安倍首相、9条改正に意欲=空爆後方支援否定も「合憲」―参院予算委
2015年02月03日 17:01 時事通信社


「なぜ改正するのか。国民の生命と財産を守る任務を全うするためだ」と述べ、「国防軍」創設などを盛り込んだ自民党改憲草案の実現に意欲を示した。次世代の党の和田政宗氏への答弁。


 首相は、有志連合による過激組織「イスラム国」への空爆作戦に関し、仮に自衛隊が後方支援を行ったとしても、海外での武力行使を禁じた憲法9条には抵触しないとの認識を示した。

その上で「有志連合に後方支援するための法律がないから(今は)できないし、法律ができても政策的にそれは行わない」と強調した。社民党の福島瑞穂副党首の質問に答えた。(後略)」




 昨年末の突然の衆議院選挙で勝利した安倍総理は、憲法改正が悲願だと語った。

あの選挙により最優先課題の一つとされた北朝鮮による拉致問題も立ち消えになったようだ。

昨年は、夏にはなんらかの形で回答を引き出すと言いながら、ずるずると先延ばしになり、冬が訪れ選挙となり、その後にこの話題は報道で聞いたことがない。


世界のどこに居ても日本国民を守るため、自衛隊による救助を可能にする法的整備の必要性が説かれている。

しかし、実際に憲法上の制限をクリアしても、シリアへの人質救出を自衛隊が行ったり、北朝鮮へ拉致被害者を救いに自衛隊が乗り込むことは不可能だと言っても良い。


事実、総理も答弁で述べられているように、自衛隊の派遣は、該当国の要請がないかぎりは派遣することができない。

これは、考えるとすぐにわかる。

これを国際的に許すとなると、もし日本でテロリストが日本に滞在している中国人富豪を人質にとってなんらかの要請をしたとする。

この場合、人質奪還の為に中国軍が勝手に日本へ攻め入ってきても問題ないことになる。

日本での事件は、日本警察が対応すべきなのであり、それは他国も同様なのである。主権は尊重されるべきである。

しかし、テロ国家が対応するはずもなく、まして被害国に軍隊の派遣を要請するはずもない。


まさに絵にかいた餅なのである。

自衛隊とは抑止力なのだ。


元自衛官の泥憲和氏は、講演 の中でこう述べられている。

「自衛隊の任務とは、専守防衛と抑止力です。

侵略されたら任務の半分が失敗したことになる。だから、自衛隊の組織は戦争を望んでいません。

戦争にならないように自衛隊があるということで、戦争になったら困る役所なのです。

それゆえ、隊内では「自衛隊は日本最大の反戦組織」とも言われていたのです。」



また、その講演の中で泥氏は、こう語っている。


「集団的自衛権とは「アメリカに守ってもらうために、日本の若者もアメリカのために血を流せ」ということです。

アメリカのために血を流したらどうなるか。共産党政権に反対して、アメリカは南ベトナムを独立させました。

南ベトナムの若者は、アメリカ兵の100倍も血を流しました。でも、戦況が不利になったらアメリカ軍は撤退しました。イラクもアフガニスタンもそう。アメリカは自分がやりたい戦争はやるが、ケツを拭かない。


一方で、助ける国もあります。湾岸戦争の時のクウェートです。

多国籍軍を組織してイラク軍を追い出しました。クウェートはアメリカのために血を流していません。

つまり、アメリカはアメリカの国益に従って動くのです。助けたり見捨てられたりする基準は自国の都合なのです。」



「尖閣諸島で中国と武力衝突が起きたとき、アメリカは介入すると思います。

日本ほどの同盟国を見捨てたとなればどこの国も信用しなくなるからです。ただし、中国が一方的な侵略をしたときだけ。

今のような挑発的な政策を取り続けて武力衝突になればアメリカは介入しないと思います。それこそ自己責任です。

安倍さんは、アメリカが介入しないような口実を作っています。」




日本人とその財産を守り、世界平和のために貢献するための集団的自衛権や積極的平和主義。

しかし、


「アフガニスタンで援助活動をしているペシャワール会の中村哲代表は「自衛隊が邦人救助に来るのは危ないからやめてほしい」と言っています。

実際、ペシャワール会は日本がインド洋の給油活動をする前は、車両に日の丸を掲げて活動していた。それが守り札になったからです。

しかし、給油活動を境に日の丸を消した。

米国と一体と見られる懸念があったからでしょう。

集団的自衛権による武力行使や集団安全保障による制裁措置に自衛隊が参加すれば、ますます、憎悪と攻撃の対象になる。

もうひとつ、集団的自衛権で海外に出ていけば、おそらく、米軍の傘下に入る。邦人がいなくなったから帰ります、なんて言えるでしょうか。米軍は無人機で攻撃する。一般市民が巻き添えになれば、その恨みは陸上で展開している自衛隊に向く。こうなる可能性もあるわけです。」




