美術学部って、何をやっているんだろう

東京藝術大学の音楽学部には、これまでもちょこちょこ遊びに来ています。でも、そういえば美術学部って、何をやっているのか正直よくわかっていなかったんですよね。というわけで今回は、東京藝術大学大学美術館で開催中の「藝大式 美術の『ミカタ』」へ。藝大生になってきました。といっても、本当に教室に座って授業を受けるわけではありません。藝大で行われている授業をもとにした展示を見ながら、美術をどう学んでいくのかを体験していく展覧会です。

芸大生は、こんなことを学んでいる

館内では、現役の美術学部の学生たちが名画の模写をしていたり、実際に模写した作品が展示されていたりします。これが、かなり興味深い。音楽学部にも、もちろん新しい音楽を作ろうとしている作曲家はいます。でも一方で、モーツァルトやベートーヴェンなど、古典の音楽を学び、演奏することも大切な勉強です。美術も同じなんですね。


過去の作品をただ鑑賞するだけではなく、模写という形で古典的な様式や技術を学び、自分の手で再現してみる。「美術って、こうやって勉強するんだ」普段、美術館で完成した作品ばかり見ている私には、そこが新鮮でした。

12の授業を受けていく

展示は全部で12のセクションに分かれています。

館内案内も、ちょっとしたスタンプカードのようになっていて、それぞれのセクションを見終わるとスタンプを押していく仕組み。ただ、このスタンプが普通のスタンプじゃない。インクで押すのではなく、エンボス式。紙に凹凸をつけていくんです。

こういうところまで芸大らしいというか、単に「展示を見る」だけではなく、私たち自身がちょっとずつ手を動かしながら、美術がどう作られているのかを読み取っていく。「美術を見る」から、「美術の見方を学ぶ」へ。そんな感じがしました。

知っている先生が、ひとりもいない

音楽学部の場合、登場する先生も、わりと知っている名前が見つけられます。「あ、この先生知ってる」「この先生の演奏、好きなんだよな」ということもあるし、映像で解説してくださる先生や、実演する先生にも見覚えがある。だから、どこか親しみを持って授業を見ることができるんです。

ところが美術学部。今回、12人の先生方が登場して、映像でそれぞれの分野について解説してくださるんですが……私、誰ひとり知らない。本当に、全く知らない。これにはちょっと衝撃を受けました。

「自分、美術って何も知らないんだな」と、改めて思い知らされた感じです。普段、美術館には行きます。有名な展覧会にも行きます。それなりに絵を見ているつもりでも、いざ「美術を教えている人」「美術を研究している人」となると、名前が出てこない。

音楽だったら、演奏家や作曲家だけでなく、大学の先生や指揮者、専門家まで、それなりに名前が出てくるんですけどね。美術については、作品は見ていても、その背景にいる人たちのことを何も知らない。今回の展覧会、作品を見るだけではなく、そんな自分の「美術の知らなさ」を確認する機会にもなりました。

藝大卒じゃない先生も、結構いる

もうひとつ、意外だったことがあります。

音楽学部では、少なくとも私が知る限り、他大学の音楽大学、いわゆる「ライバル校」の出身者が先生として登場するというケースがあまりありません。もちろん、私が知らないだけでいらっしゃるのかもしれません。いたら、ごめんなさい。

ところが今回、美術学部の先生方を見ていると、意外と「藝大卒ではない」先生もいらっしゃる。武蔵野美術大学をはじめ、日本の美術大学出身の先生も登場します。これには、ちょっとびっくりしました。藝大って、美術の世界でもかなり閉じた世界なのかなと思っていたんですが、先生の顔ぶれを見ると、意外とそうでもない。「美術って、音楽より開かれているのかな?」そんなことまで考えてしまいました。

日本人は、どうやって西洋美術を学んだのか

普段、絵画を見るとき、私はつい西洋美術を求めてしまいます。国立西洋美術館に行ったり、国立新美術館で開催される大きな展覧会を見たり。それはそれで楽しいんですけど、日本にも西洋美術が入ってきてから100年以上が経っています。その間、日本人は西洋の美術を学び、技術を身につけ、やがて日本人ならではの作品を生み出し、それが評価されるようになっていった。その過程を見ていると、これって音楽にも通じるなと思いました。

