ブログネタ:首都圏人の買いだめは必要?
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不要だけれど、買いだめされたために、
ちょっといい話がありました。
震災翌日、スーパーで見かけた光景は、
ダンナが嫁に、あれがいる、これがいる、と、
かなり切迫感を持って、カップ麺や水系ペットを購入していた・・・(です。)
震災で、当日どこかで泊まって来た、
あるいは、夜中まで歩いて帰宅した、
というご主人のみならず、
リタイアして、再就職されているのか、いないのか不明だけど、
それなりの年齢の「おじいちゃん」など、
男性主導で、買占めがはじまっていた、と思えます。
会社の休日で、ショッキングな翌日、翌々日だけど、
そこまでしなくても・・・と、目撃した私は、呆れたんですが。
まずは、カップ麺がなくなり、パンと米と牛乳とヨーグルトと卵と納豆が、
それに関連する小麦粉とホットケーキミックスも数日だけなかったけど。
パンがなくっても、なんとかなるのに…。
どうしても、パンと牛乳と卵の朝ご飯でなくてはいけないのだろうか。
あるいは、納豆TKGでなければいけないのでしょうか。
ん??米軍、学校給食、成功だね。
占領当時の食糧身についているね。
私、スーパーでなく、自力でできること、
考えました。
台湾式葱餅。
食べラーつけて、どうぞ。
ほかに、ありたきりだけどナンも焼きました。
小麦粉+米粉1対1でナンだったら、ベーキングパウダー入れて。
すいとんもありでしょう。
パンなしで生きていける食生活をしていたはずなのに、
どうして???
で、しばらくは、パン屋さんも、午前品切れ閉店が続いたのですが、
少し落ち着いてきて、
パン屋さんでパンが買えるようになりました。
スーパーでは同じ銘柄でしたら、買えるのですが、
亭主が拒否。
で、パン屋さん、以前から買ってみたいお店に入って買ってみました。
実は、小金原はパンとスィーツの激戦区で、
地元より遠くから買いに来る人のほうが多くてかえって地元の人のほうが縁がないカンジ。
行列が出来るパン屋さんもあるのですが、
私の味覚とは合わなかったりします。
てか、触感・食感が「ちょっと違う」
で、今回、入ったパン屋。
「フリアン」
八ヶ崎の松戸北部市場の向かいに位置します。
上記のパンとかじきまぐろフライのパンと普通のくるみ+ロールチーズクリームを
息子とシェア半分こして食べました。
息子が「うまぁ、これはイケる」
がつがつ食べました。
朝8時半には、すでにサンドイッチが出来ているとのことなので、
大学出勤の日に買ってからでかけようかとと思いました。
もう1軒。
子どもの頃からあったお店ですが、
飛びぬけて美味しいという記憶がなく、
かといって工場のパンよりは、はるかに美味しい。
「マキノ」。
老夫婦でやっているお店です。
常連さんは、特定のパンのファンらしく、
会話がスムーズです。
牛乳も売っていました。
亭主用食パンと牛乳買って、団地の階段下に戻ると、
私の袋をじとっと、ご近所のおばぁちゃん、
「あら、パンも牛乳もあったの?」
「あ、6丁目交差点のマキノで」
じぃぃぃっと見られて、すごく困った。
特に牛乳に対する目線が。
ウチも切らしているので、
お分けするわけにはいかないんですがぁぁ~。
「お譲りしましょうか」といったほうがよかったのか、
先々のことを考えて、お譲りしたら、
ほかのご近所さんとの関係もヤバそうだし。
こんな豊かな国にいながら、
瞬間的な悩みとなってしまうとは思いませんでした。
どちらも翌日、亭主と息子の胃袋に・・・。
けっこう探して買ったり、なかったら自家製のナンやホットケーキ焼いたり、
で、消費が一瞬なのが、ちょっと悲しいかも。
とはいえ、今回、パン屋さん何件か歩いて、
すごく感じたのは、個人商店のコミュニケーション力。
並ぶ店では、まずないだろうし、
スーパーもレジで親しく話すかたは別として、
知らない店だと、まずコミュニケーションはないでしょう。
仕事柄、コミュニケーションとは何か?という疑問がいつもあるのですが、
今回、いろいろな会話があったり、少々スーパーより高くても、
商品に対する思い入れや売り方を知り、
首都圏で忘れられかけていたモノのやりとりで生まれる
コミュニケーションについて、懐かしい思いが蘇ってきました。
ここで気づいたのは、日本でブータンのGNHを取り入れるとか、
参考にするとか、いろいろと言われていますが、
根本的な精神性が理解されているのではなく、
形だけというケースが多いのではないだろうかということ。
(これもまた後日…精神性については、まだ言いたいことがあります)
まずは、人と人、人とモノと人、人と自然と人。
技術でないコミュニケーションと真心。
「ここはいつも〇〇がある」