最近、気づいたこと。


私には、ある才能がある。

しかし、その才能は悲しい才能だ。

他人の才能を発掘する才能だ。

自分の才能は・・・??


人は、

私のその才能で寄ってきてくれているような気がする。


私は、『列子』湯問の伯牙絶絃の鍾子期だと思う。


「知音」

蒙求 一一八 伯牙絶絃 


列子曰 伯牙善鼓琴
鍾子期善聽

伯牙鼓琴
志在高山
子期曰、
善哉峩峩乎若泰山

志在流水
子期曰
善哉洋洋兮若江河

伯牙所念
子期必得之

呂氏春秋曰、鍾子期死
伯牙破琴絶絃
終身不復鼓琴
以爲無足爲鼓者


…私が死んで、やめるはないだろうけど。



[参照]

人民中国サイト

http://www.peopleschina.com/zhuanti/2008-09/02/content_148510.htm

中華教育資源ネット

http://www.cn910.net/showtext.asp?id=5358


(大学院のゼミでやった『大唐南海寄帰内法伝』)


逆に言えば、

私の周囲の人たちは、

何かの才能がある人たちだ。


人によっては天才だし、

人によっては職人肌の何かを磨くと光る人。


自分の才能を認めてほしいと思っている人。


ものすごく才能がありすぎて、

平凡な人には理解されない人も、

私の周囲にきているような気がする。


単にご縁があって、

疎遠な人、

もう会わないかもしれない人もいるけれど。


私のオーラは、

そんな人たちを寄せているのかもしれない。


さて、天才とは、私にとっては、

ほめ言葉でもけなし言葉でもない。

何かの能力が極端に高いけれど、

どこか欠けている人たちを指す。


…なんだ、あなたそれ、アスペルガー症候群じゃない。

と、思った人もいるだろう。

しかし、すべて当てはまるとはいえず、

この症候群自体、イコール天才とはいえない。

この状態の人で天才と思わなかった人もいる。


ときどき、天才たちのこと、巡らせたりする。