昭和と聞いて思い浮かぶのは?
家族や家族のような職場
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ですが、今回のコンテンツは肯定で。
前回の続きです
赤羽の支那そば大陸
2013年ころ、ゾンカ語クラスの後、お昼にほぼ通っていたに近かった街中華。どれをいただいても美味しかった。セットも美味しく、オロチョンラーメンとか廣東麺とかからし焼き、セットの春巻き、お母さんのおにぎり、全メニュー食べてみたかったのですが、
気候や体調や腹具合でこのクラスのコースが終わるまでには全メニューは食べられませんでした。
ここ、今でも営業しているみたいで、嬉しいです。
仲睦まじい夫婦が凄く伝わるので味だけでなく、
お金に換えられない雰囲気が堪りません。
この店に地域ネコちゃんたちがまるで飼い猫のようにお客さんの空席にチョコンと座りこんでいて、あくびもしていました。「この子たちは誰の家のネコでもないのよ」なるほど、この近辺、猫を何匹も目撃しました。
去年何度か行った新潟太郎代「北新食堂」は猫たちが店内に入ることはなかったのですが地域ネコが来ていました。
昔は駅前にお店を出していたのだそうで、失敗して立て直しをしたというような話しもされていた記憶があります。10年前なんで定かではないんですが。どこかが闇市の跡地というようなお話しも伺った気がするのですが、近隣のお店だったかもしれません。今、思うの「あの辺り」がそうだったのかもしれませんね。
そういえば、ご主人、新潟出身だったと思ったのですが、
新潟に滞在して、こういうセットが普通みたいでしたし、小皿で冷ややっこも出していただいたと記憶しています。
ああ、気づかないところに新潟の文化がしみ込んでいたのかもしれないと、これを打ちながら気づきました。チャーハンの具がナルトでなく、じゃこ天だったり、たっぷりの叉焼だったり手作りだからこその小さな変化球。
お店のPOPは娘さん(お孫さん??)の手描き。
赤羽にはこのお店の他にご夫婦で営業していた街中華もあったのですが、今は閉店しているようです。
赤羽って朝まで呑んでいる人・朝から呑んでいる人・昼呑み、土曜日だったからかもしれませんが、そういう土地柄でした。夜遅くに通るの怖いなあ。近くにお化け屋敷のバーもあったし(※当時)
赤羽は戦後の地方から上京して定住した人とか、隣の川口の外国出身者(コリアなど)が潜在的に多かったように感じます。東京にしては地方の香りとか雑多な人たちの賑わいと
赤羽でアルコールを楽しんで〆のラーメンってコースなんだったのでしょうか。
お昼にしか伺っていないのですが、このご夫婦なら面倒くさい酔っ払いさんも暖かく迎えていたんだろうというのは想像しやすいんです。
コロナ自粛のとき、どうだったのかしら?
とても気になるので、ついでではなく、久しぶりに食事とお話しのために行ってみたいと思います。
もう少し街中華のお店について書きたかったのですが、
長くなったので次回に分けます。