相変わらず、語学ができるだけの人が翻訳したニュースだが、
他の日本語サイトも大差なし☆
Hip-Hopがなにか、彼がどういう人物なのか全く知識がないと、
こういう翻訳になる。
彼がどういう人物であるかは、以下のサイトがよくまとめているので、ご参照を。
from the archive: Late rapper Adam (MCA) Yauch talks Tibetan causes, role in Beastie Boys, more
http://www.freep.com/article/20120504/ENT04/120504058
[デトロイト自由報道]
さて、私はピースティボーイズを授業で過去3回取り上げた☆
1回目と2回目は、彼が世界によびかけていた「チベッタン・フリーダム・コンサート」で、
私自身がフロアーでボランティアをしていたので、
自分の体感とライブ報告も兼ねて授業イントロで使った☆
「チベッタン・フリーダム・コンサート」は、
日本では、この2回の開催で、本人たちは来日して公演しているわけではない。
そして、このコンサートでは、チベットに感心があるとは思えない若者オーディエンスが、
ご贔屓のバンドのために来ていたのだ☆
何と!!勤務していた中学の教え子が、大学生年齢になっていて、
私を見つけて「せんせぇ!!」「せんせぇ!!」
ううっ☆嬉しいけど、恥ずかしいよぉぉ☆
…後日、この子たちと地元のホームセンターでバッタリ、
よっぽど縁があるのだろうか??
今度は私を見つけて「チベット、フリーチベット!!」
ううっ☆嬉しいけど、恥ずかしいよぉぉ☆
なんで、こうなったかというと、
元日本留学生のギュルミー・ワンダさんが、
舞台でチベットがどういう状況か語り、
たぶん聴いていないだろうと思われる雰囲気のフロアーへ
「Free Tibet」と、いかにも日本の体育大学卒業生らしい腕上げコールで、
若者に呼びかけた☆若者も応えた☆
音楽には直接的に政治を歌詞にしなくても、
社会へ訴えるチカラがあることを確信した☆
その数年後、2回目のコンサート。
自分の興味がないバンドは休憩タイムで階段にすわりこんでいた1回目と違って、
人の通行が邪魔にならない場所で休んでいる若者が多かった。
1回目は終了後、ごみが散らばっていたが、
2回目はキレイに片付いていた。
恐らく1回目のリピーターが主で成長したのだろう。
もしくは、そういう時代になってきたのだろうか☆
もう1回授業で取り上げたのは、
テーマが音楽ジャンル成立の過渡期に表れる「ミックス」「フュージョン」
と言った他のジャンルを「取り入れ」する例として、
こちらは本格的に扱った☆
実はHip-hop名称そのものは、1980年代中流階級白人の若者文化に与えた名称だったが、
Rapと結びついた途端に黒人主流とみられる現象が上回ったものである☆
そこへ反社会の音楽のひとつとして形成され、
それより少しだけ早かった英国発祥のパンクが白人系主流で、
ピースティーボーイズはその接点から展開したものであると考えていいだろう。
同時代のテクノとも並列して講義した☆
こちらは「ドイツ」中心で☆
3回目に扱った、次の授業で、
女子学生がピースティボーイズとチベット支援の雑誌記事の切り抜きを
(宿題としなかったのに)提出してくれた☆
3回目は音楽のことしか触れていなかったように記憶しているが、
以心伝心で理解してくれたるだろうと思う。
ううっ☆嬉しいけど、恥ずかしいよぉぉ☆
…同年代だと思っていたら、5歳も年下で、しかも癌☆
ご冥福をお祈りすると同時に、
残された私たちが、チベットを音楽で支援していかなくてはいけないと☆
[蛇足]
誰だったか覚えていないが、ビースティボーイズをロックと言った人がいて、
初期のパンク、ミクスチャーについてのことかと思ったが、
ロックとヒップホップとテクノの違いが明確でなく、
「大人にとってウルサイ音楽」=ロックと位置付けているようだ☆
それはそれで、一般人の音楽分類と定義の社会人類学的な考察が出来て面白い☆
佐野元春をロックという人、
長淵剛を演歌という人、
R&Bの範囲が広い人、
フレンチポップも「クラシック」という人、
Tスクエアを吹奏楽と思っている人、
韓国と台湾のPopsを同じラインで観ている人
(このくくりなら、かつての「アジポプ」のほうがいいなぁ)
それから、もっともわかりにくいのが「バラード歌手」☆
(ほとんど複合的)