1.バスケ部
中学時代の海は3年間バスケ部に所属し、あの鬼顧問たかやんの元、仲間と共に汗水流し部活漬けの日々を送っていた。高校生になって悩んだ挙句、一応バスケ部に入部届を提出したものの、モチベーションは大幅に低下していた。中学でやりきった感が強かったせいなのか、高校ではもっと他のことに目を向けたいという願望があるからなのか、海自身はっきりしない状態で2か月余りが経過した。練習に参加してもただ何となく時間を費やすだけで、そこには楽しさも充実感も見出せなかった。
ぐんじょう高校の女子バスケ部はそれほど強くなく、練習も週に3~4日あるだけだったし、顧問は名前だけで姿を現わすことは滅多になかった。3年生が主体となって進められ、決してだらけているわけではないのにピリッとしたものが足りない気がした。こうした中学とのギャップも夢中になれない要因の1つだった。
“辞めたいのか?”
と自分に問えば、
“もう少し続けたい気もする”
という答えが返ってくるのは、きっとバスケ自体は好きであり、今まで積み重ねてきたものをすっぽりと切り離すことにためらいを感じているのだろう。
海は他の1年生より少し遅れて入部し今までズルズルと続けてきたが、6月に入ると徐々に足が遠退いていった。練習をさぼって友達とカラオケに行ったり、ファミレスで何時間も居座ったりと、頭に描いていた女子高生の放課後を満喫していた。顧問に叱られることもなく、先輩たちに睨まれることも、同級生に嫌な目線を向けられることもなかった。こうして部活よりも楽しくて楽な時間を選択する割合が日に日に増えていった。部活を休んだ日は夕方余裕ができて勉強時間が多く取れそうなものだが、まったくといっていいほどそういう状況にはならなかった。
中途半端な状態というのは何事にも身が入らず悪循環を引き起こすもので、テストの結果はさんざんだった。中間テストは高校生になって初めての定期テストということで気合いが入っていたし、範囲も狭くそれほど難しくなかったので問題はなかったが、今回の期末テストでは日頃の怠惰がたたり、学年順位がとんでもなく落ちてしまった。
もちろん悠一が黙っているはずもなく、空と海を目の前に座らせ、テスト結果をテーブルの上に広げて硬直した状態で説教タイムが始まった。進学校でまわりのレベルも高く、試験で上位を狙うのは難しいということは分かるが、それにしても海のテスト結果は酷すぎる。空は学年の真ん中よりも上位にいるからまあ良しとして、海はそれよりもずっとずっと底辺に近い方・・・。
悠一は海はやればできることを知っていたし、負けず嫌いの性格だからこんな成績をとったら悔しくてたまらないはず。それなのに最近の海を見ていると、気が抜けてしまったようで意欲というものをまったく感じない。リビングで勉強している姿は見かけないし、自分の部屋に行ってからも友達とペチャクチャおしゃべりしている声が夜遅くまで聞こえてくる。悠一の方が先に寝てしまうので、海が何時に寝ているのか見当がつかない。
医者として保護者として生活習慣の乱れは改善すべきだと思っているが、それに関してはまだ堪忍袋に余裕があった。しかし今回のテスト結果を目の当りにすると、見過ごしてはいけない状況だと判断した。出だしからつまずいてしまうと、あとから追い上げるのはかなり苦労するだろう。今どうにか対策を講じて軌道修正しなければ絶対に後悔することになる。悠一は頭ごなしに叱りつけるのではなく、海の話をじっくりと聞いて2人で改善策を探そうと考えた。
「海、今回のテストの結果をどう思う?」
「うーん、全然ダメだった。」
「授業にはついていけてるのか?」
「たぶん。」
「たぶん?」
「何となく。」
「何となく?」
「だってスピードが速くてどんどん進んじゃうんだもん。」
「それはついていけてないってことじゃないのか?難しいのは分かるが、もう少し頑張らないとまずいだろ?」
「うん。」
「勉強時間が足りないか?」
「・・・うん。」
「やっぱり部活と両立するのは難しいのかもな。」
「うーん・・・。」
悠一は海が部活をさぼり気味なのを知らなかった。
高校生ともなると部活と勉強を両立させるのは容易なことではない。時間をうまくやりくりしなければ勉強時間を確保するのは難しいだろう。
「勉強が疎かになるようなら、部活考えなきゃいけないな。」
「えっ?」
海のこの「えっ?」は
“お兄ちゃん、勉強ちゃんと頑張るからそんなこと言わないで”
の落胆の声ではなく、
“部活辞めていいの?”
