33)
 誠第三九飛行隊の山田千秋少尉(幹候9期)は仲間達4機の出撃を見送った。離陸直後、数機のグラマンが飛行場上空を哨戒し始めた。離陸後10分が経過した頃に、同期の井上柳三少尉機が引き返してきた。井上機は爆弾を海中に投下した後、グラマンと交戦し火炎を吐いて山中に墜落した。(註34)山中に墜落となっているが、状況から見て「ヨークタウン」隊が井上機を撃墜したのは間違いない。撃墜したのはデクー機だった。
 井上機撃墜後も米軍機は飛行場への攻撃を続けた。次々と日本機は炎上し、誠第39飛行隊の他の機体も、山田機を含めて4機が撃破炎上した。勝ち誇った米軍機の操縦者の顔が、眼前数メートルの空間をよぎり去った。(註35)日本軍の他部隊の被害は不明だが、機数の重複・誤りはあるものの、日本機が複数地上で撃破されたことは間違いない。

(註1)防衛省防衛研究所戦史研究センター所蔵『奄美地区独立混成第六十四旅団 高級部員中佐中溝猛氏日誌』
(註2)宮本林泰「疾風戦闘機隊に“航士”の闘魂をみた」(『丸』1975年7月号 潮
書房)所収  101頁
(註3)防衛庁防衛研修所戦史部『沖縄・台湾硫黄島方面 陸軍航空作戦』(朝雲新聞社 1
970) 412頁
(註4)同編集委員会『続 航跡』(幹候九期菊池会 1993) 104~105頁
(註5)前掲註4 105頁