金曜日からどん底の日々でした。
いやぁ、まだこんなキツイことあるかねって感じで。
状況を客観的に見ても、やはり自分が至らなかったところがくっきりとわかるから
それで自分を責めて
そんなことしても意味ないことは知ってる。
だけど、自分の至らなさを直視して、どうすればよかったのか、きちんと見てみないと見えないものもあるし
だからといって全部自分のせいということではなく、
全体としてどうしたら良いかということもあるし、だけど、やっぱり自分のあり方のせいだという、部分もある。
外から見たら、私のせいだけではない、と思うだろうし、複雑に絡み合ってることがあることは理解している。
これだけじっくりと見ていくと、しんどくて、自分の価値は見えなくなるし、もういいか、と思う。
そこまでしなければ、ここに留まることもできるんだろうけれど、そこまでするからいられなくなるんだろうけれど。
それでも、それだけ集中して、目の前の快適さだったり、目の前の場を作ることに、どれほど気持ちを注いでいるかということ。
だから長くはいられないんだろう。
それは残念なことでもあり、非常に私らしいことでもある。
ここに架かった橋の整備は、あとの体制は他の方がやることで、私がやることではない。
常に、架けるまでが仕事。
こんなこと書いたけれど、これこそ、もう手放す時期なのかもな。
それこそ、執着なのかも。
いったん置いてみてもいいのかもしれない。
そうすると、私のやることは、なんだろう。
医療のことも、学校のことも、もういいか。
仕事が上手く行かなくて、すごくつらかった。
だけれど、いまの家族が安定していることが救いだった。
他の何も上手くできてないけれど、いま目の前にいる4人が楽しくそこにいてくれることが、何よりの救い。
自分はダメだけれど、この子達を世に送り出したのだと思えたら、やることはやれたのかも。
と思えた。どん底のときにも。
もういいのかもな、何もかも。と思って眠ったら1度目の夢
背中に黄色いワンピース着たママ友さん(知らない人)が横になって乗ってきていて、その人に、もうやーめたって話をしたら栄養は?食いっぱぐれないよ?って言われる。
夢の中で、栄養士?ぜーんぜん興味ないーと笑う。
起きて、栄養士、興味なさすぎる、ともう一度寝る。
そしたらさ、楽しそうに生きてた。笑って。
何するかなんてどうだっていいや。
本当に忘れてた。
私、真面目なことに難しいことに向き合って、苦しい思いするの、そんなの、もうや~めた。
楽しく、笑って、生きていこ。
やってきたこととか、なんかそんなの、いいからさ。
なーに、やってんだって。
私は私だ。
あー変なの、取れた。変な重し、乗ってたよ。
あの、身体に乗ってた黄色いワンピースの女性、いなくなってくれたのか。
軽くなったーー夏が来てんのにどーしたよ?
美味しかったー!
完全に切り替わったぜい。