の驚きが思わず声に漏れたものだった。海の方から「部活辞めたい」と言い出したら、悠一はきっと「一度始めたことを途中で投げ出すな!」と檄を飛ばしていたに違いない。
「これを機に真剣に考えてみろ。部活を辞めるとか塾に通うとか家庭教師をつけるとか。とにかく勉強を最優先させなきゃいけないからな。」
「うん、分かった。」
海はうつむき加減にしょんぼりと返事をした。本当は「じゃあ部活辞める」と即答したかったが、それでは魂胆が見え見えの気がして2~3日考えるふりをした。
「空はまあまあだな。この調子で頑張れ。」
「うん。」
“それだけならオレ、長い時間ここにいる必要ないじゃんか!”
隣で塩らしくしている海を横目に、
“オレは勉強と部活と趣味の世界を両立させなきゃいけないんだから、おまえと違って本当に時間配分が大変なんだ。おまえの演技につき合ってる暇なんて、これっぽっちもないんだからな!”
空はぶつぶつ心の中で文句を言いながら部屋に向かった。
「海っ!」
海も空のあとを追って階段を上がろうとするのを悠一に呼び止められた。
「何?」
「このまま終わるはずないだろ?」
「何で?」
「こんな成績とって平気な顔して、いったい何考えてるんだ!」
さっきまでの優しく諭すような口調とはガラッと変わり、低い声で冷たく海を睨みつけた。
「おしおきしておかないと、気合いが入らないだろ?」
「大丈夫。今度からちゃんとやるから。」
「おまえのちゃんとやるなんて、まったく当てにならない。」
「結局そうなるんじゃん。」
「そりゃそうだろ。罰は罰としてしっかりと受け止めろ。」
これ以上拒んで文句を言ったところで、もうどうにもならないと分かっていたので口を閉じた。
「さて、どうするか?マイナス分だけ叩くか?」
「えー!マイナス分ってテストの点数の?」
それはかなりの数になるのは間違いなかった。7教科だいたい平均すると50点ぐらいだから、ざっと計算しても350発。そんなのあり得ない。
「お兄ちゃんお願い。そんな子供っぽいやり方やめて。今度は本当に絶対頑張るから。」
海が必死に頼み込むと、
「子供っぽい?おしおきでケツ叩かれる時点でよっぽど子供っぽいけどな。特別今回は100発ぐらいで許してやるか。」
今までテストの成績が悪くておしおきされたことは一度もなかった。中学時代は勉強と部活を両立させてよく頑張っていたのに・・・。
悠一は座っているイスをうしろに引いて太ももをポンポンと叩き、海をひざに乗るように促した。ここで抵抗すれば100発が50単位で増えていきそうだったので、海は素直に悠一のひざに横たわった。衣服の上からのウォーミングアップもなく、ガバッとお尻を出されて
「自分で数えろ。」
と言われ最初の1発が飛んできた。
バッチィーン!
お尻に強い衝撃が走った。
「痛いっ!」
普段数なんて数えさせられないので恥ずかしくて黙っていると、
「いつまで経っても終わらないからな。」
と言われて、
バッチィーン!バッチィーン!バッチィーン!
続けて3発叩かれた。4発目がお尻に飛んできたとき、やっと海の口から
「4」と聞こえてきたが、
「これが1だ。」
と訂正された。
バッチィーン!
「2」
バッチィーン!
「3」
バッチィーン!