海外から入ってきたものを、そのまま真似するだけでは終わらない。まずは徹底的に学ぶ。そして身につける。その先に、自分たちの表現が生まれてくる。日本の美術教育がどう始まり、どう発展してきたのかという流れも見えて、これはかなり刺激的でした。

なぜ、日本で美術を学ぶのか

留学生のコーナーもありました。そこには、藝大に留学してきた中国人の学生たちについての展示もあって、代々かなり多くの中国人留学生が藝大で学んできたことがわかります。音楽学部でも、声楽科などで中国からの留学生の名前を見かけることがあります。

でも、そこでちょっと疑問に思ったんです。なぜ、日本なんだろう? 西洋美術を学ぶのであれば、本場のヨーロッパに行くのが王道では? それなのに、あえて日本を選ぶ。

もちろん、日本が近いことや、費用の問題など、いろいろな事情はあると思います。でも、展示を見ていくと、もうひとつ理由があるのかもしれないと思いました。日本の美術大学は、西洋の技術や様式を学ぶだけではない。西洋美術を学びながら、日本人としてのアイデンティティをどう考えるのか。そもそも、日本人が西洋美術に挑戦することに、どんな意味があるのか。そういうことも、日本の美術教育の中では考えられてきたんですね。

だったら、本場のヨーロッパではなく、あえて日本で学ぶというのもわかる気がします。西洋美術そのものを学ぶだけなら、本場に行けばいい。でも、異なる文化の中で西洋美術を学び、それを自分たちの文化とどう結びつけるのか。そこを学ぶのであれば、日本という場所にも意味がある。そんなことを、今回初めて考えました。

それにしても、一時期、中国からかなり多くの留学生が藝大に来ていたというのは、ちょっと驚きでした。

彫刻は「模写」じゃなくて「模刻」

彫刻のコーナーも面白かったです。絵画なら「模写」ですが、立体になると、実際の彫刻を真似して作る。いわば「模刻」です。2次元と違って3次元ですから、そもそもどうやって形を取っていくのか。現在の学生たちはデジカメやiPadを使ったり、コンピューターで3Dを考えたりもするそうです。でも、昔はさぞ大変だっただろうなと思います。時間をかけて、手間をかけて、場合によってはものすごく苦労して作っていたんでしょうね。

美術も、時間芸術なのかもしれない

そこで、また音楽のことを考えてしまいました。音楽は「時間芸術」とよく言います。ものすごく練習して、時間をかけて準備して、ようやく本番。でも、出来上がったものはほんの一瞬で流れていく。第三者からすれば、気楽に聞き流されてしまうこともあるし、頑張ったからといって評価されるとは限らない。

美術は、一度完成すれば作品として残ります。だから音楽とは違うと思っていたんですが、作る側の時間を考えてみると、案外そうでもないのかもしれません。一枚の絵、一体の彫刻ができるまでには、ものすごい時間と手間がかかっている。それを私たちは、完成した状態だけを見ている。チラッと横目で眺めるだけで素通りしてしまうことも日常茶飯事。そう考えると、美術館で作品を見る目も少し変わってきます。

子どもの感想が、いちばん素直

会期終了間近ということもあって、館内は意外とお客さんがいっぱい。台風接近のため、館内のカフェはお休みでしたが、親子連れもかなりいました。そして、子どもたちがとても素直に作品を見ているんです。

作品について感想を付箋に書いて貼るコーナーがあったのですが、「絵に登場するワンコは、今どういう気分なんだろう」とか、「白熊はどんなことを考えながら、このポーズをとっているんだろう」とか。

大人になると、つい「これは何時代の作品で」「誰の影響を受けていて」なんて考えてしまいます。でも、子どもはまず目の前の絵を見る。そして、「この犬、今どんな気持ちなんだろう」と考える。その感想が、とても愛らしかったです。