そう語るのは、東大名誉教授で、戦争の生き証人であるだけでなく、その生涯をかけて、「どうしたら、二度と戦争を繰り返さないか」を研究してきた学者である石田雄氏


東大名誉教授・石田雄氏 「戦争に向かった戦前と似ている」

2014年7月7日 日刊ケンダイ より抜粋


「私は「日本の政治と言葉」という本を書いた際、「平和」という言葉が歴史上、どういうふうに使われたかをフォローしたことがあるんです。

平和というのは最初は、非暴力という意味で使われる。

しかし、日本においては次第に東洋平和という使い方をされて、日清、日露、日中戦争において戦争の大義にされていく。

これは日本の戦争に限った話ではなく、ありとあらゆる戦争の言い訳、大義名分に「平和」という言葉が利用されてきたのです。唯一の例外がナチス・ドイツの侵略ですね。

こういう歴史を見ていれば、安倍首相が唱える「積極的平和主義」という言葉のいかがわしさがすぐわかるんですよ。」



「それと排外的なナショナリズムのあおり方ですね。

積極的平和主義と排他主義が重なり合うと、非常に危険な要素になります。

平和とは非暴力であり、非暴力とは敵を憎まないことです。

敵を理解することで、問題を解決しようという考え方です。

しかし、今の安倍政権は中国、韓国を挑発し、緊張をつくり出している。そこに積極的平和主義が重なるものだから、危ないのです。」



「海外の邦人を保護するため、と言っていますね。

この理屈も戦前と似ています。1932年の第1次上海事変の直前、日本人の僧侶数人が殺傷される事件が起こった。

日本政府は邦人の生命を守るという名目で、上海の兵力を増強し、戦闘が拡大。その後、本格的な日中戦争になりました。個別的自衛権であれば、「日本の領土内に攻め込まれたとき」という歯止めがかかりますが、邦人保護という名目で海外に出ていけば、歯止めがなくなってしまうのです。」





現在の時勢を老学者の目にはこう映っているようだ。


現行の状態で、日本の平和を維持し、世界の平和に貢献するためにはどうすれば良いのか?

前述の泥氏の講演にヒントがあるかもしれない。



元自衛官・泥憲和さん「集団的自衛権を斬る」 (下) 9条で和平生み出す

2015年2月 3日 11:15 アジアプレス・ネットワーク

「(前略)
◆平和もたらす憲法

憲法の力で平和をもたらした実例があります。

フィリピン南部のミンダナオ島で、1969年から「バンサモロ解放戦線」(モロ族のイスラム解放戦線)と政府との武力紛争が続いていました。

開発が進まず、貧しい地域です。ゲリラと政府軍との間で停戦にこぎつけ、2004年にアジア各国が停戦監視団を送り込みました。

2年後に日本も参加しました。とはいえ、紛争地に自衛隊は送れないため、国際協力機構(JICA)の職員を送ったのです。


職員たちは村々を回って意見を聞き、学校の再建からやろうと決めた。

同時に、現地の人たちを集めて学校運営についてレクチャーを行い、平和になればこんないいことがあるという教育を行ったのです。子どもたちのことを考える席にキリスト教徒もイスラム教徒もありません。

顔を合わせるたびに両者の対立が氷解していったそうです。これも丸腰のJICAだからできたのです。


 さらに、JICAは日本から農業指導者を招いて現地の人たちに農作業を教え、農作物の収穫が飛躍的に増えたそうです。職業訓練校や水産試験場も作り、豊かになるように導いていったのです。

独立闘争の目的は地域を豊かにすること。ゲリラする必要もなくなり、2014年3月にバンサモロ解放戦線と政府との間で包括的和平合意文書が調印されました。6月には、バンサモロ解放戦線の議長や政府の代表による新しい自治政府設立に向けた話し合いが広島市で開かれたのです。広島を訪れたバンサモロ解放戦線の幹部の一人が、生まれた娘に「ヘイセイ」という名前をつけたそうです。その理由が「日本に来て、日本人が心から平和を愛していることを知ったから」。平和的なアプローチがゲリラの心を変えてしまったのです。


日本には9条があるから、兵隊を送れないから、どうすれば和平に結び付けられるか知恵をしぼって考え、地道に努力を重ねていったのです。
(おわり)」