「4」
・・・・・・・・・・
“100までなんて絶対に数えられない”
まだ「20」だというのに、お尻は熱を持ってジンジンしている。そのうち痛くて数を忘れてしまうかもしれないし、数え間違えてカウントされないかもしれない。ところどころに「痛いっ!」の叫び声が混じったが、悠一は手を緩めることなく叩き続けた。
『100』なんてあっという間だというい人もいるだろうが、自分で数を数えるとなると1発1発の重みが増し、なかなか終点が見えてこない。小さい頃お風呂で湯船につかって「100まであったまったら出ていいよ。」とお母さんに言われて、のぼせそうになりながら一生懸命数字を口ずさんだときのように。
やっとのことで「100」をコールすると、悠一の手が止まった。
「反省できたか?」
ひざに横たわったままの状態で顔をのぞき込まれた。少しふてくされた感じで
「うん。」
と答えると、
「その態度じゃまだ足りなそうだな。まあ今日のところはこのくらいにしておくか。」
やっとひざの上から解放された。海は口を尖らせたままパンツを上げて、
「おやすみなさい。」
と言って逃げるようにその場を離れた。
翌日海はバスケ部の顧問に退部届を提出した。昨夜の話では「例えば部活を辞めるとか」という1つの選択肢として提案されただけであって、結論を出すのは海自身も2~3日考えてからと思っていたのに、時間をかけてじっくりと考えるというのは性格上不可能だった。思い立ったら吉日、海のムチャブリは今に始まったことではない。悠一には事後報告の形になるので、また怒られるかもしれないが、「もう高校生なんだから、自分のことは自分で決める!」ときっぱりと言い切ることにした。こうやって「もう高校生なんだから」を都合よく引用するのはどうかと思うが・・・。
退部届を出してすっきりしたものの、心の片隅にモヤモヤ感が残った。顧問に退部したいと申し出たとき、すんなりと承諾され、
「退部届に印鑑を押して提出するように。」
と事務的に言われただけですべてが終わりになった。辞めさせてくれないかもしれない、引き止められたらどうしようという思いが多少なりともあったのに、呆気なさすぎて淋しく感じた。自分は必要とされていなかったという虚無感に襲われた。
練習さぼってばかりで真剣に取り組んでいなかったくせに、ずいぶんと身勝手なことを・・・。
中3で女バスのキャプテンとなり、プレッシャーに耐えられず『辞めたい』と悩んだこともあったが、たかやんは海を見捨てなかったし、決して辞めさせてくれなかった。いくら不調に陥っていてもバスケが大好きだったので、お尻を叩いて鼓舞してくれたたかやんには今でも感謝している。高校生になって海の気持ちがこんなにも変化してしまったのは、環境によるものなのか、海自身の問題なのか・・・。
順風満帆充実した日々もあれば、壁にぶち当たって立ち止まったり、くだらないことで遠回りして後悔に苛まれるときもあり、思春期いや人生ってそういうものですよね~。でもそういったすべてのものが自分を形成する要素になっているのだから、歓びも悲しみも困難も受け入れて前に進んでいきましょう!byあまめま*じゅん
その日の夜、海は怒られることを覚悟して、退部届を提出したことを悠一に伝えた。悠一は一瞬驚いた顔をしたが、問い詰めたり引き止めることなく無表情で
「分かった。」
と答えた。無表情といっても怒っている感じではなく、どちらかというと「そうかそうか」と納得している印象だったので海はホッと胸をなでおろした。
空が横からチャチャを入れて、
「やっぱりバスケやりたいって、すぐに言い出しそうだよな。」
「部活辞めたら太るぞ。」
「放課後時間たっぷりあるから、たくさん勉強できるな。」
悠一は自分の言いたいことをすべて空が代弁してくれたので何も言わずに海の反応を伺っていたが、海は空の挑発には乗らずシラーっとしていた。
いつか部活を辞めたことを後悔する日がくるかもしれないけれど、今はこうすることが一番いい選択だと思ったし、それをまわりからどう言われようと考えを変えるつもりはなかった。
つづく