最終日は、音楽学部のコンサート

そして、この展覧会。9月23日が最終日なのですが、なんと最終日にはロビーで音楽学部の学生によるコンサートがあるそうです。このあたりが、芸術系総合大学としての藝大あるあるですね。美術を見に来たら、最後に音楽まで聴ける。音楽学部と美術学部が同じ大学にあるからこそできる企画です。こういうことは、ひとつの美術大学だけではなかなかできない。


今回は「美術学部って何をやっているんだろう?」という、かなり素朴なところから見に行ったんですが、知らないことだらけでした。そして、知らないことがわかったというより、「自分は美術について、本当に何も知らないんだな」ということが、よくわかった展覧会でした。

 


【展示構成】
【展示構成】
1限目:絵画基礎演習/模写してわかる油絵のミカタ
2限目:日本近代美術史概論/名作で学ぼう日本の洋画
3限目:西洋美術史解説3/西洋のかわいい?絵
4限目:日本美術史特講2/日本美術の大事な話
5限目:日本画研究1/絵巻の模写はこうする!
6限目:彫刻保存特殊講義/藝大式、仏像のお医者さん
7限目:特別鑑賞演習/動物の目で作品を見てみおよう
8限目:クリエイティブ・アーカイヴ演習/見て、触れて、言葉にして
9限目:地域文化研究/タイムスリップ!画家たちがいた東京
10限目:近現代作家論/フジタを知っていますか?
11限目:リサーチプロジェクト演習/海を越えた学びをたどる
12限目:版画制作実習/なぜ?ゴッホのプレス機が藝大に

【会期】
2026年7月24日(金) - 9月23日(水・祝)
午前10時 - 午後5時(入館は午後4時30分まで)

【休館日】
月曜日(ただし、8月10日と9月21日は開館)

【会場】
東京藝術大学大学美術館 本館 展示室1、2、3、4

【観覧料】( )は当日券
一般:2,000円(1,800円)
大学生:1,200円(1,000円)
中・高校生:600円( 500円) 

 

【主催】
東京藝術大学、読売新聞社

【助成】
藝大フレンズ賛助金

【公式サイト】
https://geidai-art-mikata.jp/

 

 

 

 

 

舞台を動かすのは、5人だけじゃない

物語の中心になるのは、ベテラン俳優の山田正男、市村正親。ミュージカルスターの森山英一郎、中川晃教。若手女優の百合子、影山優佳。突然連れてこられた韓流スター、パク・スビン、東島京。そして制作の岩崎直子、渡辺えり。この5人が、舞台を動かしていきます。

初日を一週間後に控えた舞台で、主演の歌舞伎俳優が突然倒れてしまう。代役を立てなければならない。ところが、師匠の弟子たちは看病を理由にボイコット。そこで韓流スターを強引に連れてくるのが、渡辺えり演じる岩崎直子です。制作側として、なんとか舞台を成立させようと動き回る。

しかも渡辺えり自身が脚本・演出も担当しています。この作品、渡辺えりを抜きにしては語れません。

8人で50役以上

この5人を中心に、さらに西本竜樹、内河啓介、和田光司が舞台スタッフや劇中劇の人物として加わります。8人しかいないのに、登場人物はどんどん増えていく。市村正親なんて、102歳の庭師になったかと思えば、若い頃の役になったり、女性役まで出てくる。次々と早替わりをして、役が入れ替わる。

だから観客も忙しい。「今、誰?」と思っているうちに、また別の人物が出てくる。

『ショー・マスト・ゴー・オン』かと思ったら

設定だけ聞けば、完全にドタバタ喜劇です。主演が倒れる。代役が必要。弟子たちはボイコット。残された俳優はわずか。しかも20役以上を演じ分けなければならない。これはもう、『ショー・マスト・ゴー・オン』みたいな話だろうと思っていました。

