「休符」は、単なる音のお休みではなく、音なき音である。
一応、
「全休符」ぶら下がっている四角いかたまり。
よく、4つ休むと言われているが、その小節を休むことなので、
何個と決まっていない。
「2分休符」2拍やすみ。
「4分休符」4/4なら1拍だが、その拍子の分母や無拍節音楽には「1」に値するやすみ。
以下、いわゆる「ひげ」の数で8分、16分、32分…。倍数で。
今回、学生発表のランキング1位は、YUIに関するプレゼンであった。
そして、アンコールの再プレゼンはTOKYOのLIveバージョンだった。
ライブバージョンだから、おこりうるtacet。silentの休符。
残響や歌詞の余韻を傳えるには、tacetありきだ。
尚、音楽用語としてのtacetは、まるまる1つの楽章や部分を休むパートにも書き込まれている。
これは、このパートがいらないのではない。
黙って一緒に呼吸して、次の楽章に準備してね、という意味だ。
さらに、クラシック音楽であれば、
オーケストラやアンサンブルが一斉に休むことをG.Pと書き、
general pause[独・ゲネラムパウゼ/英語・ジェネラル・ホーズ]という。
シューベルト『未完成交響曲』
ブルックナー『交響曲4番ロマンティック2楽章』
作曲がうまい人は、
実は休符がうまい、少ない音、残響で表現する。
ひとつの音は、出だしの音、微妙に変化している周波数を含んでいる。
ひとつの音は、音の持続ではない。
ひとつの沈黙は、音である。
ひつとの沈黙は、残響である。
ジョン・ケージ 4'33
「音楽は、音と沈黙で構成されています」
休符だけで表現された作品として有名すぎるが、
短くもなく、ながくもない、4分半すこしを選んだ、
人間の心理と沈黙に耐えられる限界。
さて、もっとも初歩的な話で、スタッカート。
用語としては、「実際に書かれた音の半分の長さで演奏すること」なのだが、
俗説として、「跳ねる音」と思われている。
微妙に半分休むことで、心臓と呼吸を止めるのではねたようになるからだろう。
また、フレーズの終わりに休符が出てくることが多いが、
(特に子どもの歌)
これもまた休みではなく、呼吸のタイミングなので、休みでも無音でもない。
休符とは、休むことではなく、音を出さないで音を表現することなのだ。
伴奏の間に休んでいいのは、
カラオケで歌うことを楽しむアマチュアのみでよい。
休みではなく、次の音へのモチュベーションのためのサイレントであったり、
最後に出した音の延長であったりするのが、本来の休符なのだ。
音符と対比的なものではない。
お休みでない証拠に有名なベートーヴェン交響曲5番運命は、
8分休符からスタートしている。
では、見た目でわかりやすいトスカニーニ指揮で…。
残響がわかりやすいカラヤンで…。
この曲の第一楽章が日本人に好まれる理由は、またいずれ。
一応、
「全休符」ぶら下がっている四角いかたまり。
よく、4つ休むと言われているが、その小節を休むことなので、
何個と決まっていない。
「2分休符」2拍やすみ。
「4分休符」4/4なら1拍だが、その拍子の分母や無拍節音楽には「1」に値するやすみ。
以下、いわゆる「ひげ」の数で8分、16分、32分…。倍数で。
今回、学生発表のランキング1位は、YUIに関するプレゼンであった。
そして、アンコールの再プレゼンはTOKYOのLIveバージョンだった。
ライブバージョンだから、おこりうるtacet。silentの休符。
残響や歌詞の余韻を傳えるには、tacetありきだ。
尚、音楽用語としてのtacetは、まるまる1つの楽章や部分を休むパートにも書き込まれている。
これは、このパートがいらないのではない。
黙って一緒に呼吸して、次の楽章に準備してね、という意味だ。
さらに、クラシック音楽であれば、
オーケストラやアンサンブルが一斉に休むことをG.Pと書き、
general pause[独・ゲネラムパウゼ/英語・ジェネラル・ホーズ]という。
シューベルト『未完成交響曲』
ブルックナー『交響曲4番ロマンティック2楽章』
作曲がうまい人は、
実は休符がうまい、少ない音、残響で表現する。
ひとつの音は、出だしの音、微妙に変化している周波数を含んでいる。
ひとつの音は、音の持続ではない。
ひとつの沈黙は、音である。
ひつとの沈黙は、残響である。
ジョン・ケージ 4'33
「音楽は、音と沈黙で構成されています」
休符だけで表現された作品として有名すぎるが、
短くもなく、ながくもない、4分半すこしを選んだ、
人間の心理と沈黙に耐えられる限界。
さて、もっとも初歩的な話で、スタッカート。
用語としては、「実際に書かれた音の半分の長さで演奏すること」なのだが、
俗説として、「跳ねる音」と思われている。
微妙に半分休むことで、心臓と呼吸を止めるのではねたようになるからだろう。
また、フレーズの終わりに休符が出てくることが多いが、
(特に子どもの歌)
これもまた休みではなく、呼吸のタイミングなので、休みでも無音でもない。
休符とは、休むことではなく、音を出さないで音を表現することなのだ。
伴奏の間に休んでいいのは、
カラオケで歌うことを楽しむアマチュアのみでよい。
休みではなく、次の音へのモチュベーションのためのサイレントであったり、
最後に出した音の延長であったりするのが、本来の休符なのだ。
音符と対比的なものではない。
お休みでない証拠に有名なベートーヴェン交響曲5番運命は、
8分休符からスタートしている。
では、見た目でわかりやすいトスカニーニ指揮で…。
残響がわかりやすいカラヤンで…。
この曲の第一楽章が日本人に好まれる理由は、またいずれ。