気がついたら、4月だ。
その間、何をしていたって、側から見て、健全に見えるような生活をしていた。
え?誰が?
私が、である。
私自身が一番違和感とかおかしいだろ、お前、みたいなものを感じている。
致し方なく、そうなった、ような、致し方ないことをきっかけにそうなったような。
認めたくはないが、朝早く起きて、運動して、三食たべて、寝るのは気分がいい。
ああ、本当に、本当に認めたくないが、気分はいい。
今までの己の怠惰な生活を全否定したくないから、とかもあるのだろうけど。
自分のスイッチが入る時間は夜型だ、っていうのもあるのだろうけども。
それでもなんのために?ってレベルで早起きすると具合は本当によろしい。
運動もしかりだ。
健康診断の結果、再検査になった。
命に別状があるものではないが、気にはなるもの。
もしかしたらあまり受け入れたくないアイツも潜んでいるのでは、と勘ぐってしまうような検査結果に重い腰を持ち上げた。
結果的にここ数ヶ月、黙々と、淡々と、呑気にそんな感じの生活をしている。
で、具合がいいわけだ。
猫ロスは相変わらずだし、引きこもり気味、コミュニケーションに難あり、その辺は何も変わっていない。
とりあえず調子がいいので、この生活リズムでいいな、などと思っていたのだが、完全にブレイクされる出来事もあった。
仕事だ。
無茶振りだ。
それをこなす義務も義理も正直あるのだろうか、と考えてしまうようなものだ。
自分は変わるけど、相手は変わらない、変化などしないと思っているのだろう。
ゆえの無茶振り。
今まで無茶振りを力技でねじ伏せてきた。
だから、今まで通り無茶振りをする。
そしてこなしてきたから、なんちゃってなあれこれができることになったのも事実。
だが、それがいつまでやれるのかはしっかり頭に叩き込んでおきたい。
怒りをブーストに使うこと、無茶振りを力技でねじ伏せること。
単発使用なら、アリだと思うが、常態化したらそれは地獄だ。
しかし、今は私なりに変化があって、それを継続したい意思もある。
そんなのおかまないなしになりがちなことで搾取されているような感覚に陥る。
時代に取り残されつつあるのではないか、などと危惧することもなく繰り広げられる内容にちょっとうんざりすることもある。
引きこもり以下の時代感覚って、大丈夫なのだろうか。
大丈夫じゃないなら、やっぱりな、で、大丈夫だっていうなら、私は安心して引きこもっていたい。
ライフサイクル的にはギリギリ帳尻が合うのだろうと思うところもあるので、あえて何も言わない。
けど、私はちょっとごめんなさい、だ。
ここは自分をガッチリ守っていかないといかんところなんだろうなーと、やらにゃならんことをやる。
やった結果全てを失うことになったとしても、ちょっとかなしくはなるかも知れないが、どうでもいいか、とも思えている。
変わった部分と変われない、変わらない部分がしっかりと輪郭を持って自分の中に存在しているのだろうな。
いろんな意味で分岐点。
あれこれ追いかけたり、詰め込まなくても、概ね悪くはないな、って方向に自分は向いているようだ。
なんとなく健全そうな生活リズムで、のんびりしていたい。