もはや時代劇。 | ジブン探検中。

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どう感じたか、どう思ったか、
書いて忘れていくブログ。

今月に入ってから、ずっと映画を見続けている。

ちょっとした現実逃避だろう。

ニートで暇人な私に仕事の依頼が来たりして動転したのもあり、現実逃避を許している。

というよりも、現実逃避、勝手に、オートマティックに、しておった。

あはは。

 

 

気になるタイトルは一気に見てしまう癖がある。

ちょっと前は横溝正史にどハマりし、ひたすら金田一シリーズを見続けた。

今回は極妻だ。

極妻からの松本清張。

その感想はまた改めて書きたいと思う。

兎にも角にも昭和色で塗りつぶされている。

懐かしんだり、しがみついたりしているつもりは一切ないのだが、どうしたわけか昭和である。

 

 

金田一にしろ、極妻にしろ、松本清張にしろ、共通しているのは昭和である、ということ。

サブスク視聴をしているので、他の人のレビューが読めたりするのだが、必ず、

「古すぎて面白くなかった」「貧乏くさかった」といった感想が書かれている。

子供の頃、大岡越前を見ていたおばあちゃんに対してクレームをつけた私と同じ感想だ。

(今は大岡越前好きだけど)

 

発表された当時は斬新だったのは言うまでもないだろう。

それが踏襲されて今があるのだ。

これがなかったら、今のエンタメは違った形になっているに違いない、は、ず。

 

 

私は、面白さと古さはイコールで結ばれない。

無関係だ!

と、断言できないところがある。

それは、古典文学を原文のまま読んでその面白さが私には理解ができないからだ。

現代語に訳されてようやく面白いと理解できる。

表現というよりも、使われているツールである言葉がそもそも理解できないからだろう。

 

 

そう考えると、平成生まれの人にとって、昭和の表現ツールは理解できないのかもしれない。

(レビュアーが昭和生まれの場合もあるが、そのパターンだと、その人のエンタメ筋力が低い、エンタメ容器が矮小なだけかもしれない。懐かしさ補正がかからない、いわゆる変態性に関するあれやこれやなので言及するのは野暮な気がする。)

 

・・・・・・

 

 

金田一にせよ、松本清張にせよ、未だに同一タイトルをリメイクのように新作として製作され続けている。

それを見ていると、昭和にあったであろう泥臭さや整理整頓されてないが故の混沌、人も物も雑然とした感じ、意識の低さなどが綺麗に抜け落ちてしまっているように感じる。

現在では差別用語に当たる言葉、パワハラ、セクハラ、ハラがハラでハラなんですっ系の表現、女性蔑視、などなど。

何と言うか今ではそれはあかんやろ的表現が徹底的にこそげ落として作られている。

結果、その作品が当初持っていたであろう毒や意図、目的まで抜けきってしまってスカスカになっている気がしてならない。

私は、昭和のえげつない毒というか、下品さ、低俗さ、倫理観が迷子になっている感じが嫌いではない。

むしろ好んでいるところがある。

それらを君たちオブラートって知ってる?と問いたくなるくらいに直球で表現するわかりやすさが潔いというか、本質に近いような、原型なような、言語化するのが困難な何かを感じさせてくれるのだ。

(ちなみにセットも小道具も綺麗になりすぎているから、余計にそう感じてしまう。)

私ももちろん美麗な映像や演出、綺麗なものは好きだ。

だが、残念ながら綺麗なだけじゃ語れないのが人間だ。

 

 

 

江戸時代や平安、戦国時代を描いたものを見て、あ、時代劇だ、と私は思う。

小ぎれいに修飾された昭和の話を見ていると、きっと私の認識している時代劇もずっと綺麗にされてしまって何を言っているんだろうと当時を知る人からしたら(確実にいないけどね、現存していないけどね)思われてしまうであろう代物なのだと思った。

 

 

もはや昭和時代を描く物語は時代劇と同じなのだろう。

(そもそも昭和という言葉の後に時代をつけても違和感があまり感じられないくらいには時間が経過しているんだ。おおこわい。)

まだナーバスに扱うところは大きいけど、時代劇と変わらない。

現代を生きる人たちにとって、綺麗に取り繕わないと受け入れがたいものがその時代にあったであろう事実を取り除いて表現される時代劇。

フィクションの世界だからオッケー、で済ましていい問題じゃないような気がする。

(そういうときはドキュメンタリーだよ!と思うけど)

 

 

こうして、見たくないものを排除した、考慮した、綺麗だけしかない世の中になっていくのだろう。

綺麗だけしかないですよ、とフィルターをかけていくのだろう。

(似非スピスピしい人たちは拍手喝采だろうな。)

 

 

ただ、綺麗なものしかない世界ができる頃には私は確実に存在していないから、安心して昭和の懐かしさ補正と、知らなかった世界を覗いている気分と、古臭さが醸し出すおどろおどろしい感じや、どうにもこうにもならない混沌、雑然、不条理、そこらへんのごちゃっとしたものを露骨に表現していくある種の稚拙さ、正直さ、素直さを不快感と共に楽しもうと思う。

いやいやいや、ありえねーし、とか思いつつ、ドン引きしながら見る映画って面白いものだ。

生まれたのが今で良かったなぁ、としみじみ思えるのも自己肯定感の低い私にとっては貴重な肯定的な体験なのだと思う。

 

 

思ったことを一方的に吐き出せた。

あースッキリした。

 

 

・・・・・・

書き忘れたけど、昭和の役者さんたち。

今の私と同年代であっても大人というか、老けているというか、どっしりしていて演技が面白い。

面白いという言葉が適当かどうかわからないけど、今の役者さんにはない深みのような、何とも言えない魅力がある。

軽薄さがあまり感じられない。

(たまに、あー、あー、あーとか思う人が出てきてぶち壊す。目と目で通じ合う人はひどかった。)

 

最近の一押しは丹波哲郎さん、岩下志麻姐さま、山田五十鈴さん・・・。(挙げきれない。)

中でも蘇える金狼の松田優作さんは衝撃的だった。

存在が、二次元キャラみたいな、二次元でならあり得そうなことを三次元で自然にやってしまう。

そんなインパクトだった。

その結果、目と目で通じ合う夫の方のあれやこれやもなんか納得してしまった。

それはそれで衝撃的だったのだけど。

 

そして中尾彬さんの変わらなさとかもおお、と思った。

今よりずっと若いはずなのに、迫力は変わらない。

彼の迫力は年齢を重ねたがゆえに手に入る類の威厳や迫力ではなく、持って生まれたものなのか?と思った。

暴れん坊将軍で尾張様を演じていても、極道演じていても、今朝の番組でコメントしている時も何とも言えない重厚な迫力がある。

すげー。

ネジネジ。