「かぼちゃのわたは捨てるところよ。」
そう母から教わった。
かぼちゃを大きなかぼちゃを勢いよく切った後は
わたと種を取り出し、程よい大きさにして煮物をつくる予定だ。
お湯を汲んだ後まな板を平らな場所に置いた。
いつもはあまり固定していなくても大丈夫だけど、
かぼちゃの場合はそうも言ってられない。
まずゴシゴシかぼちゃを洗い
まな板にかぼちゃを置くと
かぼちゃのへたすぐ脇に包丁を立て、
包丁を持っていない手を添え、
あとは包丁に体重をかけ垂直に降りおろす。
ズドン。
このとき聞こえる音が
なんともいつもは聞かない怖い音のような気がして
少し自分の指が切れていないか心配してしまうものの
慣れとは恐ろしく『勢いよく、切れた事』への達成感が生まれちょっとうれしい。
手ごろな大きさに切ったあとはしばらく水につけ放置。
その水に味付けをしてちょいとばかり煮込むと煮物は完成だ。
かぼちゃの煮物。
私がこの煮物が嫌いだったのは高校生くらいまで。
県外の大学へ行くと、少しだけ料理をはじめ、
最初はイタリアンとか、フレンチの料理本を駆使したりしてみるものの
飽きちゃって結局実家の味に頼った。
「アンタまた、そんなモンばかり食べて」
そう言われ、無理やり口にし続けた母の得意料理。
嫌いだとは言ったものの、レシピが少なくなってきた今。
ぼんやりと頼ってしまうのが幼い頃から食べてきた母の味。
なんとなくみようみまねで作った煮物も食べてみれば意外と大丈夫だった。
今つくっている煮物も
湯気を出しながら、完成間近。
一つまみ。
「うん。あまい。」
かぼちゃの煮物。
かぼちゃの煮物が嫌いだった。
コレは人間が食べるものなのか?と、よく母に激怒していたっけ。
そんな中まだ食べれた部分はかぼちゃよりもわただった。
母は全体的に雑な人で、
この料理をするたびにわたが残った。
このわたが、微妙な食感で
かぼちゃ本体よりも甘く、
それでいて子どもの頃には遊び心満載だった。
嫌いな食べ物だったわりに嫌悪感が残らなかったのはこのためなんだろう。
歯に通したり
ずっとかんでいたり。
わたの少し残った雑な煮物。
母の味。
わたと種を取ったとき
そんなことも忘れきれいにむしった。
わたと種が勿体無い。
ここが一番味がするのに。
そう思い、まな板に残る種とわたを見つめた。
「炒めようかな?」
かぼちゃの種は水分を抜くと
こおばしいおやつになる。
フライパンで180℃近い油であぶればちょうどいい感じだ。
それに甘みの乗ったわたを加えちょっと一口。
食べれるか食べれないか分からない。
野菜はなるべく残すところをつくりたくないのが
これからの料理する人としての心得だろう。
出来上がった種をぽりぽりとかじった。
意外といける。
いつか私が子どもを授かった時
母の味になるのかな?
そう思いながら煮物の火を止めた。
