知性がない。
教養がない。
これらは後から身につけることも可能だ。
だから嘆く必要はない。
ちなみにキャリアもない。
経済力もない。
それこそやれ、今すぐやれって話だ。
ないがしろにしてきたツケはきっちり払わなくてはならないタイプの「ない」だ。
嘆かずとも良い、としても、ツケは払うのだ。
年齢相応の知性も教養もないと、大恥をかく。
他者に指摘される、思われる恥、自分で自分に対して感じる恥。
ダブルパンチで襲いかかってくる。
恥から逃げたくて、逃げると、知性、教養は遠ざかる。
そもそも恥から逃げていたから、知性も教養も身につかなかった。
幼少期に恥の処理方法は身につけておきたいものだ。
が、残念ながら、恥に敏感であろう面倒臭い性質を持った私に対して、笑って恥を吹き飛ばす、と言う方法は高度すぎた。
まず、受け止め方を教えてから笑い飛ばして欲しかった。
結局恥を助長させることにしかならず、恥から逃げ続けるために私は虚像を生み出した。
もっとも生産性のない、防御方法だ。
傷つきはしないが、信用を失い、人間関係を構築し難くし、ブラッシュアップされないから、経験値がまったく稼げない。
どんどん本来の自分から乖離する。
私にとって何が現実で、何が好きで、何にときめいて・・・そういった類いのものの大半が虚像によって侵食され、汚染され、わからなくなる。
それでも時間は止まることなく流れる。
年齢だけは重ねていき、それらしいことを口にはするが、結局他人の人生にタダ乗りし続けてきているだけだ。
当然、自分のことなのか、他人のことなのか、よくわかっていなかった。
(恥恥言いすぎて、もはや「現実=恥」とでも考えてそうだな、私・・・ってたぶん、そういう論理ありそうだわ。痛いわ。)
そんな人間に中身があるといえるだろうか。
40年近く生きてきて、中身が行方不明、中身がないって地球のマントル突き破って外核付近にシェルター作って引きこもりたいレベルで情けない。
そんな風に情けないと思う自分がまた面倒くさくて、しんどくなる。
そして、それが、今の私の、レリゴーだ。(ありのまま、ってことな。)
もともと中身がない、空っぽな自分である、と薄々感づいていた。
認める勇気がないとかではなく、そこまで思い至らなかった。
薄々感づいて、ようやくこれは由々しき問題で、かなり情けなく恥ずかしいことかもしれない事象として認識されるまでは早かった。
かといって、気がつき、認識したら、中身が満たされちゃって〜(ハート)みたいなミラクルも魔法もない。
二の腕たぷたぷさせながら振りかざす私の腕から先が凍りつくこともない。
問題がある、問題を抱えた重苦しさだけが消化しきれないレバニラのように居座っているだけだ。
経験値の伴わない、中身のない人間にとって、唯一確実なのが感情だったり感覚だったりする。
だから、感情的になることを肯定したくもなるし、採用したくもなる。
そして、自分の体感やらやたらと感覚にすがりたくなる。
ヒステリックになり、スピリチュアルに舵を切るのもうなづける。
毎日のようにブログを書いてはいるが、このどれもこれも、薄っぺらい、内容がないもののように感じられる。
そう考えると、書く行為だけではなく他のことに対してのやる気もどんどん削がれていく。
(自己否認なのだろう。これをしたところで有益ではない。)
今の私が0か100かと考えると0だ。
(正確には、30くらいは何かしらあるだろな、とは思うが自分では全くわからない。その30の内訳も問題が「ある」と言う意味での「ある」かもしれんがな、ぷげら。)
が、本当に何もせずに今日の今日まで生き延びられてきたのだとしたら、相当な強運の持ち主でしかないので、それを誇ればいいような気もする。
そして、サンキュージャパン。
私が日本に生まれていなかったら、こんなことにはなりようがないだろうと思う。
こうして客観視できているだけマシなのだろうが、茨の道であることには変わらない。
歯を食いしばって、コツコツやるしかない。
この手の自分を責め立てるようなことばかり考えているから、鬱々とし、うまく回らなくなってしまうのだ。
毎日、自分を否定しては、肯定し、けなせば、フォローするかのように味方になる。
行ったり来たりするから、疲れるのだ。
揺れてるなぁ。
誰かにとって意味がない、空虚な内容であっても、こうして書いているだけで、私自身はヘンテコな迷路に迷いこむことから回避できる。
知性も教養もないが、もしかしたらひどく強運かもしれないなんて、書かなきゃたどり着けない発想だ。
何気に今までの自分より今の自分はモヤリングタイム大幅減。
GJ自分。
(私はパラメーターを自分で振ることができるタイプのRPGで真っ先にテコ入れしまくるのは、運だ。)
ちなみに私はアナと雪の女王を1度も見たことがない。