今は、そうではないのですが・・・

これは、あくまで僕の私感です。

気を悪くした人がいれば、お気になさらずに、今、誰かを非難したりする気持ちはありません。

ご容赦願います。

 

僕が、この世界に疑問を持ち始めたのは、中学生の時でした。

ちょうど、教育を受けている時代でしたから、現在の教育事情というものを身を持って体験していました。

その学校教育がなんかおかしいと感じたのです。

そういえば、小学2年生の頃にある濡れ衣を着せられて、校長先生と警察に詰問を受けたことがあります。

まったく身に覚えのないことに対して、犯人であるがごとく責められました。

その時に思った事は、大人てこれか・・・校長先生というのは偉い人だと思っていたけど全然偉くないな・・・という事でした。

親に話したら今なら大問題になると思いますが、バカバカしくて話すこともありませんでした。

ただ、後で担任の先生が僕を信じて泣いてくれたので救われた気がします。

学校教育とは、社会に出るための準備機関であり、こういった教育をするのであれば、その先の社会もおかしいのだと考えました。

 

高校時代に精神世界に興味を持って、仏教とかを学びました。

もともと、今でいうムー的な分野、オカルト、古代文明、UFO等の話が子供の頃から好きでしたので、精神世界には違和感なく受け入れることができました。

僕は、謎が好きだったのです。

 

僕の実質的なライトワークは、1999年から始まりましたが、そんなわけでそれ以前から、学びは続いていました。

今でこそ、ライトワーカーのはしくれを名乗り、スピリチュアルな分野を主張していますが、

それまでは、スピリチュアルという分野は好きになれませんでした。

当時は、オーラや過去世、パワーストーンにパワースポットなどが、スピリチュアルな分野だと伝えられていたのですが、僕の言うスピリチュアルとは違うと感じていました。

僕の言うスピリチュアルとは、例えば、縄文時代やネイティブアメリカンの生活様式がそうであると考えていました。

つまり、物質社会の中で生きる上で、神々や霊といった見えない存在と自己の精神の在り方を重要視する生き方がスピリチュアルだと考えていましたし、今もそうです。

そういった意味では、オカルト思想よりも仏教や心理学のほうが好きでした。

 

その後、いわゆるスピリチュアリストと呼ばれるようなヒーラーや著者、カウンセラーなどに出会う機会がありましたが、どれも本来の姿とは感じられませんでした。

皆が同じ言葉を話し、自分の言葉で語る人は稀有でした。

スピリチュアルはステレオタイプだと言う知人がいましたが、その通りだと思いました。

今でいうハイヤーセルフと繋がっている状態ではなかったのだと思います。

スピリチュアルは、免状でもないし、階級でもありません。

しかし、何等かの資格のようなものが存在していて、その修得のために多額のお金を支払います。

そして、そういったレベルにある人が幸せになっているかというと、必ずしもそうではなく、自分を飾る材料にそういった学びと資格を利用しているように感じました。

 

私は、物質社会からは卒業して、高等な精神世界を学んでいるのです。というようなオーラが出ていました。

それは、別に構いませんが、それを糧にして優越感を見せるのは感じの良いものではありません。

多分、そういった方々は、社会に適応できずになんらかの劣等感や不満にさいなまれていたのでしょう。

それを救ってくれたのが、その人のスピリチュアルですが、杖を手に入れただけで、幸せになれたわけではありません。

やがて、それがビジネスに繋がり不必要な教示へと繋がっていきます。

 

スピリチュアルビジネスを悪く思っていません。

実際、僕もヒーリングのお仕事の手伝いをしています。

お金も設けることは大切なことで、スピリチュアルと反するものではないはずです。

私たちは、あらゆるレベルで豊かさを得る権利を持っています。

 

しかし、スピリチュアルカウンセラーの中には、毎月の収入を得るために、特定数の仕事をこなさなければなりません。

これはヒーラーもそうですが。

精神的成長というのは、個人の時間があり、人間的な時間区分の中で作用しません。

なので、人によれば数年の時間を費やさなければならない時もあり、カウンセラーは、その時間を待たないといけません。

その間は、収入もないわけです。

たくさんのクライアントを持つカウンセラーは、良いですが、そうでなけれな毎月の収入を安定させるために本来不要なカウンセリングを行うことになるかもしれません。

自分一人なら、収入が減っても良いですが、家族を持ち、子供を学校に通わせている方であれば深刻です。

なので、昔は、祈祷師みたいなオカルト的カウンセラーは、俗世間と離れ経済活動から離れた人が行っていました。

そういった事情も知っていたので、どうもスピリチュアルカウンセラーといった方々との交流も敬遠しておりました。

 

チャネリングやリーディングといった話も、殆ど耳を貸しませんでしたし、触れることもありませんでした。

反面、古典的な知識には興味を持ちました。

ヘルメス学や密教、キリスト教の異端や呪術・・・

魔術は、ちょっと怖かったので近寄りませんでした。

今思うと、1996年以降の情報は、闇の操作下にあるのでそれで正解だったのかもしれません。

とにかく、何か大切なものや真実から離れているような気がしていました。

 

ライトワーカーと呼ばれる人たちも、何か、現実逃避をしているように感じて良く思えませんでした。

肉体を持って物質世界に生きているのだから、まずそこをしっかりできてから、ライトワークをしないとダメなんじゃない?と感じていました。

彼らには、人としてのパワーを感じることができなかったのです。

逆に、なぜこんな面倒臭い人たちなんだ・・・と感じることも少なくありませんでした。

変なヒエラルキーや、優越感に浸っていて、そんなん他じゃ通用しませんよ。と感じていました。

グループのカリスマリーダーに褒められたり、その近しい距離感を維持することがその人の行動原理であったりして。

小さな世界の住人なんだと思います。

 

 

だから、スピリチュアルとかライトワークという言葉はできるだけ敬遠してきたのです。

だけど、今は違います。

スターシード達が、使命を持ち転生し、この難しい環境の中では人間的な心理状態でそうなってしまうのは仕方のないことです。

せっかく苦しみの中で光を見出したものの、その光は、害虫灯のように正しく導く光ではありませんでした。

それでも、多くのライトワーカーは目覚め、自分の使命を果たそうと頑張っている今、僕もスピリチュアルという言葉を普通に使うし、自分もライトワーカーという呼称を使う事にしています。

 

目覚めには、何段階ものプロセスがあると思います。

僕もまだ真実の覚醒には届いておりません。

今できる事を行っているイニシエートです。

ただ、その為に必要な事は、僕の最初の学びである自己を見つめることと、自己の中に存在する神との対峙です。

この神こそ、真我であり、ハイヤーセルフであり、I am と呼ばれるものです。

 

人は、出会いによって導かれ、学び、そして目覚め自立していきます。

その中で忘れてならないのは、自分軸であり、他人に操作されないことだと思います。

そして、それに必要な事は執着しないこと。

何事も執着するとその引力に軸を奪われてしまいます。

執着を無くすためには、今の状態を疑うことも大切です。

正しいと思って手放さなかったことも、疑うことにより別視線が加わり、執着から離れることもあります。

そうやって人の意識は発達していくのだと思っています。

 

今では、ライトワーカーを名乗る僕ですが、別にライトワーカーでなくても良いと思っています。

天比古は、天比古です。

人がどう評価しても、それは変えることは出来ませんね。