ところが、意外と笑わない。もちろん、早替わりや役の入れ替わりには面白さがあります。でも、観客を大笑いさせることが目的の作品ではありません。むしろ、どんどんシリアスになっていく。いつの間にか、別の話になっている劇中劇として登場するのが『迷路』。ところが、この『迷路』が、ひとつの作品としてスッキリまとまっているわけではありません。いろいろな作品やシチュエーションからエピソードを持ってきて、モザイクのように組み合わせている。

 

さらに、劇中の役柄と、演じている俳優たちの人生や内面まで重なっていく。「今、劇中劇なの?」「これは現実の話?」「この人はいま何の役?」観ているこちらまで迷子になります。最初は「4人でなんとか初日の幕を開ける」という話だったはずなのに、いつの間にか別の話になっている。タイトル通り、本当に『迷路』です。

 

普通のミュージカルとは、かなり違う

そもそも、私たちが普段観ているミュージカルとは、かなり違います。音楽が物語を運んでいく。ここぞというところで歌い上げるナンバーが入る。その歌に酔いしれる。華やかなダンスシーンにワクワクする。大笑いする場面がある。あるいは、登場人物の感情に引っ張られて、気がついたら号泣している。そういう「ミュージカルを観る楽しさ」があります。

でも、『シークレットステージ』は、そういう作品ではありません。音楽はある。歌もある。でも、音楽が物語をぐいぐい運んでいくわけではない。華やかに歌い上げるナンバーで酔わせるタイプでもない。大きなダンスシーンがあるわけでもない。

観ている感覚としては、むしろストレートプレイに音楽が入っている感じです。

音楽座みたいな三重奏

音楽も独特です。ピアノ、バンドネオン、バイオリン。三重奏です。ピアノは三枝伸太郎、佐山こうたのWキャスト。バンドネオンが鈴木崇朗、バイオリンが武田圭司。大編成のオーケストラでミュージカルらしい華やかさを作るというより、小編成の生演奏で芝居を支える感じです。

今まで観た中でも、かなりの難関

正直、今まで観てきたミュージカルの中でも、かなり難しい作品のひとつでした。そして、これはかなる人を選ぶと思います。

小劇場演劇やアングラ芝居に抵抗がない。その一方で、いきなり歌になるミュージカルにも抵抗がない。さらに、不条理な展開や、いきなり話がとんでもない方向へ飛んでしまうことにもついていける。このあたりが全部そろって、ようやく楽しめる作品なのではないでしょうか。「ミュージカルだから、分かりやすい物語と華やかな歌とダンスを楽しもう」と思って行くと、かなり戸惑うと思います。

それでも、役者を観る楽しさはある

難しい作品ですが、役者を観る楽しさはかなりあります。

 

まず渡辺えり。脚本・演出を担当しているだけあって、セリフにやたらと力がある。「このセリフ、なんなんだろう?」と思うような言葉でも、渡辺えりが言うと妙な説得力がある。しかも、どこまでが台本で、どこからがアドリブなのか分からない。自由自在にセリフを転がしているように見える。その判断がつかない感じも見どころです。

そして市村正親。若い頃からスターとして舞台に立ってきた人ですが、今回はその「スター性」だけではない。年齢を重ねたことそのものが、芝居の説得力になっている。102歳の庭師を演じる場面など、単に老け役を作っているというより、市村正親がここまで舞台を続けてきた時間そのものが見えてくる。

中川晃教は、もちろん高音が素晴らしい。これは分かっている。でも今回は、むしろ低音が印象に残りました。いつものニコニコした顔だけではなく、シリアスな表情で芝居をすると、ちゃんと別の顔になる。そして意外だったのが、ダンス。ノリノリじゃないですか。「中川晃教って、こんなに踊るんだ」と思いました。

新しい劇場の門出を祝う舞台?

