3.嫌なヤツ・・・
海は始業時間の10分前に教室に入った。クラスの8割ぐらいが登校していて、自分の席で携帯をいじくっている子、2~3人で集まっておしゃべりしている子、部活の朝練が終わり早くもお弁当を食べている子。高校生の普通の光景にも見えるが、2日目の教室はまだ違和感だらけで居心地が悪かった。
海は自分の席にカバンを置くと、女子が集まっている教室のうしろの方へ近寄って行った。
「海ちゃん、おはよう。」
1人の子が声をかけてくれた。
「おはよう。みんな早いね。」
海も元気にあいさつをすると、
「あれ?海ちゃん、今日30分前に来るようにって、昨日先生言ってたよね?もう用事は終わったの?」
心配そうに聞いてきた。
「えっ??」
海は一瞬フリーズして、昨日担任が言っていた言葉を思い返し、
「わぁーーー」
と大きい声を上げてしまった。
「忘れてた。どうしよう・・・。」
「一応、職員室に行ってみた方がいいんじゃない?一緒に行ってあげようか?」
面倒見のよさそうな子が気遣ってくれた。
「ううん、1人で大丈夫。ダッシュで行って来る。」
「海ちゃん、頑張って!」
そこにいた女子全員が励ましてくれた。
職員室は空たちの教室がある本館の1階。海の教室からは、階段を下りて渡り廊下を通って校舎を2つ超えて行かなければならない。普通に歩いたら5~6分かかってしまって間に合わない、ってすでに指定された時間はとうに過ぎているのだから、今さらあがいても手遅れなのだが・・・。
“少しでも早く行かなきゃ”
海は全力疾走で職員室に1分半ほどで到着した。ハアハアした息を整え、深呼吸を1つしてから職員室のドアを開けた。これからホームルームに向かう先生方が準備をしている中、自分の担任の机がどこにあるのか分からずキョロキョロと中をのぞいていると、突然背後から「おい!」と声をかけられた。
海がギョッとして振り向くと、大量のプリントを両手に抱えた男子生徒が立っていた。
「何でちゃんと来ねーんだよ!」
明らかに機嫌が悪そうな口ぶりで海をにらみつけてきた。
「ごめんなさい。すっかり忘れてて。」
「ふざけんな。これ全部オレ1人でコピーしたんだからな。あの担任、ホームルームには絶対遅れるなよって言ってさっさと消えちまうし、女子の方は来ねーし。」
“そんなに強く言わなくてもいいじゃん”
と言い返したかったが、どう考えても自分に非があることを認めて、
「本当にごめんなさい。」
海は頭を下げて、もう一度きちんと謝った。
高校生活2日目にして、まだ名前も知らない男子からいきなり苦言をぶつけられ、海の気分はどん底まで沈んでいった。中学のときなら仲のいい花憐や綾にグチることもできたが、昨日知り合ったばかりのクラスの女子たちにはまだそこまで打ち解けていなかった。だいたい今までの海なら男子とは意気投合していることが多かったし、空の力もあってそこまで海に強く当たってくる者はいなかった。
この最悪の状況に戸惑い、自分を非難している相手に「先生怒ってた?」と聞くことをためらった。海を置き去りにして早足で教室に向かう男子生徒のあとを追いながら、
“あー、これたかやんだったら即おしおきだし、よわしだってきっとお尻何発かは叩くんだろうな。あの担任はどうかそういう方の人間ではありませんように・・・”
男子生徒に嫌われてしまったという事実はナシにはならないし、担任に怒られるのも仕方ないことだと思うけれど、せめてお尻に被害が及ばないことを祈った。
職員室から遠く離れた教室に着くと、そのすぐあとに担任がやって来て出席を取った。そのとき初めて彼の名前が有馬伊吹(ありまいぶき)だと知った。
「伊吹と海、コピーありがとう。たくさんあったから大変だったよな。」
海が遅刻して何も手伝っていないことを担任は知らなかったようで、海はホッと胸をなでおろした。それでも伊吹が絶対に「そうじゃない。」と反論すると思ったのでビクビクしていたが、彼は何も言い出さなかった。
“意外といい人かも。あとでお礼言わなきゃ”
ホームルームが終わり、海が立ち上がったところに伊吹がズカズカとやって来て、
「貸し2つだからな。」
ぶっきらぼうに言ってきた。
「えっ?貸しって?」
「寝坊して遅刻して来た分と先生にチクらなかった分。」
「えっ?あっ、うん。」
海はキョトンとしながらもコクンとうなずき同意せざるを得ない雰囲気だった。伊吹はニコリともせずに自分の席に戻って行くと、隣の席の男子と楽しそうに昨夜のプロ野球の話を始めた。
“嫌なヤツ・・・寝坊なんてしてないし、貸しってどういうこと?”
