定期的に訪れる息子のメンタル低下
本人からすれば
きっかけはあったのでしょうが
私にはこれといった原因が分からないまま
少しずつ落ちていきます…![]()
ですが、決定的にしてしまうのは
いつも私の言動だったりするのです![]()
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その時の私の言動は
元気ない姿をただ見ていることが出来ず
完全に落ちる前に
元に戻したい
何か復活のきっかけを与えたい
与えねばと
焦りと不安が増して
背中を押す方に
エネルギーが向っていくのです![]()
学校に行くいかないは本人が決めればいい
でも、何しないで家にいることは違うという親としての責任感みたいなもの
それに
息子にとっても
役割があり、達成することで自己肯定感があがる
ここにいる意味を感じられ、罪悪感から少しでも解放されるだろうと
が、結局はうまくいかないのです![]()
今回は
家にいるなら
夕飯作って欲しい
(言い方はそのくらいやってよ
的な感じだったかも)
これが極め付けになり
布団にもぐる息子
そこで、はっとする私![]()
そうなると声をかけることさえ、怖くなるのです![]()
ただ、今の私は
反省したら謝る
分からなかったら聞く
それが少しはできるようになりました
なので今回も
少し時間はかかりましたが
布団に潜る息子に声をかけました
「あなたを1人の大人としてみているから
共同生活をしてる相手だとみてるから
何もしないというのは違うんじゃないかな」
などなど
私の思いを言葉にしていきました
本当は(内心は)
「なぜ大学行かないで家にいるの?」
「何があったの?」
「これからどうするつもりなの?」
と聞きたい
でも、それは今は
落ちてる人を追い詰めることになる
と思って聞けませんでした![]()
息子から言われたのは
「それならお母さんが大切にしている友達と話すように、話してほしい」
そうだ、落ち込んだ友達に
なんで学校行かないの?
どうしたいの?
なんて聞かない、言わない…
ごめんなさい![]()
私は大人として扱うねと言いながら
上から目線の言い方でした![]()
そもそも親として何ができるか
助けなきゃと思って見ていたら
対等になんてならない
人と人なら
それに本当に大切な人になら
「どうしたの?何かあった?
良かったら話して欲しい
一緒に考えさせて」
だったかも![]()
対等に話すことで
責めることなく
悩みが問題にならず
前向きになっていくかもしれないね
そんなやり取りがあった後
オープンダイアログという
フィンランドで始まった
「開かれた対話」を学ぶ機会がありました
とてもとても素敵な森川すいめいさん
医療現場も
学校も
親も
こんなふうに子ども達と関われたら
どんなに救われるだろう
不登校も引きこもりも
精神的に病んでしまう人も
たくさん救われるでしょう
そもそも一人ひとりが大切に扱われる社会に
なるでしょう
今までのやり方を
変えるのは覚悟がいるけど
やはり
子どもの問題行動に見えるのを
なんとかしようとするよりも
見えてる部分で
子ども達を勝手に解釈せず
察することなく
決めつけることなく
ちゃんと聞こう
自分も役割を背負わずに
対等に
対話をしよう
そんな社会になるために
まず家庭から始めよう


