オペラ座の怪人、

昔映画館で見た好きな映画です。

原作は、ガストン・ルルーというフランス人で推理小説マニアなら誰もが知っているレジェンドです。

「黄色い部屋の秘密」という密室ものの大傑作があり僕も子供の頃に読みましたが、

それはまた別のお話・・・

 

たまたま次の動画を見て思い出が蘇り、

今回の記事になりました。

サラ・ブライトマンとアントニオ・バンデラスです。

 


 

映画化されたオペラ座の怪人は、こんな風に紹介されています。

「 19世紀のパリ・オペラ座では仮面をつけた謎の怪人・ファントムの仕業とされる奇怪な事件が続いていた。

リハーサル中に起こった事故をきっかけにプリマドンナの代役を務めることになった若きオペラ歌手のクリスティーヌは、初主演となったその舞台で喝采を浴び、幼なじみの青年貴族ラウルとも再会を果たす。

クリスティーヌに才能を見いだしたファントムは、彼女に音楽の手ほどきをし、クリスティーヌはファントムを亡き父親が授けてくれた「音楽の天使」と信じ、プリマドンナへと成長する。

ラウルに愛されながらも、孤独な魂と情熱を持ったファントムに心をひかれていくクリスティーヌだったが、ある時、ファントムの仮面の下に隠された秘密を知ってしまう。 」

 

 

プロモーションビデオで感じを掴んで下さい。

 

 

そして、印象的なこの冒頭のシーンは、鳥肌ものでした。

また昔のフランスの華やかな生活が見れて興味深いです。

 

 

wikiにもう少し詳しいストーリーが書かれていて、終盤のあらすじを引用します。

「リハーサル中、ラウルは『ドンファンの勝利』開幕時に怪人が現れると見越してこの機会に警察を呼び怪人を捕らえようと計画するが、そのことに反対するマダム・ジリーと対立しオペラ座は分裂状態に("Notes/Twisted Every Way")。

クリスティーヌはラウルへの愛と怪人の指導への感謝の間で揺れ動き、父の墓を訪れ教えを請うと("Wishing You Were Somehow Here Again")、怪人が音楽の天使を装って登場する("Wandering Child")。

クリスティーヌは怪人の魔力に落ちそうになったが、ラウルがクリスティーヌを助けに登場する。

怪人はラウルを罵って炎を手向け("Bravo Monsieur")、クリスティーヌはラウルに自分を連れて逃げるよう頼む。激怒した怪人は墓地に火を放つ。

 

警察に囲まれたオペラ座にて『ドンファンの勝利』がクリスティーヌとテナーのウバルド・ピアンギ主演で開幕する("Don Juan")。デュエットにおいてクリスティーヌはピアンギとではなく怪人と歌っていることに気付く("The Point of No Return")。怪人がクリスティーヌに愛を伝えて指輪を渡すが、クリスティーヌは彼の横暴さに業を煮やした結果仮面を剥ぎ取り、怪人の醜い顔が現れて観客は驚愕する。ピアンギが舞台裏で窒息死しているのが発見され、怪人はクリスティーヌを連れて舞台から逃げる。怒ったメグは皆を引き連れ怪人を劇場中探し、マダム・ジリーはラウルに怪人の地下の隠れ家を伝え、怪人の投げ縄に気を付けるよう警告する。

 

隠れ家でクリスティーヌは人形のウエディング・ドレスを着るよう強制される("Down Once More/Track Down This Murderer")。ラウルが到着すると怪人は投げ縄でラウルを捕まえる。

怪人はクリスティーヌにもし自分と一生ここにいるならラウルを助け、逆にこれを拒否すればラウルを殺すと語る("Final Lair")。

 

クリスティーヌは怪人に醜いのは顔ではなく魂だと語る。しかしクリスティーヌは怪人を哀れに思いキスをする。怪人は生まれて初めて優しさと哀れみに触れ、クリスティーヌとラウルを解放する。クリスティーヌは指輪を怪人に返し、怪人はクリスティーヌに愛を伝える。クリスティーヌは泣きながらラウルと共に出て行く。怪人は涙を流してソファにうずくまり、マントで身を隠す。人々が隠れ家になだれ込み、メグがソファに近付きマントをはがすと、そこには仮面だけが存在していた。」

 

 

ここからは、僕の世界観とスピリチュアル的考察で少し解説してみたいと思います。

この映画は、原作に加えて少々ラブロマンス的に脚色されているようですが、

最後に怪人の悲しみと女神の救いを感じます。

自分の欲望の為に、平気で人を殺す怪人ですが、

その魂は、天才的な音楽の才能の持ち主です。

しかしながら、生まれつきの醜い顔のせいで、母親からも捨てられ、見世物小屋から逃げ出した男性です。

母からも見捨てられ、人々からは人間扱いされなかった愛を知らない男性です。

もし普通の人生を歩んでいればこうはならなかったでしょう。

残念ながら、生まれる境遇と環境が彼を歪めてしまいました。

 

実は、この男性性の歪みは、現代人の誰もが持っているものだと思います。

ここがスピリチュアル的解釈です。

怪人は、母神から見捨てられましたが、私たちは、生れ落ちた時に、女神のエネルギーの極端に少ない環境に放り出されました。

愛深く、才能に満ちた魂も、そういった環境で、本当の自己の魂を忘れてしまいます。

これが、闇の支配者による作られた現代の環境だと考えます。

怪人は、愛を忘れたわけではありません。

ただ歪んでしまったのだと思います。

そして、女神の愛に触れた時に、自分の過ちを認め涙と共に姿を消しました。

 

現代に生きる私たちは、自分たちが正常であり歪んでいるとは感じません。

それは、隣の他者を見て、同じように立っているから歪みを感じないのだと思います。

もし、その他者が真っすぐであるなら、自分が歪んでいると感じるでしょう。

つまり、社会自体が歪んでおり、その大地に根差しているため、斜めの大地に直角に立っているだけで、天を向いて真っすぐに立っているわけではないのだと思います。

多分、殆どの人はこの考えに異論や反論、違和感を感じることだと思います。

僕は、これ以上に説明することもできません。

ただ、これは魂レベルというか、地球を越えた普遍的な男性性と女性性の関係性や和合という観点から、そう感じるのです。

オペラ座の怪人は、この地上の男性性の極端な姿のように思えました。

しかし、その歪みも女神の愛が救いになるのだと思います。

だから支配者は、女神を徹底的に封印し、女神に近づこうとする男性的なマインドの中に、反抗というプログラミングを施しています。

永遠に理解できない存在が女神であり、それ故に男性性の極みである力を持って奪い取ろうと誘導されてしまうのかもしれません。

でも、これは闇のプログラムであり、歪みからのレスポンスであると思います。

 

涙と共に姿を消した怪人は、男性性の幻影なのかもしれませんね。