4.空と海
チャイムが鳴り、2時間目たかやんの数学が始まった。
「日直、誰だ?」
と言われて、一瞬沈黙が襲った。海がハッと我に返り、号令をかけた。
「気をつけ、礼。」
「ボケッとしてるなよ!顔洗って来るか?」
「大丈夫です。」
“何でこういうブルーな日に、日直なんて当たっちゃったんだろう。”
すべてが嫌になってくる。まわりを取り囲むあらゆる物ごとが、自分を攻撃してくる気がしてたまらない。
“たかやんの授業には集中しなきゃ。”
そう思えば思うほど、頭の中と胸の奥の方がモヤモヤしてきて、今日から入った単元『三平方の定理』の説明なんて、まったく思考回路に組み込まれてこなかった。
よわしには通用したが相手がたかやんとなれば、机に突っ伏して寝たふりをする勇気はないし、ボーッとしていたら名指しで叱られ、少しでも反抗的な態度をとれば、おしおき部屋に呼び出され泣かされる羽目になる。たかやんの怖さは充分に分かっているはずなのに、海は大胆な行動に出てしまった。
たかやんが黒板の方を向いている間にクルッと振り向くと、斜めうしろの席の花憐へ小さく折りたたんだメモを回した。海が荒っぽく放り投げたのでうまく花憐の手に渡らず、そこでタイミング悪くたかやんが前を向きヒラヒラと落ちていく紙切れに目をやった。
“あっ!”
と思ったものの、海も花憐も知らん顔をして動揺を必死に押さえ込んだ。
たかやんにはそれが誰の仕業なのか分からなかったが、授業中に教師の目を盗んでコソコソと回し合う伝言メモであることは察しがついた。教壇を離れると生徒たちの目の動きを確認しながら、1歩1歩床に落下したメモへと歩みより手に取った。
「無視することにした!」
そこに書かれた文字を読み上げ、
「誰だ?」
周囲の生徒たちをグルッと見回した。教室はシーンと静まりかえり、
「誰が誰を無視するんだ?」
もう一度聞きながら、近くにいる生徒の顔を順にのぞき込んでいった。ピリッと張りつめた空気が流れ、張本人でないとしてもビビってしまうほどの迫力を感じた。
空は一番うしろの席だったので、一部始終を観察していた。
“海のヤツ、たかやんの授業で何やってんだよ!”
こうなってしまった以上、たかやんは徹底的に犯人を探し出し、その内容についてとことん追及してくるに違いない。ましてやイジメ的な要素を含んでいるのだから、放置しておくはずがない。すでにたかやんの中では、怪しいと思われる人物が特定されているのかもしれない。筆跡である程度は判断できるだろうし、授業中にそんな大それたことをやるヤツはそう何人もいないと。
空は海が無視することにした相手が頭に浮かびあがった。双子の勘なんていうものではなく、ここ数日の海の言動を思い返せば容易に想像がついた。そんなことがたかやんに知られたら、大目玉を食らうのは間違いない。海にはそのくらいの戒めが必要な気もしたが、さすがにたかやんの恐ろしさをよく分かっているだけあって、突き放すよりも守る方を選択した。
空は手を挙げて、たかやんに伝えた。
「先生、それ海が書いてました。」
クラス中の視線が空から海、そしてたかやんへと移された。海は驚いて、空を鋭くにらみつけた。
「昨日の夜、海とケンカしてオレのことすごく怒ってたから、まだ頭に来てて無視するって言ってるんだと思います。」
「海、そうなのか?」
「・・・・・。」
「2人とも廊下に出ろ。」
クラス中がざわついた。
「他の者は教科書の問1と問2をやっておくように。」
と指示を出し、たかやんは先に教室から出て行った。海がムッとして空の方に近づくと、
「黙って話、合わせろ。」
空の真剣な表情に、海は何も言い返すことができなかった。
花憐が心配そうに、
「海、大丈夫?私も行こうか?」
と言ってくれたけれど、
「花憐は関係ないよ。」
と言って、うしろのドアに向かう空のあとを追った。
たかやんは壁際に2人を並んで立たせると、
「海、オレの授業中にいい度胸だな。兄妹ゲンカするなら家でやってくれ。」
「・・・・・。」
「空、ちゃんとこいつ躾けとけ。」
「はい。」
海は一方的な言い方をするたかやんにムカついたが、もちろん反論なんてできなかった。
「うしろ向け。」
こういう展開でおしおきは免れないと分かってはいたが、授業中のシーンと静まり返った廊下でおしおきなんて・・・。しかも空と2人で。もし悠一が聞いたら、「双子で何やってるんだ!」と激怒するか、あるいは「おまえらバカップルみたいだな~」と爆笑されるか・・・。
空と海がうしろを向くと、まず空から腰を押さえられて、
バッシィーン!
