おはようございます。ご覧いただきありがとうございます!

 
 
※あくまでも息子の状態に関する話ですので、お薬の効き方には個人差があるのだと思います。
 
↑にも書きましたが、
断薬は成功したものの
離脱症状は
すぐには無くならず
ゆっくりと減っていくものでした。
 
だから、
 
「薬をやめたのにどうしてこんなに大変なの?」
 
とか
 
「このパニックは、原因は何だろう…。はっきりしたものがあるんだろうか。特性がからんでいるんだろうか。」
 
とか
 
もう、3歩進んで2歩下がる毎日。
 
でも、1歩は確実に進んでいる
そんな手ごたえは感じていました。
 
「焦らずいこう」
「目の前のことを
ひとつづつクリアーしていこう」
「食べれて眠れるなら大丈夫」
「好きなことで笑えれば大丈夫」
 
息子と自分を励ましながら1日1日をなんとか過ごしていきました。
 
そして…
 
小学3年生の残り半分と
小学4年生は
通級に週1回通えるようになり
(息子本人はこの時の
通級の先生が嫌いだったので
通っても意味なかったと
言っていましたが汗)、
 
小学4年生の途中から
療育センターで療育も
受けられるようになり、
 
小学4年生の終わりには
電車に乗って
放課後等デイサービスに
通うようになりました。
(そういえば書き忘れました汗
息子は二次障害になってから
ずっと電車に乗れませんでした。
揺れがものすごく大きく
感じられて怖かったそうです。)
 
小学5年生になると
通級の先生が変わり、
今までよりも意欲的に
登校するようになりました。
 
なぜなら、その通級の先生も
息子と同じように
当事者だったんです!
 
感覚的に
言わずとも理解してもらえる
なんてこともあるのかな。
 
すごく安心できますよね。
そんな環境めったにないです!
今まで頑張ってきた
ご褒美でしょうかクラッカー
 
安心できる環境で
通級の先生は
いろいろな経験を
させて下さいました。
 
小学6年生も
その通級の先生の
ご指導の下、
週に1日から2日、
2日から3日と
だんだん日にちと時間数を増やして登校できるようになりました。
 
6年生の終わりごろには
友だちが家に来て
楽しそうに遊ぶ日も増えて、
ますます笑顔の息子を見ることが出来るようになりました。
 
いろいろと苦しかった事は
絶対に未来へつなげよう!
 
無駄になんかするもんか!
 
絶望の淵から
息子は、
自分の足で
這いあがったのでした。