威張ってて無愛想で口が悪くて嫌味ったらしくてサイテー。でも先生の前ではかばってくれた。意地悪なんだか優しいんだかよく分からなかった。
1時間目は担任の日本史の授業だった。さっき伊吹がコピーした大量のプリントが配られた。20枚×48人分だから、これを1人でコピーするのはかなりの手間だっただろうし、それを1人で抱えて教室まで運ぶのは重労働だったに違いない。職員室前の廊下で会ったとき、半分持ってあげればよかった。あのときは先生に怒られるという思いで頭がいっぱいで、彼のことは全然考えていなかった。自分よりもうしろの席に座っている伊吹の方をチラッと振り向き、伊吹がプリントに目を通していてこっちを見ていないことを確かめてから、ごめんなさいと申し訳なさそうに頭を下げた。
「このプリントは前期のテスト範囲だから、授業を聞いてなくてもこれを丸暗記すれば点数が取れるという優れものの資料です。絶対にここからしかテストは出題しないから楽ちんだろ?成績はテストの結果のみで評価するので、授業態度や課題提出は一切関係なし。どうだ、いい話だろ?」
担任が得意気な顔をして力説するので、みんなはポカーンとして担任と手元のプリントを見比べた。そのプリントはぎっしりと文字で埋め尽くされ、これを丸暗記するのは至難の業に思われたが、日本史という莫大な暗記科目にしては要点がしぼられていて有効活用できそうな代物だった。テスト前に教科書や参考書から要点を抜粋してまとめる作業は省略されるだろう。
「だらだらと分かり切った解説をするつまらない授業を聞いてても時間の無駄だろ?それなら睡眠時間に当てたり、早弁したり、友達とコミュニケーションを深める時間を過ごした方が断然有意義だと思わないか?」
「じゃあ先生授業やらないの?」
「気分次第だな。」
「何それ?」
「やるときもあればやらないときもある。人生そんなもんだろ?」
「はあ?そんなんでいいのかよ?」
登校2日目にして生徒はすでにため口になっている。尊敬に値しないと判断したからなのか、お友達感覚OKの空気がダダ漏れだからなのか・・・。
「オレもいろいろと私用で忙しいんだよ。職員室ではできないことも多いからな。」
「ん?」
生徒たちはみな首をかしげた。
「携帯ばっかりチェックしてると怪しまれるって話だ。」
「それって?」
「例えば合コンの幹事なんかやってると、店から連絡が入ったり追加で人数集めたり。マッチングアプリ絡みのやりとりもさすがに職員室じゃまずいだろ?」
“この人、生徒相手に何言ってるんだ?こんな担任で大丈夫なのか?”
クラス全体が異様な空気に包まれた。こんなことを堂々と言ってのける教師に、今まで誰もお目にかかったことがない。
「それでも教師かよ!」
そう誰もが思ったが、昨日出会ったばかりの曲がりなりにも先生という立場の人間に対して、面と向かって悪態をつく者はいなかった。
「オレの授業内容はすべてそのプリントに詰め込んであるから、君たちは何も心配することはない。安心して大丈夫だ!授業っていっても結局はそれを読み上げるだけだから意味ないだろ?その代わり、他の先生の授業はまじめに受けてくれ。このクラスの評判が悪くなるとオレの査定に響くからな。もし減給なんてことになったら、おまえたちのこと一生恨むからよろしく頼んだぞ。」
高校生になって初めての授業がこんな感じだったので、9組の生徒全員が拍子抜けしてしまったのも無理はない。休み時間になると教室や廊下のあちこちから、
「オリオンやばい」
が合言葉のように聞こえてきた。
高校生活が始まって1週間。クラスの女子たちとも仲良くなり、各教科担任との顔合わせも終わり、自分が高校生だという認識が徐々に芽生えてきた。
空は入学3日目に陸上部の体験に参加して、翌日入部届を提出した。中学ではあまりパッとした成績をあげられなかったが、高校では“何かやってやろう!”という秘めた思いを持っていた。あからさまにそういった意欲的な態度を示すわけではなかったが、春休み中家に居すぎてなまった体をそろそろ目覚めさせたいという思いもあって、早く練習に参加したかった。
一方海は珍しくうじうじと悩んでいて、1週間経っても体験にも行かず、帰りのホームルームが終わるとすぐに教室を出て家に帰った。バスケ部に入るか帰宅部にするかの2択だったが、中学のときのようなバスケに対する情熱はなかった。鬼顧問たかやんの指導の下で、3年間やり切った感が強かったのが原因だろうか。高校ではバイトもしたかったし、放課後友達と遊んだり彼氏とデートしたり、充実した高校生活を満喫したいという憧れを抱いていた。高校の運動部といえば中学とは比べものにならないくらいハードだろうし、放課後は暗くなるまで練習し、土日も練習や試合で潰れてしまうのは当然のことだろう。『部活』に束縛される日々が再開がすることに、一定期間離れていた分ためらいを感じた。
