平日公演でもほぼ満席!
東京バレエ団の『オネーギン』初日を観てきました。平日公演でしたが、客席はほぼ満席。Z席はあえて販売していないようにも見えました。開演時間が遅めなので、仕事帰りと思われる駆け込み客も。男性客の姿が目立ったのも印象的でした。
美しい群舞と、主役の野暮ったさ
悩める女の子と男の恋愛劇ということもあり、リアルな場面ではさほど踊りがありません。むしろ見せ場は、コールドたちが上手から、下手からと一直線になって舞台を横切る場面。これが実に美しい! 東京バレエ団の男性ダンサーは都会的でシュッとしているし、女性ダンサーも均一性がお見事。それだけに、プリンシパルであるオネーギンの野暮ったさが際立ちます。洗練された群舞との対比で、あえて主役を野暮ったく見せるという趣向なのでしょう。
それにしても、クランコの演出は観客の裏をかきまくっています。主役だから華やかに見せる、見せ場だから派手に踊らせる、というお約束を次々と外してくる。なかなか意地悪な演出です。
主役が見えない「鏡のパ・ド・ドゥ」
寝室の場面で、タチヤーナの想像の世界として登場する「鏡のパ・ド・ドゥ」が大きな見せ場。ところが、黒い床に暗い照明、黒尽くめのオネーギンはほとんど見えません。純白の衣裳をまとったタチヤーナだけを際立たせる趣向なのでしょうが、こんなに主役を見せないプロダクションも珍しい。遠目にはタチヤーナのソロにしか見えず、びっくりしました。
音楽もチャイコフスキーらしからぬ地味な印象。オペラのナンバーは登場せず、ピアノ曲『四季』の編曲が中心です。重苦しさや倦怠感には合っていますが、オペラのような華やかさはありません。
お嬢様姉妹と身勝手な男
改めて思ったのが、オリガの性格の悪さ。婚約者がいるのにパーティーではオネーギンとイチャイチャ。それを諌めるレンスキーを小馬鹿にするし、決闘でレンスキーが撃ち殺されても駆け寄ろうともしない。こんな女性に執着するレンスキーもレンスキーですが。タチヤーナも、あんなに性格の悪いオネーギンのどこに惚れたのでしょう。振られた後も未練たっぷりで、引き際もなかなか見苦しい。「この私が振られるわけがない」という姉妹の傲慢さ。お嬢様育ちで、ずっとチヤホヤされてきたのでしょうね。
一方のオネーギンも、人のものになった女性が欲しいだけ。自分に寄ってくる女性には塩対応なのに、タチヤーナがグレーミン公爵との愛に目覚めると、今度は自分が執着する。まったく学習しない男です。いっそのこと、タチヤーナたちをギャフンと言わせて颯爽と去っていく仕事人に徹したら面白かったのに。なまじタチヤーナが美人だから、ミイラ取りがミイラになってしまったようなもの。
ふと思ったんですが、オネーギンとオリガの性格の悪いコンビ、タチヤーナとレンスキーのロマンチストコンビだったら、案外うまくいったんじゃないでしょうか。
濃密なドラマと東京バレエ団の相性
オネーギンとレンスキーの決闘も、もっと激しくやり合ってほしかった。『白鳥の湖』ばりの迫力を期待していたのですが、タチヤーナとオリガがやたらと絡んできて、男同士の対決に集中できません。そもそも、濃密な人間ドラマを描く『オネーギン』と東京バレエ団は、あまり相性がよくないのかもしれません。
ダンサーたちは素晴らしいのに、舞台全体がサラサラと流れていってしまい、肝心の情感が伝わってこない。オネーギンとタチヤーナのコンビも、どうにも相性がよろしくない。禁断の愛に悶えるような切迫感がないんですよね。
オペラ版『エフゲニー・オネーギン』があまりにも有名なだけに、ゴージャスさや濃厚な人間ドラマ、ドラマティックな盛り上がりを期待してしまう。これは私の勝手な期待が大きすぎるのかもしれません。オペラ版なら重厚なロシアンヴォイスの饗宴で盛り上がり、歌声が物語に謎の説得力まで与えてくれます。バレエでは身体表現だけで情念を伝えなくてはならないので、ここは少々弱いところ。
別キャストでもう一度観る予定ですが、そちらではまた違った印象になるかもしれません。
本日のコンビはダンスマガジンの表紙にも!
【スタッフ】
振付:ジョン・クランコ
音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
美術・衣裳:ピエール・ルイジ・サマリターニ
照明:スティーン・ビャルケ
振付指導:ジェーン・ボーン
【キャスト】
オネーギン:柄本弾
レンスキー:大塚卓
ラーリナ夫人:政本絵美
タチヤーナ:沖香菜子
オリガ:工桃子
乳母:坂井直子
グレーミン公爵:安村圭太
指揮:ベンジャミン・ポープ
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
東京バレエ団初演:2010年5月14日、東京文化会館
















