おはようございます。ご覧いただきありがとうございます!
※あくまでも息子の状態に関する話ですので、お薬の効き方には個人差があるのだと思います。
↑にも書きましたが、
断薬は成功したものの
離脱症状は
すぐには無くならず
ゆっくりと減っていくものでした。
だから、
「薬をやめたのにどうしてこんなに大変なの?」
とか
「このパニックは、原因は何だろう…。はっきりしたものがあるんだろうか。特性がからんでいるんだろうか。」
とか
もう、3歩進んで2歩下がる毎日。
でも、1歩は確実に進んでいる
そんな手ごたえは感じていました。
「焦らずいこう」
「目の前のことを
ひとつづつクリアーしていこう」
「食べれて眠れるなら大丈夫」
「好きなことで笑えれば大丈夫」
息子と自分を励ましながら1日1日をなんとか過ごしていきました。
そして…
小学3年生の残り半分と
小学4年生は
通級に週1回通えるようになり
(息子本人はこの時の
通級の先生が嫌いだったので
通っても意味なかったと
言っていましたが
)、
![汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/028.gif)
小学4年生の途中から
療育センターで療育も
受けられるようになり、
小学4年生の終わりには
電車に乗って
放課後等デイサービスに
通うようになりました。
(そういえば書き忘れました![汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/028.gif)
![汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/028.gif)
息子は二次障害になってから
ずっと電車に乗れませんでした。
揺れがものすごく大きく
感じられて怖かったそうです。)
小学5年生になると
通級の先生が変わり、
今までよりも意欲的に
登校するようになりました。
なぜなら、その通級の先生も
息子と同じように
当事者だったんです!
感覚的に
言わずとも理解してもらえる
なんてこともあるのかな。
すごく安心できますよね。
そんな環境めったにないです!
今まで頑張ってきた
ご褒美でしょうか![クラッカー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/098.gif)
![クラッカー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/098.gif)
安心できる環境で
通級の先生は
いろいろな経験を
させて下さいました。
小学6年生も
その通級の先生の
ご指導の下、
週に1日から2日、
2日から3日と
だんだん日にちと時間数を増やして登校できるようになりました。
6年生の終わりごろには
友だちが家に来て
楽しそうに遊ぶ日も増えて、
ますます笑顔の息子を見ることが出来るようになりました。
いろいろと苦しかった事は
絶対に未来へつなげよう!
無駄になんかするもんか!
絶望の淵から
息子は、
自分の足で
這いあがったのでした。