平成最後の日に、
平成で嬉しかったことを
いろいろ思い出しています。


可能な限り、いくつか書き残したい。


えりりんさんの記事をリブログ。

わたしが首がもげるかと思った記事です。笑


えりりんさんのマンツーマンサロンを受けたあと
の記事でも
書いたのですが
わたしは怒りが湧かない
(正確にはあるんだけど自覚できない)
状態が、長く続きました。


でも、
それはあまりに
じぶんが嘘をつきすぎて、
じぶんの感覚が麻痺してるだけでした。


湧いてる怒りを、
押さえつけて、
隅っこにおいやって、
蓋をして、
無視をする。


代わりに「悲しい」という感情を、
採用する。


これは
よくやっていたやつです。笑


だから、じぶんは本当に怒ってない。
と、本気で思っていたし、

怒ってるんじゃなくて、悲しいんだ。
と、感じているのが
以前の「本音」でした。


でも、これは
「悲しい」もたしかに本当だし
もっと言えば、
「悲しい」と言えば
こっちは悪者にならなくてすむというか。

攻撃されることはないだろうと
読んでいたというか。

そういうのを、
無意識でやってたのもあったとおもいます。

怒ったら、なんかこっちが悪者みたいやし。

怒って反逆されたら、こわいし。

逆に怒られたら、フラッシュバックしそうだし。


良い悪いではなく、
そういうの、あったなぁ~。。
と、
最近、怒りを出すことを練習していたら
だんだん客観的に見えてきました。



えりりんさんのマンツーマンサロンでも
一回目でまだお話する前に
わたしのエネルギーだけ見た状態で
「のりちゃんはすごく怒りを抑えてるよね?
批判やジャッジめっちゃしない?」
と、斬り込まれ(笑)、


ひえ~恥ずかしや~!

と、しばらく悶絶してました。笑


ほんとは怒ってるのバレてて
ほんとは相手を責めまくってるのバレてて
ほんとは他人を見下してるのもバレてて


分かる人には
何も隠せてなかったんやなぁ。orz


ひとしきり悶絶したら

この気づきに大きな感動が湧いてきた。



怒りが湧くって
エネルギーが豊かな証だし
嬉しいとか
楽しいとか
そういう感情と
何の優劣もないんだったよ。


それを思い出せたこと。
それを、自由に感じられるようになったこと。


これは本当に
平成の中でも特に
嬉しい出来事でした。


えりりんさんが
真っ直ぐ本当のところをついてくれたのも
わたしがそこを避けて
真ん中からズレていたことが
見えるからで


サロンを受けた人は
じぶんでじぶんの真ん中に戻ることに
集中してほしいという
大きな愛があるからでした。


結局それが
宇宙に繋がることと同義だから。



わたしも
今まで
いろんなきっかけがあって
いろんな人たちの力を借りて
ひとつひとつが繋がってきました。


その過程を経て
やっとわたしの
ラスボス的な存在である
「怒りを悪としていた自分自身」
を受け入れられた感じでした。



これはすごい奇跡だとおもう✨

ありがたいとしか言いようがない

たくさんの感謝が

寄せては返す波のごとく訪れます。




周りの人たちから
かけてもらった愛は
元号が変わっても
いつまでも
心に残っているとおもいます。



じぶんから湧いてくる
どんな感情にも
善悪はなく
優劣はなく 
自由にわがままに感情のままに
感じていい✨



そういう
こどもみたいなじぶんを
じぶんの真ん中で自由にさせてあげるのが
大人なのかもなぁ
と、おもったのです。


誰のせいにも
じぶんのせいにもせず
じぶんの人生に責任が持てるって


大人は最高に楽しいとおもう!