職場のお茶出しについて思い巡らせました。
埼玉大学非常勤講師時代、
お茶くみのおばさんがいらっしゃいました。
旧2限、新3-4限の授業だったので、
お昼ご飯前の授業。
終わって学内の食堂で食事をして、
学生のプリント書き込みを読む、
食後で眠たい。
煎れていただいたお茶とインスタントコーヒーの
美味しいこと美味しいこと。
彼女のおかげで活力が湧きました。
ある日、彼女は解雇されました。
この仕事は不要という冷たいお達し。
彼女の存在が大きかったと感じた半期。
ようやく彼女がいないことに慣れてきました。
が、人柄も相まって寂しく感じることがありました。
私は母親に「いいお嫁さんになる」を押し付けられて
育ちました。
この件はゆくゆく。
母親は、仕事もできて、
看護師、養護教諭、看護学校講師、看護師管理職(中間含む)を歴任し、公私ともに「女の仕事」をこなしながら。
私もそうあるべきと思いこんでいました。
で、日本の帰国してすぐ、
キングレコードで翻訳・監修の仕事をしました。
その時、私は、スタッフや関係者に無意識にお茶を入れました。
その時、担当者が私に怒ったようでした。
「先生にお茶を煎れさせるのはマズい。
ウチの若いヤツが仕事しないみたいじゃない」
…??
ああ!私はお茶出ししちゃいけない立場だったんだ!!
単にみんな疲れているだろうから、って。
今考えると違う、女だからお茶くみするのが当たり前。
それが無意識に行動に出たんだろうって。
その後、小学校に勤務した時、
当時は小学校って女性の職場でした。
男性上司がいて、少し男性が学級担任。
お茶くみ、若い男性教諭がしていました。
ああああああああ!
そして大学勤務。
お茶を出してくださっていた彼女。
感謝以外の何者でもありません。
それから高校勤務では、
事務職員が自分の仕事を中断して、
お客様にお茶出し。
この数年。
インド関係の仕事が増え、
出て来るお茶は自動販売機から出したもの。
んんん。
インドだと、お茶を売りに来る人がいて、
オフィスで買ってお客にだしているもんなあ。
それと自販機なら合理的。
お茶出し、差別だと言われるけれど、
それも一種のスキルだと思う。
季節でお茶の温度も違うし、
時間帯でも美味しさは違う。
「どうぞ」の一言で疲れが取れる。
これは男でも女でもいいと思う。
何で法律でダメっていうのでしょうか?
日本がバブル期を迎えた一因のひとつとして、
どうでもよさそうな仕事をしていた人たちの
功労あってのことじゃないかって思います。
あ、そうそう。コピー取り。
昭和・平成OLさん、
あの当時のコピー機、
影を目立たせなくするとか、
結構いろいろ工夫していたんじゃないのかしら?
機能良くなかったからね。
私、お金出してスキャナー買いました。
でも、下手です。
日本語テキスト分厚いので。
お茶くみ、コピー取り、
究極を目指したか、腰かけでテキトーか?
どちらでもいいけど、間接的に経済の発展貢献。
腰かけでいい加減な仕事していた人も、
労働者人口を増やした社会的な役割を担っている。
今や女性や学生バイトでも足りなくて外国人雇用。
日本社会全体が(一見)どうでもいい仕事をする人を
雇える状況ではなくなってしまいました。
勤務していた高校で。
そういえば専門学校でも
一時帰国されて戻られた外国出身の先生からのお土産。
一緒にお茶もだしていただいていた。
事務のかたが煎れてくださっていた。
この話題、「10時のおやつ」調べてからいつかまた。
私の職場のいいところ教えて!
あ、すみません。
今リモートで一匹狼です。寂しいな。
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