続きです。

 


大人になって出会った方で、我が家とよく似た家庭の方に会いました。


かなり我が家の状況と近かったので、彼女はなぜ私が現在、幸せに生きているのか、を知りたがりました。
その方はとにかく自分が我慢すれば、とすべて親の希望通りにしてきたとのことでした。


 


その結果、心を壊してしまいました。
私は微塵も「自分さえ我慢すれば」という発想には至りませんでした。

私もなぜ、「自分さえ我慢すれば」と思わずにいられたのかは、わかりません。

とにかくこちらはこちらで、地雷を踏みまくりました。親の顔色を伺うようなことはなく、私は私で好きなように生きていました。気を遣ってはいたんですが、とにかく我慢さえすれば、とは思ったことはありませんでした。

まー、地雷がわからないので仕方ないのですが、その方と比較すると、私はちっとも母の地雷をわかろうともしていなかったことに気付きます。
未だにわかりません。
未だにすれ違いまくります。

悲しくなるときはありますが、だからといって、私は私、というものを崩すことはないんです。

親が望むように生きようと思ったことは、ありません。
人が望む生き方をしたいと思ったことは、ありません。

それは、誰であれ。

夫であっても、子どもであっても、夫や子どもの願いだから、と行動に移すことはなく、

夫の願いでなおかつ私の願いでもあることは行動に移せますが

誰かの願いだからとそのまま飲みこむことはできません。

その、わがままな、その、自己中な、その自分勝手な性質がまさに私を守ってきたのだなと思います。