1989年5月。息子を産みました。難産でした。
出産退院して、しばらくしてこの日本でいうところの「天安門事件」(六四)のはじまりである学生たちの座り込みがはじまりました。
小さなテレビ画面の向こうから「民主化」を要求する声がきこえてきました。
私の乳飲み子は、戦車のキャタピラーの音や銃声をききながら…人生がはじまったということになります。
あれから25年、息子は会社員となり、私より中国語も英語も上手に??なりました、たぶん。
25歳だね。
毎年、彼の誕生日のあとは、「天安門から○年」というニュースを見聞することになりました。
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まずは、亡くなった方々が生まれ変わって良い人生をすごされていることを祈ります。 生まれ変わらない宗教を持って育った方々はご冥福と天国での日々を祈ります。 命がけになる必要がないことに対して命を落としてしまったと思っています。 他の国であれば、学生・市民の要求デモに軍隊が発砲することなど、 考えられない・あったら本当の暴動と化す、などありえないシチュエーションだからです。 やはり許されないことを中国政府は行ってしまったのだという気持ちが強いんです。 その後、日本の機動隊のような武警ができましたが、今は少数民族弾圧に活躍?しているような気がしてなりません。
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さて、↓記事。これも含めていずれ真実が明らかになるだろう…。 と、いうのは、当時から私の周囲では情報が錯綜していて、今でも本当のことはわからないからです。
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以下は、私が見聞・体験したことを羅列しました。 「歴史評価は作られる」中国の伝統だから、真実がどこにあるのかわかりません。 ですが、この「事件」??に関してスッキリしないことが多いのです。 批判すべきは中国政府であることは間違いないのですが、それだけではないからです。
★「どうせ幹部の子弟の権力抗争じゃん!!」 はい、マイク持ってガンガンやっていたのは、共産党や軍部の幹部のお孫・お子様たちでした。 彼らが犠牲になっても矢面に立っても頑張っていたのか、伝聞の通りなのか…わかりません。 ただ当時はまだ一人っ子政策とは関係ない兄弟がたくさんいても当たり前の時代で、 幹部の子供が「党員」「軍部」「役人」「商売」「学者」「留学」「反体制」といろいろいて、 個性なのか、政治体制がどう転んでもいいように育てられたのか、不明です。
★「先生たちが先導した」「先生たちが先導したように見せかけた陰謀だった」 まぁ、ノーベル賞の劉暁波氏みたいな方々を指しているんでしょうね。 このままじゃヤバい意識があった純粋な学者たちは、おバカな文革の大学院生たちを見て危機を感じるのは当たり前だったのでしょう。 実感として、マジ、文革時期に院生だった大学教員、おバカ多かったんです。 「日本語学科」みたいなところは、「これで??」みたいな先生多かったし、かつてのレベルとはくらべものになりませんでした(周恩来くらいを標準として) 文革のばかばかしい大学教育の影響が出てきて、先生動いて当然だったよなぁと思わざるを得ません。
★自称「民主化運動のメンバー」1 結局、この「事件」のあと、第三国?、特にフランスに逃げていきました。 残った普通の学生はどうなったのか消息をききません。
★自称「民主化運動のメンバー」2 私に「ラサに民族学院を設立したいので協力してほしい」と言いました。 で、周囲に相談したところ「それは協力しないでほしい。中国の一部として認めることになるから」 お返事しないまま、彼らは欧米に去って行きました。 この話を持ちかけたのは漢族とマイクを持ってガンガンにやっていた少数民族の共産党大幹部の孫の手下??みたいな若者たちでした。 本人も密かに日本に来ていて…はい、彼を知る男性たちから「一夫多妻のナンパ」と…すみません…そういうの鈍感なんです…☆
★「民主化運動の奴ら」という人たちがいる 同じ大学…二つ…に在籍していた同年代からすると、やっと普通に大学教育が受けられるようになった、若い先生のレベルは低いけれど。 その環境を壊されたと感じる後輩がいました。 いい先生は台湾に出ちゃったし、国家のいいなりのおバカ先生だけ残って勉強にならない、我慢してほしかった…とのこと。
★…で、誰も得しなかった…という言い方がある 放っておいても、胡耀邦は権力闘争で勝ったかもしれない…時期が間違っていたんじゃないの??って。
★「軍部の罠でしょう」 まぁいつものことだからありえますが、だとしたら、銃を向けるなよ!!
