まずはリブログ。
これを拝読して母方の祖母と実母のお手入れを思い出しました。
戦中台湾での暮らし
私の母方の一家は実母が生後3ヵ月の昭和4年から第二次世界大戦後まで日本領時代の台湾・台中に住んでいました。祖父は植物学者で師範学校の教員として大分から赴任していたのでした。
おうちは広そうではなさそうでしたが、お庭は広いと感じる話しが多かったのです。
お転婆な実母=純子は、
バナナ、パパイヤ、ココナッツの木登りをしたとか。
田んぼのアヒルの卵を取りに行く、アヒルは「びびびび」と呼ぶとやってきて餌をやっている隙のこと。
ヘチマ栽培
祖父の研究のため、大学の研究所の敷地以外に、
自宅で品種改良したい花と枇杷はお庭にあったとか。
そのほか祖母が、ヘチマ、苦瓜(ゴーヤ)、香菜(パクチー)などお庭に撒いていたとか。
日本に引き揚げてから、祖母はそういった栽培をしなくなったと記憶しています。食用だけではなかったようです。
実母は実父と結婚してアパートから引っ越して、
お庭がある家に住んでいて(短期間)専業主婦だった頃、
ヘチマ栽培をしていました。
私が幼稚園から小学校2年まで(1965-1967)
[回想]
娘=私に…。
「ヘチマはね、日本人は食べないけど、
台湾の人は食べるんだよ。若いのを炒めてね」
「へええ」
「ヘチマはね、たわしになるのよ」
「へええ」
はい、お風呂に
ヘチマのボディスポンジというか、たわしが
毎年新しいのを置かれていましたね。
取り換え時期にはカビが生えてきますしね。
「ヘチマはね、化粧水になるのよ。面倒くさいけどね」
「へええ」
それから数か月後、私はピアノの先生のお宅で、
『サザエさん』原作漫画で、
サザエさんがヘチマ水を作っているコマを読みました。
…ああ、お母さんが言っていたのは、これかあ。
その当時は何とも思わなかったし、
興味もありませんでしたから。
[その後]
団地に引っ越してからも実母はヘチマのベランダ栽培、
仕事が忙しくない年には行っていました。
その後、苦瓜の種が出回るようになったら、
食べること優先、グリーンカーテンでそちらに移行しました。
思わずドラッグストアーで在庫チェック
食用だけじゃない
ヘチマ、苦瓜(ゴーヤ)、香菜(パクチー)、パパイヤ
実は全部スキンケアに使える素材だったことに気づきました。
先ほどのリブログした記事を読んだときです。
また民間療法などでも使われていました。
天然スキンケア
今、思ったのですが、
日本では、
花びらを浸して収れんふき取り化粧水、
ヘチマ水、
米ぬか洗顔、
小豆スクラブ、
ドクダミ、
など。
世界的には
薔薇科のエキス、
アロエベラ、
果物の種オイル、
など。
中国・韓国では
ツバメの巣、真珠
など…なぜか高い
天然の素材を活かしてスキンケアしていたんですね。
もしかすると
祖母がヘチマ栽培していた主目的はスキンケアでは?
当時の台湾だと本土からの化粧品の輸送困難とか、
戦争中だったから不足していたとか、
それとも、元ブログのように台湾女性がスキンケアしない(嫌い)からあまり売られていなかったとか。
実母も祖母も普段使いの基礎化粧品は資生堂でした。
そして実母がヘチマ水をバシャバシャつけて、
気持ちよさそうだったことを思い出しました。
そういえば、私がしっとり系の化粧水を使っていたら、
実母は「私はさっぱり系がいいね」と言っていました。
ヘチマ水の気持ち良さがあるんでしょうね。
元ブログのおかげで日本の天然基礎化粧品を見直すきっかけになりました。
今使っているものを切らしたら、まずは買ってみて、次は手作りに挑戦しようかと思っています。