観終わってから考えてみると、少し違う見方もできるなと思いました。これ、観客を楽しませることを第一にした作品ではないのかもしれません。いろいろな作品やシチュエーションからエピソードを持ってきて、いろいろな演劇の記憶を舞台の上に並べる。新しい劇場の門出に、演劇の歴史を染み込ませる。そんな祝祭劇のようにも見えました。

だから、物語がきれいにつながらなくてもいい。笑わせることが目的でもない。泣かせることが目的でもない。華やかなミュージカルを見せることが目的でもない。「演劇って、こういうものもあるよね」というものを、とにかく新しい劇場に詰め込んでみた。そんな印象です。

そして、ぴあシアター

そう考えると、劇場との関係も気になります。ぴあシアターは、舞台の奥行きも袖も、見るからにそれほど大きくはなさそうです。今回のような、少人数・小編成で、俳優が次々と役を変えていく作品なら成立する。

でも、大人数のキャストがいて、大きなセットがあって、舞台を大きく使って、オーケストラも入るようなミュージカルとなると、作品はかなり選びそうです。

近所には梅芸の新劇場もできる。そうなると、「この作品はぴあシアター」「これは梅芸の新劇場」というように、作品によって自然に棲み分けができていくのかもしれません。

 

 

【キャスト】

山田正男:市村正親
森山英一郎:中川晃教
百合子:影山優佳
パク・スビン:東島京
岩崎直子:渡辺えり
西本竜樹、内河啓介、和田光司


【ミュージシャン】
ピアノ:三枝伸太郎/佐山こうた(Wキャスト)
バンドネオン:鈴木崇朗
バイオリン:武田圭司

 

【スタッフ】

脚本・演出:渡辺えり
音楽:近藤達郎/三枝伸太郎
美術:岩本三玲
照明:宮野和夫
音響:長野朋美
衣裳:西原梨恵
ヘアメイク:馮 啓孝
歌唱指導:亜久里夏代
演出助手:菅田恵子
舞台監督:榎 太郎
      
主催:ホリプロ/ぴあ
企画制作:ホリプロ

 

 


ニコラ・テスラ。と言われても

ニコラ・テスラ……存在すら忘れていました。「エジソンと対立した人」と言われれば、ああ、そうだったと思い出す。でも、テスラについて知っていることなんて、その程度。そもそもエジソンのほうが、圧倒的に有名です。「発明王エジソン」なら、電球だとか蓄音機だとか、すぐにいくつか出てくる。一方、ニコラ・テスラは? うーん。そんなところから始まる『ニコラ・テスラ』。

しかも、物語の大きな軸が直流と交流の対立です。歴史的には重要なんでしょうけど、観客としては、そこにどれだけ興味を持てるのか。極端に言えば、VHSとベータの争いみたいなもの。どちらが勝ったかは知っている。でも、その規格争いをドラマとして見せられて、手に汗握るかと言われると、そうでもない。

さらにテスラとエジソンが対立する。終盤には2人がお互いの仕事を認め合うような場面もあります。でも、やっぱり最初に残るのは「エジソンのほうが知っている」という印象なんですよね。

つまり、この作品。題材の時点で、かなりのハンデを背負っています。

テスラの人生を100分で

物語は、死を間近にしたテスラが、自分の人生を振り返るところから始まります。幼いころ、最愛の兄ダネを亡くしたこと。そこから続く精神的な苦悩。そして電気への探究。1884年にアメリカへ渡り、エジソンのもとで働くものの、直流と交流をめぐって対立し、やがて袂を分かつ。ジョージ・ウェスティングハウスと組み、エジソン陣営との「電流戦争」に入っていく。科学だけではなく、金、政治、資本主義まで絡んでくる。

テスラの人生として見れば、かなり波乱万丈です。それを100分ノンストップで描きます。ただ、どうにもストーリーが地味なんですよね。テスラの功績を知っている人なら、また違う見え方をするのかもしれない。でも、こちらは「テスラなんて存在すら忘れていた」というところから観ている。まず人物そのものに興味を持たせないといけない。これは、なかなか難しい題材です。

海宝直人は通し役、3人が変幻自在

この作品で面白いのが、役者の使い方です。海宝直人は、ニコラ・テスラを最初から最後まで演じます。一方、濱田めぐみ、成河、昆夏美は、次々と役を変えていく。濱田めぐみはキャサリンを中心に、母、ウェスティングハウスなど。成河はテスラの父、ペッシュル教授、チャールズ・バチェラー、ハロルド・ブラウンなど。昆夏美はナース、ダネ、エジソン、アルバート・S・ブラウンなど。約30役を、4人で演じ分けます。

