【講義記録】2013/01/09 詩吟・格闘技・薩摩藩[琉球]

日本音楽史で、なぜか忘れられているのが吟剣舞踊です。
おそらく、これを講義で扱うのは私くらいかもしれません。
地方の音楽を軽視されているのでしょうか??
少なくともテキストとなっている書籍では扱われていないジャンルです。

江戸期の音楽は、決して鎖国ではなく、
世界の広範囲の音楽が輸入さてれいました。

これは、12月の講義記録でパックしてお伝えいたします。

さて、幕末の音楽の鍵は「薩摩藩」でしょう。
各地の武士の子弟が漢詩にメロディをつけ、
しかも「今様」は黒田節同様の「越天楽今様」。
中央からみると芸術的とはいえないでしょう。

メロディは流派の固定的なメロディのバリアンテにすぎないものですから。

そして、剣舞との組み合わせ。
世界的に踊っているふりをして武術の鍛錬をしていた日本バージョンでしょう。

となりの国、いわゆる中国(王朝関係なく総称として)では、
例えば太極拳のようなゆっくりした動きで筋肉の伝導を感じつつ防御を学びました。
音楽はついていないのですが。
同じくお隣りのコリア半島…特に現在の韓国に位置する海に近い地域では、
女性が短剣を持ってすわったまま踊る武術練習があります。
これは器楽演奏に合わせています。

そして、日本…いうと微妙ですが、琉球では、
女性の場合、かんざしを武器としもあたかも峨眉拳のような技を持ち、
ブルース・リーでおなじみのヌンチャクやトンファーは、
中国や香港の武器ではなく、琉球の生活用品がルーツで、
琉球の唐手は、
詠春拳や南拳のような武術をもとに作れら、本土(?)で空手となりました。
これもまた「沖縄」の舞踊の動きと連動しています。
ただし、舞踊にと入りれたのは最近であるとも言われています。
…あ、ブラジルのカポエイラは、またいずれ…。

と、いうことで、反幕府の人たちは、
音楽を練習しながら、武道を磨き、維新という革命にむかったのでありました。

つまり、明治期の音楽に至るまで、
格闘技と音楽を結びつける…
そのむすびつきは海路によって外国から入ったものを自国に取り入れていたのです。

鎖国といわれた江戸時代ですが、
薩摩藩だと、琉球を掌握(?)し、海外と交流や常に攻防がありました。
薩英戦争のような戦争があったことを見落とされがちですが、
江戸時代そものが、ゆるやかな中央政権型連邦国家だったと言える、
そんな証拠を音楽がのこしていると考えられます。





天津木村のウソっぽい詩吟。
授業で使えそうなエロくないのを探すの、けっこう面倒でした。



木村岳風のシンプルでありながら、情感あふれるテクニックを受け継いだ動画。




琉球「はとぅーま節」
動きはカラテですね。
分解すると、あ、膝蹴り、とか、武術の技に結びつけたくなります。

…ということで…。