日本に天孫族が降臨する以前、
この地は、出雲の大国主命が統一し、治めておりました。
その大国主命は、瓊瓊杵尊に国譲りをし、
そこから、この葦原中国(現代の日本)は天孫族の治める国となり、天孫族の子孫である天皇がその頂点に立っております。

従って、かつての日本の大地には天孫族と異なる王家が存在していました。
彼らは、今もその血筋をつなげており、古代からつながる伝承が残されています。
そして、それらはいくつかの著書により紹介されております。



幸神は、サイノカミを読み、古代出雲族がインドよりもたらした信仰だとされています。
出雲族は、伝承によるとドラビダ人を祖先にもち、3500年前にアーリア人がインドを侵攻した時に、北上しバイカル湖周辺のブリヤート人と合流し、樺太から北海道に渡り、東北に居住したのち、日本海側を移動、出雲に定住し弥生時代に出雲連合国を形成されたと言います。

この出雲王国の信仰が幸神信仰だったのです。
幸神信仰は、
父神:クナト大神、
母神:幸姫命、
子神:サルタヒコ大神
の父母子の三神の信仰です。
これらは、「人の幸」全体を守護する神とし崇められました。


ところで幸神は、コウジンとも読めますが、
幸神三神を三宝荒神にしたのは役小角だそうです。
役小角は葛城の加茂氏の出身です。
加茂氏は、出雲王家の血筋を引く一族の末裔とされているので、幸神信仰とは深いつながりがあります。


役小角が信仰した蔵王権現は、どこかシバ神と似ていると感じていたのですが、ドラビダ人の祖先はインダス文明を築いた民族で彼らの信仰した神がシバ神でした。

おそらく幸神の原型はシバ神なのではないか・・・
と感じます。
ですが、出雲連合国成立の期に、父神としてクナト大神という人格神を父神に据え置きました。
クナト大神は、出雲族をインドから導いた王です。

多分、幸姫は、人格神ではなく女性性の象徴であり大地母神の象徴なのだと思います。
子神のサルタヒコは、ガネーシャが原型です。


クナト大神と幸姫命は、女夫神(夫婦神)です。
よく道祖神などの石像に描かれている夫婦神は、彼らを意味しています。
また、クナト大神を男性のシンボル、幸姫を女性のシンボルとして象徴化され信仰されてきました。
これは、今でも縁結びや安産などの神として多くの神社に残っています。

古代は、山の幸や海の幸と共に、子宝というのは大きな幸でした。
医学の発達していない古代は、子供の致死率も高く、そんな環境で子孫を繁栄させるには、たくさんの子に恵まれる必要があったのです。
現代では、卑猥な印象を受ける性信仰ですが、古代ではたいへん重要かつ深刻で神聖な課題だったのです。
現代人は、性は聖だということを忘れ去っているのです。



クナト大神は、多くの場合、「翁」のイメージで現れます。
これは能でも描かれているようです。
もしかすると塩土老翁もクナト大神が原型かもしれませんね。


塩土老翁というと仙台鹽竈神社を思い出しますが、
竈は、子宮の象徴でした。
竈でご飯を炊く作業は、子作りを意味し、炊き上がったご飯は子を象徴します。
米飯と性信仰は深い関係があり、時々この米はシンボル化されます。
七福神の大黒さまは米俵に乗っているのは、この意味があります。
二つの米俵は、フグリの意味となり帽子をかぶった大黒様の後ろ姿は、マラの形になっています。


また釜は、お湯を沸かす道具でもあり、
そこで沸かしたお湯を笹で信者にかけて祓い清める所作があります。
釜をご神体にする神社は女神を祀る神社が多いそうです。
これは、竈の神が祓いの女神でもあることを意味するのかもしれません。
釜は子宮の象徴であり、笹はホトの象徴だそうです。

