この話↑の後に

母に
「ババ、すごいね!そんなふうに言うようになっちゃったのね!その年齢で、そんなふうに変われるのってなかなかできないじゃん。すごいすごい」と笑いながら言ってたら

「あんたって本当に…お調子者」と笑われたのですが

昨日は短大の同僚の先生方とお昼ご飯。



皆さんにこのお話をしたら、
「それは違うわ」と1 人の先生が、

「変わったのではなく、前から、あまさんのそういう良い性質には気付かれていた。
でも、親というものは、目の前に子どもがいると
あれやれ、これやれ、あれやるな、これやるな、なんでこれをしないんだ、なんであれをしないんだ、となって、褒める機会がなくなる。

だから、お母様はもともと、良い性質を知っていたし、十分に良いところはわかってらした。

いま、注意する必要もなくなって、言えたというだけ」と。

その方自身が「1日中、注意や命令をしてしまって、子どもの良いところ、素敵なところ、いっぱいあるのに、褒めることができていない」というお話をしてくださいました。

なるほどな〜、と、私はそこはまるで気付いていませんでした。
母は私が子どもの頃から、私の良いところをわかっていたとは思っていなかった、です。
最近、気づいたのかな?と。

親の思いを教えていただいたので、余計なお世話ながら、私もアドバイスを。

どんどん褒めてあげて!と伝えました。
子どもには、伝わっていないので。

否定されていることだけが伝わってしまっている可能性もあります。

そして、言いました。
お互いにどれだけ生きられるかわからないから、と。

私は、きっと人よりそこがあるんだと思います。

自分も息子も、なんとか生かしてもらえた経験があるので、言えることはその場で言う。いつどちらかがたとえいなくなったとしても、悔いのないように、という思いがひとより強くあるんだと思います。

めちゃくちゃあるな〜

そんな大事なこと言わないで、離れてしまうのは悲しすぎるもの。

そういう私は祖母達の長寿を見ても、一番長生きしそうだとそんな覚悟もしているけれど、一方で、やっぱりそうは行かなかったときに、悔いを残したくない、という気持ちがあるかな。

その日その日気持ちよく目の前の人とかかわりたい、という気持ちの中には、それがお互いにとって最後かもしれないから、というのは、やっぱり少しあるんだと思います。そうできない日もありますがね!