子どもの頃、ひとり、違う世界に迷い込んじゃったような気がしていた。


実家の家族の、4人の性格は似ていて、言葉にしなくてもわかりあえている感じなのに、私だけわからない、使う言語が違うような、気がしていた。


地雷がわからず、すぐ地雷を踏んで、怒られていた。

直接怒ることはなく、無視されていた。


それもそのはず、母がいつも、京子の親は中国の人で、橋の下で拾って来た子で、という話をしていたので、そりゃあそうだよなあ、通じるわけないよなぁ、と心から思っていた。  


小1のときに、父が教室に入ってきたとき、似ているとクラスメイトから笑われたりしたけれど、そこには特に疑問を感じず。


いつも、そんなことばかり思っていたわけではないけれど、ふとした時に、この人たちは育ててくれてるんだものなぁ、と思ったものだ。


高校を卒業した頃だったか、母の日記(妊婦時代に書いていた)を初めて見たときに、ずっと(お腹の赤ちゃんの)名前が健一、となっていて、やっぱり!私じゃないんだ、健一兄ちゃんがいたんだ、と妙に納得するようなよくわかんないようなことがあって、その後、母子手帳を見たときに、その健一が私なんだ、と知ったのは、驚きだった。


私はこのうちの子なんだ、という驚き。


すべての疎外感や納得のいかなさを、中国人の子、と思うことで抑えていたものが溢れてしまった。


そして、どこかに本当の親がいる、という希望も、なくなってしまった。


仲良しの、家族。きっと、誰よりもどこの家よりも仲良く映っていたと思う。それは、真実だ。


お金に不自由もなく、夫婦仲良く、たくさん旅行に行き(商売しているので、土曜日仕事を終えてからではあるけれど)、たくさんお出かけもした。


4人は本当に仲良しだった、めちゃくちゃ喧嘩はしていたけれど、とても仲良しだ、今も。


自分は異質な存在で、死ぬほど気を遣って、合わせてきた10代。仕事で自分に自信をつけて、彼氏(現オット)に救われた20代。


それからは、楽になる一方。落ち込むことはいっぱいあるけれど、人生前半と比べたら、って感じ。


いまの、自分の家族といるときは、なんの気も遣わない。

何も我慢しない、特に遠慮もない。

ただ、そのままで、自分で、いられる。


誰にも怒られず、いつも許されている。

ずっと怒られてきた自分の性質も、丸ごと愛してくれている。愛されている。


今の家族の全員が、それぞれバラバラなみんなが、自分の居場所として、安心して、ここにいてくれるといいな。


私が感じている心地よさを、みんなが感じていてくれているといいな。






いつもとんでもない心地よさをありがとう。