これらは、幸姫の属性となります。
第八代・事代主は、三島の活玉依姫(溝杭姫)を妃にしました。
その子、天日方奇日方は、事代主死後、三島経由で大和に移住します。
ここに大和王朝が始まるわけですが、後に大和では、幸姫は天照大神と名乗られます。
因みに、事代主は役職名で副王を意味します。
出雲王家には、二つの家系があり、その各家から王と副王が選ばれます。
また、本来この役職は、王を大穴持、副王を少彦と呼び、
記紀以後、王を大国主、副王のことを事代主と書き換えられたということだそうです。


大神神社の祭神は、大物主神とされていますが、元は太陽の昇る山の女神が祀られたいたようです。
ドラビダ人は、太陽神スーリヤ信仰を持っていましたが、出雲族も朝日を拝む習慣をもっており、その朝日は三輪山から昇るため、山神が幸姫こと女神であるため、太陽神も女神だと考えたようです。
なので、狭井川(サイカワ)が流れ狭井神社が祀られているわけです。
そして、伊勢神宮の最初は、大神神摂社社檜原神社から始まったわけです。
先の日記で、幸神神社を紹介しましたが、幸神神社のご祭神が天照大神なのが不思議ですが、こういった経緯からみると、関係あるのかもしれません。
また、能の三輪明神が女神として表れるのも興味深いですし、伊勢神宮では、「大物忌(おおものいみ)」という神聖童女祭祀者という制度があり、大物の名が共通するのも意味があると思われます。

また、大物忌とは伊勢神宮で、朝夕の大御食(おおみけ)に奉仕した神官のことであり、天照大神に食物を給仕する豊受大神との関連も考えられます。


伊勢神宮荒祭宮の祭神は、アラハバキだと言われますが、アラハバキは、クナトの妻神だと言われているので、幸姫とも考えられます。

狭井神社の祭神が、大神荒魂神というのと、
伊勢荒祭宮の祭神が、天照坐皇大御神荒御魂というのは共通するのかもしれません。
つまり、荒魂というのは幸姫をさすのかもしれないということです。
そういえば、瀬織津姫は、天照大御神の荒魂だと言われていますね。


多くの場合、三輪山もそうですが・・・
山の神というと女神だと考えられている傾向が強いです。
(クナト大神の宿る大山という例もありますが・・・)
そして、峠の神はというと、サルタヒコ大神を祀るようです。


サルタヒコは、猿田彦と書かれるようになり猿と関係あるように思われますが、もともとは関係ありませんでした。
サルタとは、高い鼻の意味で、サルタヒコは、高い鼻の御子神を意味します。
もともと、サルタとはドラビダ語で「でっぱり」という意味だそうです。

サルタヒコは、峠に祀られ、境界を守る役割を担っているようです。
道祖神といえば、クナトかサルタですが、クナトは老人のため、活動的な役割は、御子神のサルタヒコが担っていったようです。

また、山田のそほどこと、久延彦は、山を「越える」、峠を守るサルタヒコのことだそうです。
「越える」は、むかしは、クエルと発音したそうです。

そして、久延彦は、案山子となり田を守るのですが、幸姫は稲穂を育み、食物という幸を提供する田の神となります。
穂は、男性の象徴ともなりますが、米が性信仰と結びつくのもこのような関係にあるからかもしれません。

出雲の稲田姫は、幸姫から派生された稲田の女神です。
稲田姫のご神体が櫛なので、櫛稲田姫と呼ばれるのですが、櫛を二つ合わせると女性の形だとされます。

ちなみに、稲田姫の両親は、足名椎命・手名椎命といいますが、同神と考えられる足長・手長がいますが、ドラビダ人は、背が低く手足の長い色の黒い人種だと言われます。
出雲族は、蜘蛛のような容姿だったのかもしれませんね。

ヤマタノオロチ伝説は、古代出雲では知られていませんでした。
すなわち史実にはない後に創られた物語であり、ゆえに出雲風土記には記載されていないのです。