何かできなくちゃダメなんだと思っていました
親に褒められたことがないから
自分はダメな人間なんだと思っていました
けど
親に褒められたことがないから
自分はダメな人間なんだと決めていたのは
え?自分?
と、気付いたのです
親に褒められたことがない自分をダメな人間なんだと決めていたのは親ではなくて
親に褒められるようないいところのない自分はダメなんだ、と勝手に思い込んでしまっていた自分に気付きました
ってことは…
そうやって
親のせいにして言い訳していただけなのか…
やさぐれ️🦁は
人間の素晴らしさはひとの上に順位付けできるような特徴のあることとか
ひとから認めてもらえるような目に見える素晴らしいものを持っているひとのことだと思っていて
テレビでみるような美しいことじゃなきゃ
コンテストで優勝するくらいの実力がなくちゃ
検定で合格をとるとか賞状をもらえるような結果を出せる実力がないとダメだ
と、くくっていたのです
そしたら
自分に当てはまることは…
見事に何もありませんでした
そりゃそうですよね
テストの点数も
容姿も
運動も
ピアノも弾けないし
芸術的なセンスもなく手先が器用でもない
言ってみればやさぐれ️🦁はのび太でした
(のび太をけなしているのではありません)
でものび太にはドラえもんと個性豊かな友達たちがいて支えられていて
(やさぐれ️🦁にも支えてくれる存在はいるのだけれど、まだこの時点では気づけていない)
現実のやさぐれ️🦁はのび太ではないから
ドラえもんもいないし
そういう仲間たちも存在しない(と、思っていた)
ひとから褒められる特別なものを持っていない自分は
親にさえも褒めてもらえないダメな人間なんだと決めつけて生きてきました
そういう自分を作ってしまったのは家庭環境もあったのかもしれないけれど
一番の原因は卑屈な考え方しかできないクセを持つ自分自身だったのですね
優れた何かがあったら
そんなふうにならなかったのか?
家庭環境が違ったら
そんなふうに考えることはなかったのか?
自分をあれこれダメだと決めて苦しんで
親のせいにしてきたけれど
親に何と言われようと(言われまいと)
自分の価値を決めるのは自分です
人より秀でたものがないと認められないのではなく
自分の価値をどこで認めるか?
それはこうでなければならないのではなく
あるがままの自分でいい、ただそれだけのことなのですよね
そんな簡単なことにずっとず~~~っとね
気づけずにいましたよ
気づけなかったけど
それがダメなことでも何かを恨むことでもなく
ただ
自分を受け止め認める
それだけなのですね
歌われているように
みんな世界にひとつだけの花で
他にない自分という存在はそれだけですばらしいもの
これまで何度も何かで読む記事や誰かの言葉で聞かされてきたはずなのに
それを受け入れられなかった自分の内側のささくれ
何ができても
できなくても
何も不足ではない
やさぐれ️🦁は親に
褒めて欲しかったんだね
褒められたかったんだね
親に
無条件に何もできない自分を受け入れ
褒められたかったんだ
それだけ分かればいい
子どもにとって親から褒められたいのは当然の想いだと思うから
もう大丈夫
やさぐれ️🦁はダメな人間なんかではない
そう言って
おばあちゃんは
身体が丈夫なのが一番だとやさぐれ️🦁の健康をすばらしいと褒めてくれたのに
おばあちゃんが生きているうちにはそれが理解できなかったなぁ
身体が丈夫なのなんて何の自慢にもならない
そんなことしか褒められることがないんだと
逆に悔しいキモチにしかなれなかったやさぐれ️🦁
今、わかったよ
おばあちゃん
やっとおばあちゃんの言葉が心の中に届き
自分のものとなり
自分のキモチが在るべき場所にストンと収まった気がする
欠けていたものが元の場所に戻って完成する
そんなイメージ
そう
それはまるで
T1000(ターミネーター2の敵役 ) のカケラが溶けてT1000のつま先にスッと収まるみたいな
マニアな人にしかわからない表現だな笑
そんな感覚になりました
やさぐれ️🦁のT1000疑似体験でした
何をするのも今しかない瞬間だ