★「あのとき銃を向けたのは少数民族の部隊」1
ほぼ事実のようです。ですが、正確には「少数民族地域に配属された国境警備部隊」です。
★「あのとき銃を向けたのは少数民族の部隊」2
で、噂として、「中国語がろくにわからない少数民族の隊員に『あいつらは暴動を起こしている』『あいつらはテロリスト』と吹き込んで発砲させた」とのこと。 軍人になった少数民族がそんなに語学力が低いのか、どうやって隊員になったのか疑問ですね。
★「あのとき銃を向けたのは少数民族の部隊」3
漢民族に恨みを持っている人たちが、ここぞとばかり打った…てか、年齢間違っているよね。 あの当時の同年代なら、中国人民で生まれているんで、で祖父母・父母の話をきいて恨んでいたら、人民解放軍に入るかぁ?? で、マイク持ってガンガンやっていた彼は漢人ではないし。
★「あのとき銃を向けたのは少数民族の部隊」4 今、尖閣とかいろいろ言うけど、あそこの部隊、弱いんです。 人民解放軍って、少数民族地域との境界とか陸続きの国境の部隊が強いんで…。
★…で、結局…☆ 政府、というより軍事政権中国。
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話は、私事に戻りますが、息子が生まれて、1989年11月「ベルリンの壁」が壊されました。 翌1990年「湾岸戦争(イラ・イラ戦争)」勃発。 「東西の対立」から「(宗教的・思想的)価値観の対立」に世界が変化していきました。 私たち親子は、「理不尽なことを拒否する」人生をそれぞれ歩く課題を持っていると感じています。 この六四は、「理不尽」の象徴だとも感じています。
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まずは、亡くなった方々が生まれ変わって良い人生をすごされていることを祈ります。 生まれ変わらない宗教を持って育った方々はご冥福と天国での日々を祈ります。 命がけになる必要がないことに対して命を落としてしまったと思っています。 他の国であれば、学生・市民の要求デモに軍隊が発砲することなど、 考えられない・あったら本当の暴動と化す、などありえないシチュエーションだからです。 やはり許されないことを中国政府は行ってしまったのだという気持ちが強いんです。 その後、日本の機動隊のような武警ができましたが、今は少数民族弾圧に活躍?しているような気がしてなりません。
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さて、↓記事。これも含めていずれ真実が明らかになるだろう…。 と、いうのは、当時から私の周囲では情報が錯綜していて、今でも本当のことはわからないからです。
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以下は、私が見聞・体験したことを羅列しました。 「歴史評価は作られる」中国の伝統だから、真実がどこにあるのかわかりません。 ですが、この「事件」??に関してスッキリしないことが多いのです。 批判すべきは中国政府であることは間違いないのですが、それだけではないからです。
★「どうせ幹部の子弟の権力抗争じゃん!!」 はい、マイク持ってガンガンやっていたのは、共産党や軍部の幹部のお孫・お子様たちでした。 彼らが犠牲になっても矢面に立っても頑張っていたのか、伝聞の通りなのか…わかりません。 ただ当時はまだ一人っ子政策とは関係ない兄弟がたくさんいても当たり前の時代で、 幹部の子供が「党員」「軍部」「役人」「商売」「学者」「留学」「反体制」といろいろいて、 個性なのか、政治体制がどう転んでもいいように育てられたのか、不明です。
★「先生たちが先導した」「先生たちが先導したように見せかけた陰謀だった」 まぁ、ノーベル賞の劉暁波氏みたいな方々を指しているんでしょうね。 このままじゃヤバい意識があった純粋な学者たちは、おバカな文革の大学院生たちを見て危機を感じるのは当たり前だったのでしょう。 実感として、マジ、文革時期に院生だった大学教員、おバカ多かったんです。 「日本語学科」みたいなところは、「これで??」みたいな先生多かったし、かつてのレベルとはくらべものになりませんでした(周恩来くらいを標準として) 文革のばかばかしい大学教育の影響が出てきて、先生動いて当然だったよなぁと思わざるを得ません。
★自称「民主化運動のメンバー」1 結局、この「事件」のあと、第三国?、特にフランスに逃げていきました。 残った普通の学生はどうなったのか消息をききません。
★自称「民主化運動のメンバー」2 私に「ラサに民族学院を設立したいので協力してほしい」と言いました。 で、周囲に相談したところ「それは協力しないでほしい。中国の一部として認めることになるから」 お返事しないまま、彼らは欧米に去って行きました。 この話を持ちかけたのは漢族とマイクを持ってガンガンにやっていた少数民族の共産党大幹部の孫の手下??みたいな若者たちでした。 本人も密かに日本に来ていて…はい、彼を知る男性たちから「一夫多妻のナンパ」と…すみません…そういうの鈍感なんです…☆
★「民主化運動の奴ら」という人たちがいる 同じ大学…二つ…に在籍していた同年代からすると、やっと普通に大学教育が受けられるようになった、若い先生のレベルは低いけれど。 その環境を壊されたと感じる後輩がいました。 いい先生は台湾に出ちゃったし、国家のいいなりのおバカ先生だけ残って勉強にならない、我慢してほしかった…とのこと。
★…で、誰も得しなかった…という言い方がある 放っておいても、胡耀邦は権力闘争で勝ったかもしれない…時期が間違っていたんじゃないの??って。
★「軍部の罠でしょう」 まぁいつものことだからありえますが、だとしたら、銃を向けるなよ!!
★「あのとき銃を向けたのは少数民族の部隊」1
ほぼ事実のようです。ですが、正確には「少数民族地域に配属された国境警備部隊」です。
★「あのとき銃を向けたのは少数民族の部隊」2
で、噂として、「中国語がろくにわからない少数民族の隊員に『あいつらは暴動を起こしている』『あいつらはテロリスト』と吹き込んで発砲させた」とのこと。 軍人になった少数民族がそんなに語学力が低いのか、どうやって隊員になったのか疑問ですね。
★「あのとき銃を向けたのは少数民族の部隊」3
漢民族に恨みを持っている人たちが、ここぞとばかり打った…てか、年齢間違っているよね。 あの当時の同年代なら、中国人民で生まれているんで、で祖父母・父母の話をきいて恨んでいたら、人民解放軍に入るかぁ?? で、マイク持ってガンガンやっていた彼は漢人ではないし。
★「あのとき銃を向けたのは少数民族の部隊」4 今、尖閣とかいろいろ言うけど、あそこの部隊、弱いんです。 人民解放軍って、少数民族地域との境界とか陸続きの国境の部隊が強いんで…。
★…で、結局…☆ 政府、というより軍事政権中国。
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話は、私事に戻りますが、息子が生まれて、1989年11月「ベルリンの壁」が壊されました。 翌1990年「湾岸戦争(イラ・イラ戦争)」勃発。 「東西の対立」から「(宗教的・思想的)価値観の対立」に世界が変化していきました。 私たち親子は、「理不尽なことを拒否する」人生をそれぞれ歩く課題を持っていると感じています。 この六四は、「理不尽」の象徴だとも感じています。