少し前の朝、まどろんでいると東寺という言葉が頭に浮かんできました。
きっと、東福寺へ行った後だったからだな・・・と思いながら、
東寺、西寺・・・・・と頭が動き、
そうすると羅城門。
と連想が繋がっていきました。

京都、平安京のことはここ最近、ずっと気になっていたので、
これは、行くしかないな。と、後は天気次第。
ということで、5日の朝、天気が良かったので出かけることにしました。


JR京都駅から近鉄電車に乗り込んで一駅、東寺駅で下車しました。
まずは、東寺

七色堂(柚子房 壽のホームペイジです。 )

世界遺産にもなっているので、皆さんご存知だと思います。
僕も、何度かお参りしたことがあります。
黒アゲハのお出迎えがありましたが、今回は素通りです。

七色堂(柚子房 壽のホームペイジです。 )


九条通りを西に向かって歩きます。
ここで、ちょっと余談を。


七色堂(柚子房 壽のホームペイジです。 )

九条御土居という名が残っていました。
御土居の名が残る地名はいくつかありそうですが、
この御土居を知る人は少ないと思います。
御土居とは、秀吉時代に作られた都を囲む城壁のことです。
京の都は、かつて3m以上もある城壁に囲まれていたって、今からは想像できませんよね。
ちょうど九条通りにも、その御土居で壁が存在していたのです。
京の七口とは、その城壁から都へ入る入り口だったわけで、
粟田口や鞍馬口とか、その地名が今も残っています。

因みに平安京は朱雀大通りというメインストリートを中心に、西の右京と東の左京に分かれていまして、これは地図でみると左右逆ですが、北の天皇のいる場所から南を見下ろして、左が左京、右が右京となるわけです。
そして、それらは洛陽、長安と美称されました。
ところが、右京=長安は、湿地地帯で次第に廃れ、左京=洛陽のみが発展していったようです。
洛中、洛外とか言われるのは、この洛陽を指して呼ばれる呼称です。
今でも、洛西、洛南、洛東、洛北なんて地名があります。


さて、その都に入る朱雀大通りには羅城門という門が存在していました。
今回は、その羅城門から朱雀大通りを、天皇のいた大極殿まで北上しようと思います。

しかし、その前に、東寺と並んで建てられた西寺へ・・・
といっても、西寺 は、東寺と違って早くに廃れました。
今は跡地が残るだけで公園となっております。
涼しい風が吹いておりました。
 


七色堂(柚子房 壽のホームペイジです。 )


七色堂(柚子房 壽のホームペイジです。 )

七色堂(柚子房 壽のホームペイジです。 )


東寺は空海さんのお寺ですが、西寺は守敏 さんというお坊さんに託されました。
この二人はいわばライバルですが、その関係が今回の旅にも絡んできております。


再び、東へ戻り羅城門まで来ました。

七色堂(柚子房 壽のホームペイジです。 )

といっても、ここも跡が残るだけで公園となっています。
その前に、矢取地蔵なるものが祀られていました。

七色堂(柚子房 壽のホームペイジです。 )

このお地蔵さん、先ほどの守敏さんと空海さんが神泉苑にて雨乞い比べをして空海さんが勝ったことに怨みを持った守敏さんが、空海さんに向けて矢を放ったところ身代わりとなった地蔵さんだそうです。

七色堂(柚子房 壽のホームペイジです。 )

このお地蔵さんにご挨拶がてらお参りをして、
いよいよ北上します。
そういえば、この旅は、ずっとお地蔵さんに見守られていたようにいつも地蔵さまが祀られていましたよ。

朱雀大通りは、今の千本通りと重なっているそうです。
当時は、幅約85mもあったそうです。
千本通りは、狭いです。

七色堂(柚子房 壽のホームペイジです。 )


七色堂(柚子房 壽のホームペイジです。 )

平安京は南北約5.2kmです。
ここまででも結構疲れましたが、
頑張って進むことにしましょう。

           つづく