年末から息子に対して謝りたいと思っていました。

それは、親を許せないという思いが息子の中にあるのことに気づいたからです。

「お前が大嫌いだ」
不登校になってから何度となく聞いた言葉です。

聞くたびに心が痛み、
こんなに大好きで、愛していて、
助けたいと心から思っているのに
どうしてそんなこと言うの?

そんな時、辛さや苦しみを母親にしか吐けないから、甘えてるから暴言を吐くんですよ
という言葉も聞きましたが

興奮してる時に言うだけではなく、
落ち着いていても言うということは…


甘えからとは思えませんでしたショボーン

私はその言葉に傷つきながらも、

不登校の最中は日々本当にいろいろあって、

深掘りできずにいました。



そして今、息子も落ち着いて、前向きに生活するようになり、

過去を思い返して、気になることが出てきました


単身赴任で父親がいなかった頃、私どんな子育てをしていた?


私、たくさん傷つけてきたかも…ショボーン


大きな出来事として

小学一年生の頃


私の職場、保育所に連れて行った時のこと

尊敬する先輩保育士に息子を紹介した時、

息子が「こんにちは」も言わずに、先輩を無視してさっさと車に戻ってしまったことを

家に帰ってから

「ここに座りなさい!」

と、挨拶をしないことは、相手に失礼なことを伝え、ものすごく怒ったことがありました。


その時、それを見ていた私の父親が

「〇〇が挨拶をしなかったことで、お前が恥ずかしかったんじゃないか?

保育士なのにちゃんと躾が出来てないって見られたくなかったんじゃないのか?そんなに怒らないでやれ」


と私を止めたんですが、私はその時、その言葉にますますイライラして、「口出ししないでよ‼︎」と父にも言い返してしまうほど、精神的にいっぱいいっぱいでした。


こんなふうに、自分に余裕がない時に、子供たちに当たっていたのかもしれません。


そういえば、息子が忙しい私に気を使って、洗濯物を畳んでくれたことがありました。

私はありがとうが言えず、(子どもに気を使わせてる自分にイライラして)

「そんなことする前に明日の準備しなさい」って怒ったり。

それは、そんな気を使わないでよ、私は大丈夫だから母親としてやるべきことはやれるんだから、みたいな気持ちです


簡単に言えば、日々余裕がなかったんです。


そんなことを思い返して…





息子は簡単に謝らせてはくれませんでした。

聞きたくないと何度も断られました。


年明けて、機嫌が良くよく話す時があったので、

「謝らせて欲しいんだけど、そろそろ聞いてくれる?」と言うと、何度か断られましたが、

「君が覚えていないような、昔のことだよ…」と言うと、

「そうなんだ、何?」

と受け入れてくれだのです。


私のエゴから怒ってたことがたくさんあった

手伝ってくれてるのに、ありがとうが言えなかった

叩いたこともあったね

本当にごめんなさい


そういうと、

「覚えてないなぁ」と言いながら少し笑顔がこぼれたんですおねがい


これで全部溶けたわけではなく、謝りたいことも自分がスッキリしたいだけかもと思ったりもしましたが、そこから今まで以上に素直に会話ができるようになりました。


そして何より変わったのは、父親に対しても自分から話すようになり、二人の会話が増えたこと。





もしかしたら、親を嫌いだと言う子は

原因は覚えてないかも知らないけれど、小さい頃深く傷ついたことがあるのかもしれません。


コミュニケーションが不得意な子は、家族間でもうまくコミュニケーションができてなくて、上部だけの会話になっているかも、しれません。

親にも悪気がないので、その時はこの重大さに気が付かない感じがします。


子どもとの関係は、ずっと続いていきます。

子どもが大人になっても、ずっと親子です。

思い当たることが少しでもあったら、謝ることはとても大事だと思います。

そして、いくつになってもやり直せるし、この心の根っこを救ってあげることも、親の責任なのかもしれません。


溶けると許せる


許せると愛せる


愛せると、家族以外の人も受け入れることができたり、将来家族を持とうと思えたり。

きっともっと大事な理由があるはずと思うほど。


真剣に謝るといいです🙇‍♀️


石垣に行ってからの息子は


「ありがとう」「ごめんなさい」

「いただきます」「ごちそうさまでした」


人に会ったら普段の会話より大きな声で

「こんにちはっ」

誰よりも言います。忘れずに言います。


ギャンギャン教えなくてもいいんですね。

親(石垣の先生たち)の背を見て自然に身につくものかもです爆笑