テスラをずっと演じる海宝直人を軸に、残る3人が次々と人物を変えていくわけです。これが実に鮮やかです。座長ポジションの役者たちなので、変幻自在。主役を支えるだけの脇役ではなく、次の瞬間にはまったく違う人物として舞台に出てくる。衣裳、立ち位置、声、動き。切り替えが速い。実力者がそろうと、こういう芝居ができるんだなあ、と気持ち良くなります。

シンプルな舞台を動かす

舞台上もかなりシンプルです。ほぼモノクロームの空間に、電気を思わせる照明が入る。人や小道具が次々に現れては消えていく。すべてがテスラの頭の中で起きている、という設定です。大掛かりな装置を使わず、役者と照明、音楽、役の切り替えで世界を作っていく。この密度とスピード感は、この作品の見どころです。

ところが、音響が……

そして、かなり残念だったのが音響です。紀伊國屋ホールって、やっぱりミュージカルの音を受け止める劇場じゃないんですよね。音がデッドで、歌が客席に広がってこない。特に後方では、音のバランスも気になります。

歌い手はこれだけそろっているのに、ミュージカルとしての盛り上がりが、どうにも作り切れない。これは役者の問題じゃない。むしろ、このメンバーをそろえて、ここで聴くのはもったいない、という感じです。

劇場が作品に追いついていない

紀伊國屋ホール自体も、古い新宿のビルの中にある、昔ながらの演劇小屋という雰囲気。ロビーも、トイレも、客席も含めて、どうしても「場末の演劇小屋」感がある。もちろん、そういう劇場が悪いわけじゃない。小劇場なら、それも含めて味です。でも13,000円のミュージカルを観る劇場として考えると、ちょっと複雑になります。

東京公演の紀伊國屋ホールは、舞台の開口が約9.1メートル、奥行き約7.3メートル。大阪公演のシアター・ドラマシティは、開口約16メートル、奥行き約14.3メートル。かなり違います。

今回はギター、ベース、ドラム、キーボードの4人編成のバンドが舞台上、セットの後方に入っています。紀伊國屋ホールでは、その音を客席にきれいに届けるのが、なかなか難しい。大阪では、もっと広い空間を使って動きや照明を見せられるでしょうし、音の聞こえ方も変わってくるんじゃないかな。東京とは、かなり印象が変わる可能性があると思います。

2026年の東京は劇場不足もあって、中規模以上の作品でも、300〜600席程度の劇場に入るケースがある。この作品も、紀伊國屋ホールが作品に一番合っているからというより、劇場の確保やスケジュールの問題があったのかな、と想像してしまう。そこは外からはわかりませんけど。

せっかく海宝直人、濱田めぐみ、成河、昆夏美という、歌えて芝居のできる座組です。海宝直人がテスラを背負い、濱田めぐみ、成河、昆夏美が次々と役を変えていく。この構成だからこそできる濃密な舞台です。だからこそ、もうちょっと「歌を浴びた!」というところまで行ってほしかった。題材が地味なら、役者の力でグイグイ持っていく。そこまで期待したくなる座組なんですよね。

【キャスト】

海宝直人、成河、濱田めぐみ、昆 夏美

 

【スタッフ】
音楽・歌詞:ニック・ブッチャー
脚本:ロジャー・ディッパー
演出・翻訳:下平慶祐
訳詞:福田響志
音楽監督:村井一帆
美術:山本貴愛
照明:吉本有輝子
音響:山本浩一
振付:塩野拓矢(梅棒)
衣裳:前田文子
ヘアメイク:鎌田直樹
歌唱指導:やまぐちあきこ
稽古ピアノ:石川花蓮/栗山梢(treetop)/MiyaB/豊住舞(treetop)
演出助手:福原麻衣/朝倉エリ/坪井彰宏
舞台監督:加藤高
主催・企画制作:ホリプロ