出産の記録 | 子宮筋腫と不育症を乗り越えて赤ちゃんがほしいアラフォーのブログ

子宮筋腫と不育症を乗り越えて赤ちゃんがほしいアラフォーのブログ

不妊治療の記録を残すために始めたブログです。
2015年2月 無事に男の子を出産し、念願のママになれました。
これからは、育児に関する記事を残していきたいと思ってます。

お久しぶりです!!

今日でちょうど産後、2ヶ月
少しずつ余裕がでてきたので、出産のことを記録として残しておきたいと思います

赤ちゃんは、「ゆ」のつく名前にしたので、ブログでは、「ゆーくん」と呼ばせてもらいます。

ゆーくんが産まれる前日、予定日の5日前の2月5日の朝9時頃、「にゅる」っと生理の血が流れるみたいな感覚がありました。

その時は、おりものか、おしるしかな?と思って、気にしなかったのですが、10時頃にも同じ感覚がありました。

何かおかしいと思ってネットで調べたら「高位破水」の状態に似てたので、病院に電話。
とりあえず、来て診察しないとわからないとのことで、タクシーで、病院に向かいました

病院に着いて診察してもらうと、やはり、破水してるとのこと。
「今日、1日様子を見て、陣痛がこなかったら、明日の朝、促進剤を打って陣痛をおこします。」と言われ、即、入院になりました。

その後、陣痛を促すために、足湯や乳首のマッサージ、スクワットを行うも、前駆陣痛しかきませんでした。
その間、NSTで赤ちゃんの心拍を図っていた時に医師と助産師さんが慌てて、部屋に来て、陣痛がきた時に、心拍が下がっているので、帝王切開の可能性もあると説明されました。

結局、本陣痛はこず、翌朝の6日の朝、促進剤を打ちました。
それからすぐ、陣痛が頻繁におこり、子宮口はあっと言う間に開き、助産師さんや医師が増え、分娩の体制に向け、周りは騒がしくなりました。

何度かいきみ、お腹の上から押してもらい、吸引されるも、ゆーくんは産まれず、心拍が低下していったため、急遽、緊急帝王切開になりました。
その時、産婦人科医3人、小児科医1人、助産師10人はいて、何か大変な状態になっている様子が伺えました。

その後は、手術室に移動し、服を脱がされ、お腹を消毒され、麻酔科の医師が挨拶したところまでは記憶にありますが、それ以降は全身麻酔のため、記憶になく、次に目覚めた時は、「◯◯(私の名前)さん、無事に男の子が産まれましたよ」と言われました。
まず、「泣きましたか?」と聞いて「泣きましたよ」と言われた瞬間、涙が溢れました。
病室に行くまでの間、旦那が私の名前を呼び、手を握って、ありがとうかお疲れ様と言ってくれました。

病室についてから、助産師さんがゆーくんを連れてきてくれ、少しの間、ベッドで一緒に並んで、旦那と3人で写真撮影をしました。

ゆーくんは、心拍が低下し、産まれた時は仮死状態だったため、保育器に入ることになり、すぐに母子同室にはなりませんでした。
手には点滴。
こんなに小さいのに。ごめんね。しんどかったね。
よく頑張ったね。
産まれてきてくれてありがとう。

産後は、涙もろくなると言いますが、色んな感情があふれ、病室でどれだけ泣いたことか。
私は、自分を責めました。
ゆーくんにしんどい思いをさせてしまったこと。
一生に一度のことだから、出産に立ち会いたいと願った 旦那の願いを叶えられなかったこと。

でも、産まれ方はどうであれ、母子共に健康であることが一番なんですよね。
ゆーくんの寝顔、泣き顔、笑顔を見ると心からそう思います。

ゆーくん
我が子を抱ける幸せをママとパパに与えてくれてありがとう。
ママは、とても幸せです


長文、読んでいただきありがとうございました。