学生ズボンの上からなのに凄まじい音がして、お尻にたかやんの強烈な平手が打ち下ろされた。
その音を聞いて何ごとかと、となりのクラスで授業をしていたよわしが顔をのぞかせた。海はすでに腰を抱えられおしおき体勢に入っていたので、よわしの存在には気づかなかった。空はバッチリと目が合ってペコッと頭を下げると、よわしは教室に引っ込んだ。
たかやんが腕を振り上げ、
バッシィーン!バッシィーン!バッシィーン!
スカートの上から3発、馬鹿力で叩かれた。
「中に入れ。」
みんなの視線を浴びながら席に着くと、そのあとは普段どおり授業が行われた。
休み時間になると、海は空に詰め寄った。
「何であんなうそついたのよ!」
「おまえ、本当のことがたかやんにバレたら、あのくらいの罰じゃ済まなかっただろ?無視するとかガキっぽいこと言ってないで、自分の態度を改めろ。」
空にビシッと指摘され、それが正論であったからなおさらカーッと頭に血が上り、
「空だってガキのくせに、偉そうなこと言わないでよ!」
と言うなり海は空に飛びかかり、床に倒れ込んだ空に馬乗りになって顔をピシャン!とひっぱたいた。
空も負けじと海を跳ね返し、
「何でおまえに殴られなきゃいけないんだよ!」
と言って、尻もちをついた海に手を振り上げた。
間一髪、今にも殴りかかろうとしている空の手が、背後からガシッ!とつかまれ止められた。空がうしろを振り向くと、普段あまり見慣れない怖い顔をしてよわしが立っていた。空と海が前の時間にたかやんからおしおきされていたのが気になって、教室に戻って来たところ、2人が取っ組み合っているのを目撃した。
左手で床に倒れている海を引き起こすと、右手は空の腕をつかんだまま何も言わずに教室を出た。海が手を振りほどこうとすると、よわしはさらに力を込めて嫌がる海を引きずるようにして職員室まで連れて行った。
中休み終了のチャイムが鳴り、職員室はガランとしていた。そこにたかやんの姿がなかったのが、何よりの救いだった。よわしは心配そうに様子を見ている月美に、
「風守先生、先に授業に行ってもらっていいですか?5分ほどで行きますから、宿題の答え合わせをしていてください。」
「はい、分かりました。」
月美は職員室を出て、次の教室に向かった。
よわしはイスに座り、目の前に2人を立たせると、
「さっき廊下で藤重先生にお尻を叩かれていたけど、それと今のケンカは関係があるのかな?」
海は口をギュッと閉じて、何も答えようとしなかった。
よわしが空に返事を求めると、
「ちょっと家でゴタゴタしてて、学校まで持ち込んでしまってすみませんでした。」
しっかりと答えて頭を下げた。
「自分たちで解決できそうなのかい?それとも僕が立ち入ったところまで話を聞いた方がすんなりいくのかな?」
「大丈夫です。」
空が答えると、
「海はずっと黙っているけど、何か言いたいことがあれば言ってほしいな。言葉にしないと、気持ちは相手に伝わらないからね。」
それでも海は黙ったままで、ただ首を横に振った。
「やれやれ。そういうことなら僕は見守ることしかできないけど、もし助けが必要になったらいつでも相談においで。」
問い詰めるでも叱るでもなく、よわしらしい優しい対応だった。
「じゃあ授業に戻って。」
よわしは2人と反対方向に歩いて行くと、だいぶ離れたところに来てからフーッとため息をついた。
「ごめんね、空。」
「おまえ、顔ひっぱたくのはやめろ。まじで痛かった。」
「何でよわし怒らなかったんだろ?」
「兄妹ゲンカだからだろ。」
「でも学校であんな風に暴れたら、普通もっと怒ると思わない?」
「次の授業があるから、こんなバカげたことに構ってられないんだろ?兄妹ゲンカは犬も食わない、じゃないか、夫婦ゲンカかそれは。」
1人で突っ込んでいる空を無視して、
「いつもなら絶対におしおきされるパターンなのに・・・。」
「分かんねーぞ。夜、家に電話されて、兄ちゃんに言いつけられるかもしれないし。」
「それはそれで嫌だよね。でもよわしからは、きっと何もないってことだよね?」
「たぶんな。」
「見捨てられちゃったのかな・・・。」
海は寂しそうにつぶやいた。
2人は
「遅れてすみません。職員室に行ってました。」
と言って教室に入った。
つづく