「海、部活どうするんだ?」
2週間の体験期間が明日で終了となる。
「お兄ちゃん、バイトしちゃダメ?」
思いもよらぬ返答に、
「はあ?」
悠一は首をかしげた。
「バイトしたいんだけど。」
「おまえ部活と両立できるのか?」
「うーん・・・。」
「何でバイトしたいんだ?こづかい足りないのか?」
「おこづかいは足りてるよ。高校生になったらバイトしたいってずっと思ってたから。」
「何のバイトしたいんだ?」
「まだ決めてないけど。」
もちろん海の頭の中には、例の喫茶店の『アルバイト募集中』の貼り紙が思い浮かんでいたが、まだ悠一には内緒にしておくことにした。今そのことを告げたとしても、お許しが出る可能性は極めて低い。ここであっさりと却下されてしまえば、きっとムキになって暴言を吐き、今まで温めておいたすべてが台無しになってしまうだろう。
「バイトはもう少し高校生活に慣れてからにしろ。勉強が疎かになったらいけないし、部活が忙しくなってやっぱり辞めますってわけにはいかないんだぞ。働くってことは責任を持って取り組まなきゃいけないからな。」
「・・・部活はどうでもいい。」
「は?おまえ、バスケやりたいんじゃないのか?」
「今はそうでもない。」
「じゃあ部活やらないでバイトしたいってことか?」
「迷ってる。」
「それは認めない。」
悠一はキッパリと海の考えを否定した。悠一としては海を野放しにしないために、安心安全な部活に縛りつけておきたかった。
「高校生は勉強と部活の2本柱。文武両道。それは絶対だ。」
「何で?」
「心身ともに健全な生活を送るためだ。」
「古臭っ。」
「はっ?」
「じゃあバイトなんてできないじゃん。」
「そうだな。バイトも社会性を身につけるためには必要だが、どうしても今すぐにしなきゃいけないってことはないからな。優先順位をよく考えろ。」
「じゃあいつならいいの?」
「もう少し高校生活に慣れてからって言ってるだろ。」
「はいはい、もういい。どうせお兄ちゃんに言っても無駄だと思った。」
海がプイッとそっぽを向いて2階に上がろうとしたので、
「海っ、何だその態度は!」
悠一が背後から怒鳴りつけたが、海は知らん顔をして階段を駆け上った。
「ったく、何だあの言い方は。」
悠一としてもバイトを全面的に否定するつもりはなかった。自分も大学生になって飲食店でバイトを始めたが、そこで身についたノウハウは就職してから役に立ったと思うし、そのとき一緒に働いていた仲間とは未だに関わりを持っている。
高校生になってまだ数日。勉強にはついていけるのか?友達関係はうまくいくのか?先生との折り合いはどうなのか?未知の環境に飛び込んだばかりで、もう少し馴染んで軌道に乗るまで様子を見たかった。海は見かけによらずデリケートな面もあり、環境の変化や人間関係で体調を崩してしまうことがある。それを気遣う悠一の優しさが海にはうまく伝わらなかったようだ。親の心子知らず・・・。悠一が過保護すぎる気もするが・・・。
翌日部活の体験最終日。海はバスケ部を訪れ、その日のうちに入部届を提出した。しばらくバスケから離れていてモチベーションが低迷していたが、重量感のあるボールに触れ、バッシュのキュッキュッという音を聞き、コートで汗を流しているうちに、懐かしさとともに眠っていたバスケ欲が急上昇した。
“やっぱりバスケが好き!”
今までのくすぶっていた気持ちは何だったのかと、海自身心境の変化に驚いた。
家に帰り、
「お兄ちゃん、バスケ部に入ることにした。」
とサラッと報告すると、悠一も顔色一つ変えずに、
「そうか。」
とだけ答えた。
“昨日のあれは何だったんだ?”
いつもの気まぐれなのか、それとも自分の話を理解してくれたのか、まあどちらにせよ無事高校生活のスタートを切れたことにホッと胸をなでおろした。
ところで話は変わって、海がぐんじょう高校を受験するきっかけとなった憧れの喜多先輩・・・同級生のきれいで優しそうな彼女と一緒にいるところを何度か見かけ、海の初恋は儚く消えてゆきました・・・(ノД`)・゜・。
「遠い憧れの存在で、本気で好きだったわけじゃないから全然大丈夫・・・」by海
おわり